violet eyes

□キスの記憶
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 深淵から浮かび上がる意識。だが俺に許されたのはそれだけで、体を全く動かすことができず、目も開けられない。それでも全機能を停止していない身体は遠くに聞こえる音を捕え、鈍くても触られていると感じる。
 …さっきから髪を梳くようにしながらずっと頭を撫でているのがいる。この手の感触は今まで一緒に過ごしてきた妻のもの。温かく優しい。
 とその時、少し慌てたような男の声が耳に届く。
 アイツの声。誰よりも…好きなアイツの。結局…想いは届かなかったし、もう二度と…伝えることすらできなくなる。
 でも…最期くらい、いいよな?
 誰に聞くでもなくそう思うと、俺はアイツと出会った頃のことを思い返す。


* * *


 アイツと…昴と出会ったのは高校の時。入学式の後、話し声が聞こえて何気なくそっちを向いた先にいた。
 小柄な背丈、栗色のふわふわとした髪、大きめの瞳。声もさほど低くはなく、男の制服を着ていなければ女と間違えかねないその容貌。その意外性に、人とかかわることが面倒くさくてクラスメイトの名前もろくに覚えない俺がその男のことを認識した。そしてその後のホームルームでの自己紹介で名前を覚えた。綾瀬昴、と。
 だが…それ以上距離が縮まることはなかった。俺から話しかけることはないし、昴はもともと仲がいい友達がいたのか大抵そいつと話していた。そうでなくても昴の周りにはたくさんの人間がいて、群れることを嫌う俺は昴に近づくことができない。
 しかし思ってないことから転機がやってきた。その日も俺はいつものように退屈な学校生活を終え、家に帰った。
 俺の家族は母親だけで、その母親も大学の教授様をやっていて忙しく、ほとんど家にいることはなかった。血が繋がっているだけの赤の他人。その時の俺はそう思っていた。
 家に入って、俺はすぐに異変を感じた。ゆっくりとそっちに足を向ける。緊張からか無意識のうちに呼吸を詰め、鼓動が速くなっていった。
 たどり着いた先に見たのは…血だまりに倒れる母親の姿。何とも思ってなかったはずなのに、俺はその光景を認めたくなかった。それでも頭の片隅でしないといけないことはわかっていて…しばらく立ち尽くした後、俺は人形のようにそれを遂行していった。
 そこからの記憶は曖昧で…事あるごとに耳元で声が聞こえる。母親が死んだのはおまえのせいだと。それだけでなく夢の中で血まみれの母親からあんたさえいなければと糾弾され、夜飛び起きることが増えて寝不足に陥った。
 やがて母の死に対するショックと繰り返される悪夢に俺は精神的に危うくなり、ナイフを取り出した俺。そんな俺に気づき、手を差し伸べたのが他でもなく昴だった。その時の俺はそれが夢か現かわからなかったけど。
 そしてその次の日。久しぶりに頭が冴え、ここで生活していると実感ができた俺は裏庭へと向かった。
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