かはたれの背中

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朝食を食べ終えた二人は、各々過ごした。三井は歯を磨きながらテレビを見ていて、水戸はそれに対し、行儀悪い、と注意をした。一度三井は水戸を見遣り、洗面所にゆっくりと歩いた。手は動かしたままだった。水戸は洗い物をして、それが終われば歯を磨いた。何も考えていないようで、頭の中には常に、昨夜母親から掛かって来た電話の内容が反芻していた。ずっとそこにあった。洋平あのね、それが繰り返し流れて来る。俺はあの人に対しても踏み込むことを避けて来た、ずっとそうだった、今も。水戸はそう思った。得手不得手だと理由を付けて。母親のことだけでなく、三井のことに関してもそうだった。あの人が何か、抱えていることは知っていた。だけれど、言及するのを避けた。自分から。でも、だって、あの人が望んでいないから、どうせ自分で解決するだろ、今までずっとそうだった、そうして不得手な筈の言い訳を並べて狡く逃げていた。
失うのが怖いから。ただ好きなだけじゃどうやっても上手く行かないから。それも所詮、小狡く逃げる手段の一つにしかならないのに。
水戸は寝室に足を向けた。ずっとリビングに立ち尽くして、見てもいないテレビに目を向けていた。三井はそこには居なくて、寝室に居る。ホームゲーム、水戸は小さく呟いた。仕事に行く為に、彼は着替えている筈だ。裸足で歩くフローリングは冷たくて、妙に足裏から伝わった。ぴりぴりと何か、不穏な空気が痛みを連れてやって来る。あの人と一緒に居ないと、今そうしないと、水戸はただ、そう思った。寝室のドアを開け、そのまま閉めることもしなかった。三井は着替えている最中で、クローゼットの前に立っていた。何?彼がそう聞いたように水戸には聞こえた。ただ耳を素通りしていたから、それが「何?」という言葉だったのか「何だよ」だったかは分からない。水戸に単純な問いを投げ掛けていたことは確かだった。水戸は三井に近付いた。シャツのボタンを留めている最中の手を取り、引き寄せる。自然と互いの顔が近寄り、その時また目が合った。くっきりとした二重瞼の目は力強く、だから水戸は、目が合わせられないのだと知った。よく三井は水戸に、見透かされそうだと言う。俺もだ、水戸は思う。見透かされそうで怖くて、こういう瞬間にしか彼の目をじっと見られない。
三井は目を閉じなかった。水戸も同じだった。閉じないまま口付けた。髪を撫でて頭を掴み、引き寄せて何度も繰り返し口付けた。三井は拒絶しなかった。午前中はここに居る、彼はそう言った。とはいえ、こんな行為するべきじゃない。でもそれでも、何度も口付ける中で、舌を嬲るように遊んでも三井は、水戸を押して突き放すことをしなかった。
「奥二重」
「は?何の話?」
「知らねえの?お前奥二重なんだよ。この距離で見なきゃ分かんねえの」
三井はそう言うと、目を伏せて笑った。一度、二度、瞬きをすると睫毛が揺れる。
「興味ねえな」
「お前はほんと、自分に興味ねえんだよなあ」
「そうだね」
「つまんねえ男だな」
「ごめんね」
つまんなくて、水戸はそう言った。もう一度口付ける前に、三井さんは睫毛長いね、そう言った。彼は知らないと答えた。つまんねえな、先程の会話を反復するように言うと、三井は水戸から目線を逸らして口元を緩めた。当然キスだけでは治らなかった。元々治める気も無く、水戸は三井の体を導いた。フローリングに膝を付かせ、横にあるベッドに上半身を乗せる。三井はシャツにスウェットという間抜けな格好をしていて、水戸はその背中に乗るように自分の体を埋めた。後頭部を優しく掌で撫で、後ろから三井の耳に唇を寄せる。びくりと過敏に反応する体が面白く感じて、水戸は性的な興奮と、それとは違う衝動に駆られる。
「時間ないんだっけ」
「ねえよバカ」
「すぐ終わらせる」
