長編

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四月になり、俺は二年に進級した。
花道は今日も体育館でバスケに明け暮れている。それをいつもの四人で眺めながら、あの人はもう居ないことが段々と当たり前になっていると気付いた。俺以外の三人は時々声を出し、「今のは良かった」だの「ありゃダメだ」だの「やっぱ流川はすげえ」だの、完全にバスケ部自体を応援している。俺も見ていると楽しかった。専門的なことは全く分からないけれど、元々レギュラーだった三人のプレイはいつ見ても爽快感がある。花道も去年の春のことを思い出せば雲泥の差だった。リハビリもとっくに終わり、バスケ一直線の姿を見ていると、こっちも安心する。そして流川としょっちゅう喧嘩している所を見ると、変わんねえな、とこれにも安堵する。
三井さんからは時々連絡があった。でも俺は、出られないことが多かった。何しろバイクを買ってローンまで組んだからだ。バイト三昧で夜中まで働く時がある。バイトが終わってから掛け直しても、当たり前にあの人は寝ていて、ついには掛け直すことすらやめた。そうすると朝、もう一度掛かって来る。それには出ると、物凄い勢いの声が返って来るのだ。掛け直せ、と。夜中で悪いから、と返せば、メールしろ、と言ってきた。メール嫌い、と言えば次は、じゃあ夜中でも掛け直せ、と返答がくる。堂々巡りだと分かったから、はいはい分かりました、とこっちが折れた。出ねえじゃん意味なくねえ?とは言わなかった。
彼は東政大学バスケ部の一年として、毎日バスケをしているらしい。高校ほど先輩後輩の垣根がないようで、その上個人練習も自由だと言っていた。つまりは上手くやれているようだった。大学二部リーグのチームだとか何とか、俺にはよく分からない世界だったから、試合があったら見に行く、と話した。花道も部活が休みだったら一緒に連れて行ってやってもいいかもしれない、と漠然と思った。
体育館からは、部員の声とバスケットボールの跳ねる音とバッシュの音が、ひたすら続いて響き渡る。現役運動部員はやっぱりすげえなぁ、と走り続ける連中を見ながら、いつも思う。汗を掻く気温でもないのに、動き回る体育館の中の連中はもう既に汗だくだった。新入部員はまだ居ない。でも時々、見学者は居た。それも結構な人数だった。全国行ったってのはやっぱりすげえんだなぁ、と素直に思った。
体育館の時計に目をやると、もう四時半近かった。そろそろバイトに行く時間だ。今日もファミレスだ。シフトを増やすことになってから早一ヶ月、本当に増えた。時給も多少上がった。学校生活を除けば、生活の半分以上働いている気がする。
「バイト行くわ」
三人に声を掛ける。
「働くねー」
忠が笑った。
「でかい買い物してんだよ」
「また四人乗りしようや」
「勘弁しろよ、お前だけでエンストして故障しちまうだろ」
ちげーねえ!そう言って揃って笑った。
「じゃあな、お先」
三人に手を挙げて去ろうとした。その時大楠が、待った!と声を上げる。振り返ると、結構必死な形相で若干引いた。
「お前今度いつミッチーに会うの?」
「さあ、分かんねえ」
「じゃあ電話でもいいわ、コンパ!女子大生とのコンパ!」
頼んどいて!大楠はそう言って、俺の前で手を合わせる。
「お前直接頼めよ、番号知ってんだろ?俺やだ、めんどくせえ」
「あ!あ!そんなこと言っていいんですか?誰のお陰ですか?おかげさまですよ?オレはお一人様ですよ?」
最後の方よく分かってなかったろ?それは言わなかったけれど、思わず溜息を吐いた。この調子だとしつこく言われそうな気がして、また聞いとく、と返しておいた。頼んだぞ!と頼むというより懇願に近い必死さで、俺に向かって柏手までしている。しょうがねえなぁ、と半分脱力しながら体育館を後にした。今電話しようかと考えたけれど、あっちも部活中だろう。俺も急いでいない訳じゃなかった。また今度でいいや、と一度出した携帯をすぐに制服のポケットに戻した。
引っ越しを手伝ったあの日から、一度も会っていなかった。俺の春休みは、とにかく働いた。普段のバイト先に加えて、単発の肉体労働を朝から夕方までしていたからだ。普通の労働者よりも働いていた気がする。疲労はあったけれど、長期休暇になると大概こんなもんだったから特に違和感もなかった。だから電話があっても出られなくて、折り返しては相手が出ないの繰り返しだった。基本的に、高校生と大学生は時間の流れが違うように思う。三井さんは、春休みの間、大学のバスケ部に通っていたらしい。新入部員で何人か、同じような部員が居ると言っていた。だけれどそれは、朝数分話した程度で、詳しくはよく知らない。
