長編

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こいつを前にしてオレは、八年間何やってたんだろう?だとか、何で急に消えたんだろう?だとか、そんなもんはどうでも良かったのだと気付いた。
ただ、会いたかった。それだけだ。
公園は静まり返っていた。唯一あった水の流れる音も、水戸が蛇口を閉めて聞こえない。それを眺めながら、オレはあれから何も言えずにいた。覚えてんの?ともう一度聞きたかったけれど、上手くはぐらかされそうだと思った。ただその場に立ち尽くしていると、水戸が携帯を取り出し、どこかへ電話している。
「俺。終わった。そう、例の場所。あとよろしく。じゃあ」
水戸は携帯をデニムのポケットに入れた。それから煙草を取り出し、ライターで火を点ける。八年前も同じ仕草だったことを思い出す。自販機の隣に置いてあったベンチ、古びたそれに並んで座り、他愛もない話を繰り返した日々。それを思い出した。オレは水戸の横顔を見て、今と同じ仕草を見て、ひたすらくだらない話をした。声を出していたのはほとんどオレで、水戸はそれに相槌を打つか、時々話すか、その程度だった。それは今まで生きてきた時間に当てはめて換算すれば、ほんの一瞬の出来事なのだろう。それでもオレは、その一瞬が好きだった。また明日また明日、と言えば、水戸は必ず来た。不良の癖に約束は守った。口数は多い方でもなかったけれど、水戸もこの時間が好きだから来るのだと思っていた。
暗い公園内を、野外灯が照らしている。水戸とオレは緩く照らされていて、その光と煙草の煙が交差した。揺れる煙は段々と、夜の闇に消えていく。それを何気なく見上げた。さっき水戸が話していたことは何だろう、と興味はあった。でもやはり、聞いた所ではぐらかされそうだからやめておく。
「あんた何?まだ何かあんの?」
オレは未だにここに居るから、それを聞かれたのだと思った。
「お前、今何やってんの?」
オレは何で普通に、会話が出来るんだろう。気まずさも何もなく、「また明日」がやっと来たみたいに。
「何って?」
「仕事とか……」
言いながら、オレも何?と聞きたくなる。
「何でも屋」
意外とあっさり答えて驚いた。というより何でも屋って。
「何それ」
「言葉のまんまだよ。何でもやるってこと」
「例えば?」
「あんたには言えないようなこと」
それはさっきの喧嘩と電話のようなことだろうか。でも何故か、そこに恐怖や侮蔑は生まれなくて、勿論驚くこともなかった。ただ、へえ、と納得出来たように言った。その様子が可笑しかったのか、水戸が笑う。
「この尋問まだ続くの?」
「尋問って言うな」
こうやって笑うと、やはり歳下に見える。さっきまで五人を相手にしていたとは思えない。あの日と同じだ。
「なあ、まだ話す気?」
「んー、うん」
少し考えたけれど、オレは平然と頷く。水戸はそれに、呆れたように溜息を吐いた。そしてポケットから携帯灰皿を出し、押し付けて捨てる。
「じゃあここから離れるよ。警察が来る」
「え?」
「早く」
水戸の手が、オレの手首を掴んだ。急に引っ張られて一瞬つんのめる。すぐにバランスを直して歩き出したけれど、その力は思いの外強くて驚いた。指先は相変わらず乾いていて、その感触が手首に容赦無く絡みつく。脳裏にあの日の記憶が過ぎった。 指先が触れる、あの瞬間が。思わず空いた手で傷痕に触れる。
公園から出ると、今度はオレが「こっち」と誘導した。近くに自宅アパートがあるからだ。
「何で警察があそこに来んの?」
「呼ぶまでが俺の仕事だから」
よく分からなかったから軽く頭を捻る。でも何となくアウトロー的なことをしているのは分かった。でも何故か、オレは動揺していない。出会い方があれだったし、何しろブラックジャックとも知り合いなのだ。水戸がやることに妙に納得出来ている。そういえば、
「ブラックジャック元気?」
「ああ、おっさん?元気だよ」
「あ!やっぱりオレのこと覚えてやがんじゃねーか!」
「バレたか」
はは、と笑う水戸は、八年前を彷彿とさせた。またオレは、何で急に消えたんだろう?と考えた。最初はどうでも良いと思っていたけれど、覚えているなら話は別だ。でも何故か、それは聞く気にはならなかった。
「どこまで行くの?」
水戸が聞いた。自然と自宅に向かっている自分が居て、あ、と思った時には手首を掴む拘束はなくなっている。
「勝手にオレん家向かってた。近くでさ」
「へえ」
「お前どこに住んでんの?」
「んー?色々。適当に女のとこ上り込んだり、ウィークリーマンション借りたり」
「すげー生活だな、おい」
「仕事が仕事だからね」
どんな仕事だ。裏社会の人間かよ、まじで。でもそれでも、驚きはしなかった。
「オレん家泊まる?」
だから普通に言った。友人を泊める、そんな感覚だった。
「良いの?」
「良いよ。行くとこないなら」
オレはただ単純に、「また明日」の続きがしたかったのだと思う。あの日それが言えなかった罪悪感からだった。オレが言わなかったから来なかった、そう思っていたからだ。要するに後悔していた。だからだ。それに、少しだけ高揚していた。退屈だった日々が、こいつのお陰で変わるかもしれない、と。
