長編

□7
1ページ/1ページ


『今日の夜ヒマ?会える?』
何だ急に。絶句して沈黙したままでいると、電話口の向こう側から、おい、と低く聞こえる。ちょうど昼休みの食堂で、食べ終わった辺りで携帯が鳴った。そこに出ていた名前は連絡をあまりして来ない奴のそれで、要はぎょっとした。躊躇ってなかなか出られないで携帯を持ったままでいると、前の席で親子丼を未だに頬張っていた同じバスケ部の菅田が訝しんでオレを見る。「出ねえの?」と言われたので舌打ちしてから席を立ち、人通りの少ない場所まで歩いた。そして、大きく息を吐いてそれに出る。
スタートは、「どうも」だった。オレも「何?」と返した。愛想良くはいかなかった。電話の相手である水戸とオレは、別に喧嘩をしている訳ではなかった。けれど何か、会話には重い空気が漂っていた。それは会えば尚更だ。理由は分からない。そこに持って来て「今日の夜ヒマ?」と来たもんだ。しかも「会える?」と。部活さえ終われば、オレは暇だった。前期テストも無事終わり、もう夏期休暇のようなもので、バスケ以外はバイトをしている訳でもなければ、前期も終わった勉強は言うまでもなく、遊び歩いて飲み歩くこともしていないのだ。
『聞いてんの?無理だったら別いいけど』
「いや、別に、無理じゃねえ」
『あっそ。じゃあまた』
ぷっつりと切れたそこからは、規則的な機械音だけが聞こえる。また長い溜息を吐いた。前期テスト期間、その前の追い込み、水戸のバイト、水戸のバイト、どちらかが会える日はどちらかが駄目だった。そのせいか、久々に会えば酷く殺伐として険悪で、重かった。会いたいような会いたくないような、水戸はやはりよく分からない。
食堂に戻って座ると、知らない内にまた溜息を吐いたのか、菅田に「何その溜息」と笑われる。何も喋らないでいると、また笑われる。
「何だよ」
「相手、誰?」
「後輩」
「リーゼント?キンパツ?」
菅田の中で、オレの後輩といえばリーゼントかキンパツかの二者しか居ないらしい。
「リーゼント」
「そういやあいつ凄いね」
「色んな意味でな」
とても言えないけどな。
「コンパでさ、あんまり場慣れしてっからオレ見てたんだよね」
へえ、そう言った。そして、あんまり聞きたくねーな、そう思った。
「キンパツの為にリーゼントがお前に頼んだんだっけ?」
「そうなるな」
「ふみ先輩とかさー、他の子にも色々言われてたのに上手くあしらってんの。しかも他に気ぃ配って注文したり、ちゃんとキンパツの話してんだよ。あれがコーコーセーのなせる技かね、とオレは恐れ入ったね」
「あしらってる?!あれが?!」
嘘吐け!続けて言うと、菅田は鼻で笑う。
「オレがあの時代なら、確実にふみ先輩と帰ってるわ。セフレでいいからお願いしたいもん」
「セフっ!……まあいいや。好きな奴が居ても同じこと言うのかよ」
「居ても関係ないっしょ、オレら男の子ですよ?やれると思ったら行くでしょ。でもダチのことで先輩に頼んだから適度に場を下げず、かといって上げ過ぎず、ちゃんとお前の顔立ててんじゃん」
「え、そういうもん?」
「その上お前がパシるから一滴も飲まず。どっちが歳上か分かんねえな」
はは、と笑われてオレは沈黙した。その後、おーい、とか言われていたようないなかったような。要は聞いていなかった。菅田の言うことが事実なら、オレはあの日、酷い言葉を吐いた。女の方がいいんだろ、水戸の目付きが変わったあの言葉。あれは駄目だった。確実に。でももう、口から吐き出された言葉は元に戻らない。
夏期休暇間近の大学は、生徒が少なかった。前期テストが終わってしまえばあとは夏期休暇しか残っていない。講義もほぼなく、オレはバスケをする為だけに大学に来ているようなものだった。午後の講義もないから、菅田と部活前に1on1でもするかと食堂で話していた所で、結局オレはバスケしかないのだと思い知る。
大学は食堂含め全てが綺麗だった。空調は整っていて、全体が白い。窓は広く、刈りそろえられた芝生と木々が、校舎の周りを覆っていた。広い窓の向こう側から、聞こえる筈の蝉の鳴き声はもちろんしなくて、でも何故か、耳の奥に蝉の声が残っていた。高校時代の記憶を所在なく辿る。夏の屋上は酷く暑くて、夏の終わりもそれは変わらなくて、でも飽きることなく水戸が居た。すぐ、隣に。去年の夏の終わりに聞いた蝉の声と今年のそれは、一緒なんだろうか。ここに居ると、まるで分からない。