会いたいとは思った。二週間以上顔を合わせないことはなかったから、それなりに考えた。それでも、もどかしくて焦燥することもなかった。こんなもんだ、とどこかで諦めている自分が居るのも確かだった。生活する場所と時間が違うからだ。校門の辺りで、一度だけ校舎を見る。見上げると屋上があった。あそこで毎日のように会っていた日々があった。否応無く過ぎる時間は、酷くしぶといことを知る。思い出した所であの瞬間には戻らないからだ。現実は続く。
今日のバイトは五時から十時までだ。頑張れスポーツマン、ぼそりと呟いた声に、もちろん返答はない。
それからまた数日後、久々に何もない平日だった。昼休みに屋上で、定位置で煙草を吸いながら、どうすっかなぁ、と考えていた。空を仰ぎながらぼんやりと、雲が流れていく様を追っていた。春はとにかく陽気で、むわりとした空気が漂う。その匂いがなぜだか酷く苦手だった。花道は今日も、昼飯をとっとと平らげ昼練に行っている。暇だ、と考えていると、急に携帯が鳴った。この時間帯に鳴るのは珍しかった。シフト変更かと思い取り出すと、そこには三井さんの名前があった。
「はい」
『よう』
「どうした?珍しいね」
『……あの、さぁ』
どうも歯切れが悪くて、何?と聞いても黙っている。少しだけ離れた場所で大楠の姿が見えて、そういえばと思い出した。
「大楠が女子大生とコンパしてくれって」
『はは、何それ』
「うるせえんだよ、してやって」
『お前も来んの?』
「俺行かなくてどうすんの」
また沈黙。軽く首を傾げ、息を吸った。
「どうした?何かあった?」
『今日バイトは?』
「休み」
『……会いたくなったら電話しろっつったろ?』
今度は俺の方が沈黙して、少しの間どこからも物音一つしなかった。それからただ一言俺は、分かった、と言ってから彼の声を聞くこともなく電源ボタンを押した。煙草を携帯灰皿に押し付け、その場を立ち上がった。フェンスの辺りに居た三人はパチンコに行く算段をしているのか、今日入っていたチラシの話で盛り上がっている。俺が今朝、その話をした。
「帰る」
「パチ屋行かねーの?」
「ヤボ用」
じゃあな、そう言って屋上のドアの方向に歩いた。ドアを開けると自然と足は早くなっていて、教室へ向かう。一年七組から、俺は二年四組になった。相変わらず花道は同じクラスで、でも目立つ赤頭は教室には居ない。昼練に勤しんでいる最中だ。自分の机から鞄を取り、教室を去った。クラスの連中は特に気にも留めていなくて、学校生活なんてこんなもんだと流れるように思う。ただ、ここにあの人は居ない。
下駄箱から革靴を取り出し、コンクリートに投げるように置いた。やけに大きく音が響いたけれど、それも気に留めず上靴からそれに履き替え、昇降口を出た。どこかへ行っていたらしき人と擦れ違いながら、俺は逆に校門を出る。原付からバイクに変わって、学校へは電車で通うようになった。学校から駅まではすぐで、着いて定期を出してから構内に入り、電車が来るまで人のあまり居ない駅のベンチに座る。徒歩で帰っても良かった。たかが二、三十分違う程度だった。それでも電車が来たらそれに乗った。一駅で降りて、それから歩いた。海の音を聞きながら歩いた。もう不快とも思わなくなったその音は、ただ近くにあるだけだった。アパートまで戻り、鞄を置いて着替え、それからまたすぐに出る。駐輪場にあるバイクに跨り、エンジンを掛けた。重い振動を体の下から感じながら、アクセルを捻った。
東京のアパートに着いたのは、午後三時前だった。こんな時間に来た所で居ないのは分かっていたけれど、それでも良かった。何でも良かった。部屋の玄関の前に立ち、一応インターホンを押してみる。勿論出ない。引っ越しを手伝った翌日、合鍵を貰っていたからそれを使って開けた。開けたそこは、昼間でも窓の光が入って明るい。靴を脱いで進みながら思う。俺が住む場所とは違う、と。それだけじゃない。匂いも他人の物で、置いてある物も、見える景色も、全く別物で溢れている。
部屋はそこそこ綺麗だった。ローテーブルには灰皿が一つ置いてあり、飲んでそのままのコーヒーカップもあった。苦笑して、それをキッチンのシンクまで下げ、また部屋に戻る。窓を開けると、また春の甘い匂いが漂った。灰皿を持ち、ベランダに出て煙草に火を点ける。吐き出した煙の消え方はどこでも変わらないのに、ここはまるで景色が違う。一本吸って部屋に戻り、ベッドに凭れて座った。ここは静かで物音一つしない。寝よ、そう思った。連日働いて疲弊していたのかもしれない。ベッドに上がり、横になった。匂いがした。あの人が言った言葉を思い出した。本当によく眠れそうだ、そう思った。