水戸は何も言わず着いてきた。本当に家がないのだと思った。久々にまた、くだらない話をした。アパートに着くまでの数分、オレは自分の話をした。今は営業やってて、そう言うと水戸は、スーツだから最初分かんなかった、と返した。酒飲める?と聞くと、ザルだよ、と言う。買い置きあったよな、と頭の中で冷蔵庫の中身を思い出す。
数分歩いて、自宅アパートに着いた。何の変哲もない、普通のアパートだ。1LDKでリビングが少し広いから、人一人増えた所で特に問題もなかった。鍵穴に鍵を差し込み、玄関を開ける。スイッチを入れて灯りを点けた。お邪魔しまーす、という小さな声が聞こえて、それは平坦で悪びれる様子もなくて、こいつは本当に人の家に上り込むのが普通なのだと知った。今までどんな生活してたんだ?こいつは。素直に疑問を抱いた。
リビングに入って、またスイッチを入れる。ぱっと明るくなったそこは、少しだけ雑然としていた。テレビとローテーブルと、フローリングに散らばった雑誌。それからダブルベッド。体がでかいから、普通のベッドだとさすがに無理なのだ。水戸は一言、座るよ?と聞いた。オレも、おう、と短く返事を返す。スーツを脱いでネクタイを外し、ドレスシャツを脱いだ。それからスラックスも脱いで、ベッドに投げっぱなしにしていたスウェットを履いてパーカーを羽織る。そこでようやく息がつけるのだ。はー、と長く溜息のような物を洩らしてから、冷蔵庫にビールを取りに行く。これが帰ってからオレが最初にする一連の流れだった。
「ビール飲む?」
「飲む。三井さん、灰皿ある?」
一瞬驚いた。動揺した。三井さん、と呼ばれたことにだった。そういえば、久し振りに会った時名前を名乗った。その上覚えてるんだった、とすぐに平静を取り戻した。冷蔵庫からビールを二本取り出し、座っている水戸に一本渡し、灰皿になりそうな使っていない小さい深皿を渡した。それから水戸の斜め横に座る。
「三井さん吸わねえんだ」
「大学の時一回遊びで吸ったけどマズくてやめた。オレからしたら、何で吸ってんの?って思うよ」
ビールのプルタブを開けて、飲んだ。定食屋でも一杯飲んだけれど、それとこれは何か違う。心底ホッとする美味さだった。水戸も飲んでいて、何気なく辺りを見渡す。やはり雑然とした部屋に、掃除しとけば良かったと思う。
「さっきのってさー」
「ん?さっきの?」
「喧嘩っつーの?」
「ああ」
この部屋に二人で居るのがなぜか罰が悪くて、聞かなくて良かったかもしれないことを聞いた。もっとも、教えてくれるとは思わないけれど。
「まあ、もう言っても大丈夫かな。逮捕されるだろうし」
「逮捕?そりゃまたすげー話になってきたな」
言って良いんだ、と思ったと同時に、特に驚きはしなかった。だからなのか、水戸はまた笑う。
「あいつらこの辺で相当な悪さしてたんだけど、まあ証拠を残さねえの。そうなると警察は手ぇ出せねえから、喧嘩沙汰にして警察が来て事情聴取。で、口割らせて逮捕。そんな流れだろうね」
「それってお前危なくね?」
「それがそうでもないんだよねー、上手くやってんの」
はぐらかすように笑い、水戸はビールを飲んだ。上手くやる、というのは、上手く出来るようになった、ということだろうか。なかなか物凄い世界だ、と何気なく考えながら、オレもビールを飲んだ。つまみが要るかもしれないと、立ち上がって冷蔵庫を開ける。冷蔵庫には何もなかったが、乾き物を発見する。スルメ、これしかない。仕方なくスルメを出すと、水戸は手を付けた。
「他にはどんなことすんの?」
「だから何でもやるよ」
「例えばー……、住み込みで家事代行とか?」
「はは。頼まれたらやるよ。料理も掃除も嫌いじゃないし」
「まじかよ、頼もうかな」
「住まわせてくれるなら食費くれるだけで良いよ。ここベッド広いし、俺一人増えても問題なさそうだし」
決めるポイントそこ?と的外れなことを考えながら、オレは頭の中で即決していた。何しろこの部屋だ。掃除も手を抜いているし、最近手料理も食べていない。コンビニ飯、惣菜、定食屋、はっきり言って、もう嫌だ。
「よし!雇う」
「ありがとうございまーす」
「お前着替えは?」
「明日適当に買うわ」
そうと決まればとりあえず何か貸そうと、クローゼットを開ける。ジャージやTシャツは自慢じゃないが多い方だ。バスケをやっていた時の物が捨てられないからだった。身長がどうかと思ったけれど、まあどうでもいいや、と適当に出した。下着は新しいのがあったし、長袖Tシャツとジャージ、とりあえずはこれで良いだろう。あとは、買い置きの歯ブラシもある。でも考えてみれば、食費だけって有りなんだろうか。仮にも仕事だろうに、と。いや、こいつのことだ。他にも色々とやるのだろう。多分寝床が欲しいだけだ、そう思った。着替えと歯ブラシを水戸に渡すと、どうも、と言って受け取った。
オレはまた座って、スルメをアテにビールを飲む。しかしあっさりと雇うと決めて、あっさりと了承されたけれど、今日久々に会う人間に対して簡単に信用しても大丈夫なのだろうか、今更不安になった。その上、久々に会うとはいえ、八年前に少しだけ話した程度の相手に。しかも住み込みで。あ、ヤバい。もしかしてヤバいことしたかな。もしかしなくても、これって結構ヤバい状態じゃね?