大学バスケは今、特に試合も控えてはいなかった。夏期休暇中に遠征や練習試合の予定はあっても、大きな大会はなかった。午後からの部活を終え、個人練習もそこそこに、オレは部室へ戻る。シャワーも付いているという至れり尽くせりなこの部室は、高校とは全く違った。ざっとシャワーを浴びて、タオルで適当に髪を乾かして部室を出る。時々すれ違う先輩に、お疲れっした、と声を掛けると、今日は早いなー、と驚かれる。それにも上手く相槌を打って外に出ると、まだ外は明るかった。蝉も未だに鳴いていて、今は夏なんだと当たり前のことを考える。携帯を取り出し、水戸の名前を出した。もうこっちに来てんのか?軽く頭を捻って、歩みは止めないまま少しだけ考えた。あの日の謝罪を考えてはいた。けれど多分、オレは上手く話せない気がした。あいつに謝ることは、酷く苦手だった。でもきっと、水戸もそれは同じだと思う。変な所が似ていて、変な所が狡い。これも一緒だ。おかしな箇所だけが酷似していて、何故か共犯者の気分だった。
結局大学を出るまで通話ボタンは押せず、自宅方向に向かおうとした。すると目の前に、バイクに凭れて煙草を吸いながら、水戸が立っている。
「……水戸」
「ああ、お疲れ」
「いつから居たんだよ」
「さあ、忘れた。さっきかな」
嘘だと思った。でもそれにもオレは、知らない振りをする。
「何かあったのかよ、急に電話寄越しやがって」
そう言うと水戸は、不思議そうな顔をしてオレを見た。
「会いたくなったら電話くらいするよ、俺でも」
ぎょっとして一歩後退った。それに水戸は薄く笑うと、ヘルメットをオレに向かって投げる。
「メシ食いに行く?奢るよ、バイト代入ったばっかだし」
「あ、おう」
「この辺分かんねえから教えて」
「えー……っと」
バスケ部連中と行くのは、居酒屋かラーメン屋だった。居酒屋は無しだからとラーメンを指定すると、またラーメン、と笑われる。そういえば去年の夏の終わりにラーメン食ったなぁ、と思い出した。もっとも、あの頃はまさかこんなことになるとは思ってもいなかったけれど。
指定した場所まで行って、ラーメンを食べた。オレは大盛りで、水戸はラーメン大盛りと炒飯に餃子で、これもまたどこかで見た光景だと思った。
今日は会話はあった。バスケどう?と聞かれたから、上手くいってる、と答える。オレは、湘北バスケ部がもうすぐ決勝リーグで気になったから尋ねると、気合い入ってるよ、と言って水戸は笑った。すると、観に来てやってよ夏期休暇になるんだろ?と頬杖を付いて言われ、少しだけ驚いた。そんな話したっけ?と思ったからだった。夏期休暇の話をどこかでしたか?と。夏期休暇って言ったっけ?と尋ねれば、言ったよ、と一言答える。オレは頭を掻いた。何を話したかもあまり覚えていなかった。それくらい、水戸と過ごす時間は喧嘩だとか重い空気だとか、そういう類いのことしか覚えていないのだった。酷く曖昧だった。
店を出ると水戸は、一本いい?と聞いた。どうぞ、と言うとライターで火を点けた。そういえばあの時も、店の外で煙草に火を点けた。一本取り出し口に咥え、俯いて火を点ける。違う場所を見て煙を吐き出す様が、とても高校生とは思えないほど似合っていた。それがいやにスローに見えて、夕暮れと車の音と周りの騒音と、全て混在した今の光景は、映画のワンシーンのように綺麗だった。それも確か、初めてラーメンを食った日に思った気がする。
いつから吸ってた?前に聞いたことがあった。その時も水戸は、忘れた、そう言った。いつから好きだった?そう聞いても多分、忘れた、と言うに違いないとオレは思う。誰を?オレを?バカじゃねーの?自問自答して自嘲したくなった。
またバイクのシートに跨り、アパートまで戻った。玄関のドアを開けると、蒸し暑くて吐きそうになる。それは分かっていた。スニーカーを脱いで部屋に入る。カーテンは開いていて、西日が射して一層暑い。水戸は後ろに居た。何も言わなかった。オレは振り返るとそのままその薄い唇に噛み付いた。後はもう、転がるようにベッドに崩れ落ちる。暑くて堪らなかった。エアコン、一瞬だけ考えたけれど、すぐに止めた。あち、水戸が言った。それでも、エアコン点けろ、とは言われなかった。
水戸がTシャツを捲った。撫でて噛んで吸った。水戸の指は、春夏秋冬変わらない。少しだけ冷たくて乾いている。手を繋ぐなんてしたことはないけれど、こいつの汗ばんだ掌なんてオレは知らない。その指で掌で、もう触って欲しかった。通じたのか中心に触れられて、声が上がる。オレの声はでかいらしい。すぐに唇で塞がれる。ぽつり、と何かが頬に触れた。水戸の汗だった。それが酷く劣情を誘う。塞がれた唇から、唸るような短い声が上がった。その内塞ぐことも面倒になったのか、キスが終わる。後ろを掻き回されながら、オレは嬌声を上げるしかなかった。窓からは未だに西日が射している。暑い、暑い、蒸して堪らない。