目が覚めると、ローテーブルの前に後ろ姿があった。窓の外は暗い。
「俺、寝てた?」
「ようやくお目覚めですか」
振り返って笑っている三井さんを見て、久しぶりにこの顔を見たと、ただそれだけ思った。
「すげえ寝た気がする」
「帰ったら珍しく熟睡してるお前が居たからさー、ほっといた」
面白くて。そう言ってまた、三井さんは前を向いた。テレビが点いていて、興味の沸かない声が聞こえる。ベッドから起き上がり、そのままそこに胡座をかいた。しばらく彼の旋毛の辺りを眺めていると、ベッドの匂いを思い出した。鼻の奥の辺りに、未だにその匂いが霞むように仄かに残る。
気が付いたら手を伸ばしていて、目の前にあったうなじに吸い付く。
「な、何だよ」
伸ばした手を絡めて、後ろから抱き込んだ。そのままずるずるとベッドの上に引き上げ、三井さんを組み敷いた。何も言わず唇に吸い付いて、その柔らかさを堪能する。抱き締めて近くにある肌に鼻を近付け、思い切り吸い込んだ。ベッドより何より、この人の肌の匂いを直接嗅ぐ方がずっといい。Tシャツを捲り上げて、皮膚に触れた。撫でて吸い付いて、彼の声を聞いた。ああそうか、とただ思う。
「会いたかった」
自分の口から出ていた言葉に驚いて、思わず絶句して口を掌で塞ぐ。そのまま動けないままでいると、三井さんの腕が伸びて首に絡まった。彼は何も言わなかった。引き寄せられて、またキスをする。繰り返していると、割り込んでいた膝に硬くなった物が触れた。触って、そう言われて躊躇なく手を入れる。上下に動かしていると、すぐにぬるぬるした物が触れた。指に巻きつけ、後ろに入れた。仰け反る体と、唇から吐き出される声を聞いて、この声も聞きたかったんだと気付いた。
口に出すまで気付かなかった。こんなにも会いたかったのだと、呼び出されて本人を目の前にするまで、俺は知らなかった。
下着を下ろして、そのままになっている物を舐めた。初めてした。されることはあっても、俺がしたことはなかった。後ろを引っ掻きながらすると、彼はすぐに果てた。ティッシュにそれを出して、べろりと舌を出した。その舌をだらしなく開いている、彼の口の中に突っ込んだ。
「まっず、最悪」
「あんたのだよ」
「オレが同じことしたらキレるだろ」
「俺は飲ませたいの」
「もっと最悪」
笑ってはいたけれど、もう限界だった。早く入りたくて仕方ない。
「なあ」
「ん?」
声を掛けられたけれど、おざなりに返答した。もう会話することすら面倒臭い。仰向けになっている体を俯せにさせ、体を抑えつけた。こうすると、自分の背筋が騒ついて体が疼く。
「お前があんなこと言うなんて思わなかった」
あんなことって何だよ言ったこっちも驚いてる。
「もういいから黙ってろ」
会いたかった、もう一度そう思った。思うだけで口には出さなくて、勢いのまま挿入する。動かして抉るように突くと、嬌声が上がる。この場所が好きなことも知ってる。その内「顔が見たい」と言うことも知ってる。この人が俺を好きなことも知ってる。でも俺は知らなかった。この人の皮膚の匂いを求めていたことも、あんなことを口走ることも、安心して眠ることが出来るのも。
酷い恐怖が走った。初めて何かを怖いと思った。でもそれの理由が分からないから、強く抱くしか出来なかった。後ろから抱き締め、その背中に吸い付いて匂いを嗅いだ。




「お前が自炊しろっつったからよー、教わったやつ作ったんだよ」
「いつ?」
「お前が寝てる時」
シャワーを浴びて、もう夜中が近い時間帯に、よく分からない炒飯を出される。へえ、と言った後、いただきます、と箸を付けた。
「笑えるくらい米がべちゃべちゃなんだけど」
「嘘吐け!」
言ってから三井さんも箸を付ける。一口食べて、それの余りの酷さが分かったのか、項垂れた。
「まあ、こういうのは慣れだから」
「言う通りに作ったはずなんだよなぁ……」
「言う通りに作ったらこうはならないけどね」
「うっせーんだよ!お前はもう食うな!」
笑っていると、一人でべちゃべちゃの炒飯を食い始めた。面白い人だよなぁ、と思いながらその姿を見続ける。さっきまでうるさく騒いでいたその人は、今度は大学の話を始めた。ほぼバスケの話で、それに相槌を打ちながら思う。
どうしてか、無性に殴りたくなった。目の前のこの人を。




5へ続く。

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