三井は振り向いた。ぎょっとしているようで、目を見開いていた。水戸はまた、三井の髪の毛を掬うように優しくなぞる。
「こっち見んなよ」
「な、何で」
「殴りたくなるから」
口をぱくりと開けた三井を見ないようにして、優しくなぞる髪の毛と共に頭を軽く押さえた。片手でシャツを捲り、その背筋を舐める。三井の味は人間の皮膚の味がして、それが更に水戸を煽った。ここにこの人は居る、確認するようにそう思った。ベッドに埋まった三井から、くぐもった声が聞こえた。この人はこうすれば拒絶しない俺が抱こうとする時には拒否しない。そんなことを考えていると、自然と水戸の口から、好きだと告げていた。好きだよ、そう言った。水戸が押さえていなくとも三井はベッドに顔を埋めていた。抑えるような嬌声が聞こえたのは、水戸が今、勃ち上がった三井の性器を上下に擦っていたからだ。見えるのは背中で、後頭部で、そこに三井の目は無かった。水戸はずっと、時折震える彼の背中を見ていた。そして性器を擦ると同時に、水戸は三井のそこを慣らした。酷く良さそうに腰を揺らす三井を見て、水戸は思う。食事中に彼を見ないことと、こうして後ろから犯すことは酷似している、と。
本当は目を見て話して食事をして、前からぎゅっとその体を確かめるように抱きしめて、暴力的な衝動も性的な興奮も無くして、ただ普通に愛してこれこそが正当な幸福なのだと自然と言えるようになりたかった。三井が今、この不適切とも言える陵辱的な行為を受け入れているのは何故か。水戸の知らない三井が抱える疚しさが、それをさせているように思った。
「三井さん」
三井は声を出せなかった。同時に攻められていて、寝室には三井の色を秘めた声しか聞こえなかった。
「もう入れていい?」
ベッドに顔を埋めながら三井は、首を縦に二度動かした。早く、小さく聞こえた言葉に、水戸は自分の性器を三井に挿入した。
昨夜の母親からの電話が、三井を抱きながらも脳裏には必ずあった。
洋平あのね、わたし神戸に行こうかなって思ってるんだ。彼氏がさ、付いて来て欲しいって言ってて、悪くないんじゃないかなって。お店はもう若い子に任せようと思ってる。
あんたあの人のこと好きなんじゃなかったの今までどれだけ色んな男と付き合っててもあの人のこと忘れなかったろそれなのに何で。水戸は電話口の彼女の声を聞きながら、頭の中ではそれを考えていた。けれど水戸が彼女に言ったのは、「そう」それだけだった。そして「良かったね」と付け加えた。
洋平覚えてる?昔さー、あんたが中学の頃にたまたまわたしが帰って来て夕飯作ったの。たまたまって何って話だよね、ほんと。でさ、夕飯っていっても赤いウィンナー焼いただけなんだけど、買って帰ったのに冷蔵庫の中に入っててさあ、同じの買ってんじゃんって笑っちゃったんだよね。
「忘れた」
水戸はそう言った。
「覚えてない」
続けてそう返した。彼女は、そっか、と言うだけだった。じゃあね、水戸は彼女に言うと、自分から電話を切った。
気付くと、三井が振り返っている。息を乱しながら水戸を見ていて、そこにはまた疑問が並んでいるように見えた。
「何?」
「いや、さっきお前何つった?」
「え、あ、ごめん。何だっけ」
「変なやつ」
笑う三井を見て、水戸は後ろから抱き締めた。どこにも行かないでここに居て俺の側から離れないで、これが言えたら楽になれるのかそれとも言わない方が余程幸福なのか、水戸にはもう分からなくなる。それとも母親に、あの時ウィンナー焼いてくれたの覚えてるよ、そう言えたら良かったのか。
はっきりと分かるのは、ただこの背中だけは見えているということだった。朝の明るいこの時間に、三井の背中もこの体も、今だけは水戸のものだった。目が見れないのならせめて。せめてこうしていたい。水戸はもう一度、三井の背中を強く抱き締めた。
体を掬う感触が、腕の中に残る。




3へ続く


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