オレは少しだけ動揺していた。どんな話を聞いた後より、多分今が一番動揺している。ちらりと水戸を見遣る。その時目が合う。かち合って何秒か、そのまま動けなくなる。小さなローテーブルに、水戸は缶ビールを置いた。その音が酷く大きく響いた気がした。壁掛け時計の秒針の音が聞こえる。大きく、大きく。かちかちかち、と音を立てる。そのまま何秒経ったか分からない。ただ水戸は、ずっとオレを見ている。さっきまであった動揺は、既に呆気なく消えている。水戸の目を見ているからだった。なんて安易な、そう思う。でもその目を見て、ああそうだった、と思い出した。あの日、最後にあった日、水戸はオレにキスをしたのだ。傷痕に触れて唇に触れて、キスをした。奥の方に閉まっておいた記憶が、容赦なく引っ張り出される。その時の目も、これと一緒だった。
「三井さん」
「何?」
「三ヵ月」
「何の話?」
「三ヵ月経ったら、俺また消えるから」
「今度はどこ行くの?」
消える、そう言われても驚かなかった。何となく、居なくなることは予想していた。ただ、期間をはっきり言われるとは思わなかった。
「そうだな、宇宙に帰る。俺宇宙人なの、実は」
「ぶはは!どこに隠してあんだよ、宇宙船は」
「内緒」
互いに笑った。それでも目を離すことはしなかった。
「お前さ、何でオレを思い出したの?最初分かんなかったんだろ?」
それには答えず、水戸の指先が伸びてきた。その指が触れることは、オレはもう分かっている。傷痕に伸びて、撫でる。
「やっぱり消えてない」
「残るって言われたろ?ブラックジャックに」
「そうだったね」
それから唇を撫でる。水戸の指先はやはり乾いていて、オレはその感触を確かめるように動かない。抵抗しようと思えば出来る。いくらでも出来た。でもしなかった。出来ないんじゃない、しない。
「やっぱり、俺が付ければ良かったな」
忘れた振りをしていた。あの時水戸が消えて、オレは酷く焦燥した。何でだと嘆いた。バスケが無くなって、失って、それを救ってくれたのは間違いなく水戸だった。路地裏から連れ出してくれた時に見上げた晴天、あの青と鱗雲、それをオレは未だに覚えている。あれを見せてくれたのも水戸だった。水戸は唯一の救いだった。でもそれだけじゃない。要は、惚れていたのだ。衝撃的な一日と、くだらない話をした数日でオレは、あの男に恋をした。背中を見せてふらりと消えた男をオレは、今も忘れられずにいたのだ。だから簡単に家に泊めようとして、離したくないから繋ぎ止めようと雇う。それが危険かどうかも顧みず、危うい仕事を顔色変えずにやり遂げる水戸を。
指先が唇から離れる。水戸の顔が近付き、唇同士が触れ合う。一度だけじゃなく何度も何度も触れ合う。水戸の手が顔を撫で、乾いたそれが心地良くて目を閉じた。一度離れて、もう一度キスをする。そればかり飽きずにした。
「何でも屋さん」
離れた瞬間、オレは声を出した。
「何ですか?雇い主さん」
「もう一つやって欲しいこと増やしても良い?」
「どうぞ」
「三ヵ月でいい」
また明日の続きを、三ヵ月でいいから。
「三ヵ月でいいから、オレの恋人になって」
水戸に手を伸ばしてオレから抱き締めた。答えはまだ聞けていないけれど、水戸の手が抱き締め返したことは分かった。水戸は確か、適当な女のとこに上り込む、と言っていた。きっとその女達にもオレと同じようなことをして、同じようにやり込めたに違いない。こいつは自分の長所をよく分かっている。今度はそれが男になった訳だ。可笑しな話だ、オレは心底そう思う。
またどこかへ消える男にオレは、恋人になれと依頼する。




3へ続く

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