長編

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夏の始めの辺りから、三井さんとはまた連絡の擦れ違いが増えた。彼は三年に進級すると同時に、進路とバスケに悩み始める。話したとしても、会話が止まることが増えた。元々三井さんが喋ることが多かったから、あの人が喋らないと会話が成立しない。それが続いたある金曜日の夜だった。ちょうど仕事から帰宅したばかりの頃、携帯が鳴った。テーブルに置いてあるそれを手に取ると、三井さんの名前がある。座ってそれに出ると、やはり彼の声はいつもの調子とは違った。
『会える?』
「今日は無理だよ。明日も早えし」
『じゃあいいよ』
「日曜日は?」
『練習』
「夕方なら終わってるだろ?」
そこで三井さんは黙った。何に対して悩んでいるのか、何も言われなければ分からなかった。
「そっち行ってるから」
『もういいよ』
また沈黙が始まった。大体こういう流れだった。あの人が会いたいと言う時、俺は電話に出られないか行けないか。それがほぼだった。思わず溜息を吐いた。それに対し彼は、怒りを露わにして『何それ』と言う。何それって言われても、溜息だとしか言いようがない。
「めんどくせ」
口から出て来るその言葉に、また喧嘩になることは分かっていた。けれど、毎回これになるのも正直鬱陶しい。
「何が言いたいの?言われなきゃ分かんねえよ」
『お前にバスケの話したって分かんねーだろ』
「じゃあ会いたいなんて言うなよ。話せる奴に話しゃいいだろ」
また黙る。言葉は違えど、毎回これの繰り返しだった。
「そんなに辛いなら他の道もあんじゃねえの?」
『バスケ辞めろって言いてーのかよ』
「じゃなくて、他にもやれることあんだろ。その先は自分で決めろよ、あんたのことだろうが」
『お前はいっつもそうだよな、いっつも正論ばっか。そればっかもう聞き飽きてんの。こっちがムカついてんのが分かんねーのかよ、何でも分かってますって言い方しかしねーで、抉るやり方しか知らねーんだろ』
大きく息を吸って吐いた。煙草に火を点けて吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。この人にはまだ、バスケがある。やれるから悩んでる。やれないなら最初から切り捨てる。でも俺には何だ。何が残る。残る以前に何もない。最初っから何もない奴は何も言えねえんだよ。
「悪いけど、俺は何もしてやれない」
『え?』
「てめえのことはてめえで決めな」
吐き出すように言うと、通話は切れた。耳に残っているのは、喧嘩腰の三井さんの声もなく、俺の声でもない。ただの機械音だけだった。
翌朝、一件のメールが届いていた。
『もう来んな』
その一言だった。ああ、と思った。ただ、ああそうだよな、と。
元々、ずっと前から糸は解れていて、それを見ない振りしていただけだった。見ない振りは簡単だった。治すこともしなければ、解く努力もしなくていいからだ。それは俺だけじゃない。きっとあの人も同じだ。
ベランダに出て、煙草に火を点ける。海が見えるけれど波の音は聞こえない。「何かいいな」三井さんはそう言った。良くも悪くもねえよ、今はただそう思う。蝉の鳴き声が急に聞こえ始めて、今日もうるさく延々と鳴くのだろうと思うとうんざりする。考えてみればあの人は、ぎゃんぎゃんうるさい蝉のような人だった。ずっとうるさいくせに、夏が終わるとぴたりと鳴き止む。長かった夏が今朝終わったような気がして、思わずしゃがみ込んだ。煙草の火を灰皿に押し付けて、膝に額を擦り付ける。
もう俺は、蝉の声も聞くことが出来ない。あの人の声も、鳴き声も。




9へ続く
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