水戸は声を上げない。入れた時も動く時も果てる時も、短く息を吐くだけだった。それかオレの名前を呼ぶか、それしか声を出さない。でも表情で分かる。もう入れたいと思ってる、それは分かる。その表情は、男のオレが言うのもなんだけど妙な色気があった。その顔を見るだけで、オレはもう果てた。水戸が笑う。嘲笑されている、いつもそう思う。
「ほんと早いね」
言ってから水戸はオレに口付けた。ぽつり、とまた汗が落ちる。足を持ち上げられ、指とは比べ物にならない質量の物が挿入される。またオレは一人喘ぐ。自分の耳に入ってくるその声には、未だに慣れない。慣れないけれど、出るもんは仕方ない。水戸は未だに黙ったままだった。短く息を吐いて、俯いて、その表情は見えなかった。こいつに抱かれながらオレは、喧嘩の延長みたいだといつも思う。甘い雰囲気なんて一切なくて、それこそ殺伐としてひたすら求めるみたいに殴り合うみたいなセックスをする。オレは水戸を引き寄せて肩を噛んだ。噛み千切りたい、そう思ったからだった。いって、水戸が小さく言った。声が聞こえたと、やっと聞けたと、そう思った。首も噛んだ。痛えんだよ、水戸はそう言うと、顔を上げて笑った。そしてすぐに顔を歪め、あ、と言った。驚いた。小さく言って、水戸はまた一層顔を歪めた。その小さな声と表情に、オレはまた先にイキそうになった。水戸、水戸、そう言った。ちょい待って、もう少し、水戸はまた声を出すけれど、その声が少しだけ掠れていてまた身体中が騒ついた。それでも我慢して、多分初めて一緒に果てた。
一度終わってから、エアコンをようやく点けた。終わって冷静になった頭は、暑くて死にそうだと分からせたからだった。それから結局もう一度して、互いに別々にシャワーを浴び、オレは眠くて既にベッドに横になっていた。水戸はベッドに腰掛け、煙草を吸っている。互いに背中を向けていたけれど、オレは頭だけを水戸の方に向けて、その背中を眺めた。水戸の背中はいつ見ても無駄がない。少しだけ白くて、点々と小さなほくろがある。一、二、三、目が良いオレはその小さな点を数えた。でも途中で気持ち悪くて止めた。寝よ、そう思って水戸を見るのを止める。
目を閉じながら考えた。オレと水戸って一体何だろう、と。ダチじゃない。それとは感覚が違う。じゃあセックスするダチ。それはどうかと。それにオレは好きだから違う。でも恋人か、と聞かれたらそれはよく分からない。そのカテゴリーに収まるかと聞かれたら、違う気がする。恋人みたいな甘くて常に隣に居たくて連絡したらそれなりに楽しい会話があって、そういう感覚は一切ない。むしろ距離がないと落ち着かない。甘い雰囲気があっても困る。詰り合って噛み合って啀み合うような。何にもどこにも収まらない、説明しようもないおかしな関係だ。好きだからぎりぎりの淵で成立している。それで気付いた。元々、殴り合うみたいなセックスから始まった。これくらいが丁度いい。だから別に、これで良い。恋人ごっこ、そんな感じ。
その時肩に手を掛けられて、仰向けにされる。見上げた水戸の顔は、ぎょっとして目を開いていた。今まで見たことがない顔で、オレは酷く驚いた。何だ?そう思った。
「何?どうした?」
水戸が聞いたこともないような、神妙な声を出した。
「は?何がだよ」
「どっか痛えの?俺今日は割と普通にやったんだけど」
いつもごめんね、そう言って水戸は苦笑した。考えてみれば、水戸の顔が霞んで見えた。目を擦ると濡れている。オレは自分に引いた。泣いてる、そう思ってぎょっとして引いた。自分にドン引きした。水戸はオレの目を舐めた。しょっぱ、と言って笑った。濡れた髪が額に当たって冷たい。下ろした髪を見るのは久々で、違和感もあるけれど逆にこのままでも良いのに、と思う。
水戸は優しくキスをした。こいつは時々、オレが寝かけている所でまた始める。そういう時は何故か、酷く優しく抱く。理由は知らない。眠い、と思いながらも、睡眠より何よりオレは、こいつに抱かれることを選択する。
「お前ってさぁ……」
オレのこと好きなんだよな?聞こうと思って結局止めた。そのまま唾液と一緒に飲み込んだ。
「何?」
「別に、何でも」
「ちゃんと好きだよ」
分かりづらくてごめんね、そう言うと水戸はまた、苦笑する。
水戸の首に腕を巻き付けながら思う。別にオレは、確認作業をしたい訳じゃなかった。こいつは好きでもない相手の所に、わざわざ二時間掛けてまで会いになど来ないからだ。それをオレはよく知っていた。分かっていた。でも恋人同士じゃない。それも多分、水戸は分かっている。そういう相手じゃない。恋人なんて言葉じゃ収まらない。上手く言えない。ただ、好きなだけ。
水戸は時々、小狡く謝る。狡いと思った。共犯者のくせに、と。





8へ続く。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