恋海short-story

□譲れない場所
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厨房から漂ってくる甘い匂いに誘われて、俺は甲板掃除を途中で投げ出して厨房の前へと来た。



「わぁ〜、大成功ですねナギさん!」

「ああ、始めて作ったわりには上手くいったな」



どうやらクッキーらしきものが焼き上がった様子…

クッキーって…

ひよりが来るまでこの船でお菓子なんか作ったことなかったじゃねーかナギ兄!!



俺は小窓から中の様子を覗くと、ひよりは後ろ姿しか見えないが、ひよりと向きあっているナギ兄の顔が見えた。



ぶっ!

なんつー甘い顔してんだよ!

俺の憧れのカッコいいナギ兄のイメージが…

作ったこともないお菓子を作ってあげて、喜ぶひよりを見てデレて、しかも…



「おい、口開けてみろ」

「え?」

ひよりにあーんまでしてあげるなんて!!



「ちょっと待ったあぁぁぁ!!」



俺は堪らず厨房へ飛び込んだ。

ひよりとナギ兄はあーんの態勢で固まったまま、二人して俺を見た。





「ナギ兄!俺も!俺もクッキー食べたい!」



ひよりの横で、餌を待つ雛鳥のように口を開けてクッキーを待つが、いつまで待っても俺の口にクッキーが入ることはなく…

ちらりと様子を伺った俺の目に飛び込んできたのは、包丁をちらつかせたナギ兄の怒りに満ちた表情と、そんなナギ兄と俺を見てオロオロとしているひよりの姿だった。











「ちぇっ」



結局クッキーを味見させてもらえず、ナギ兄のげんこつだけ喰らった俺は、一人見張り台で拗ねていた。



なんでぇなんでぇ、ひよりの奴。

ナギ兄に可愛がられて、いっつも料理の味見させてもらってさ!

ひよりが来るまでは、ナギ兄の料理の味見は俺の役割だったんだかんな!それが最近では厨房にすら入れてもらえねーし!


しかもしかも…

俺は、無表情なナギ兄のあーんな優しい笑顔、見たことなかったっつーの!



ほんと腹立つあの女!

ぜってーまた虐めてやる!



ゴロリと見張り台に寝転ぶと、誰かが階段を上がってくる音が聞こえた。



「ハヤテさん」

ひよりだった。

「何だよ」

俺はブスっとしてひよりに聞く。

今いっちばん見たくない顔なのに!

ひよりはポケットからゴソゴソと何かを取り出すと、

「これ、どうぞ」

とにっこり笑って俺に包みを差し出した。

「何だよ、これ」

ひよりからその包みを受け取る。

中身を見ると、割れたクッキーが三枚入っていた。

「ハヤテさん、さっきクッキーすごく欲しそうにしてたから、くすねてきちゃいました。ナギさんは、休憩時間までダメって言ったんですけどね」

「…ひより」

俺は、貰ったクッキーを一つ、口に入れる。

それはサクサクとした触感で、口に入れるとほろりと甘い味がした。

「ちょーうめー!!」

「でしょ?とても始めて作ったとは思えませんよね!」

ひよりは満面の笑顔を俺に向けた。

何こいつ、ちょーいい奴じゃん!

「そういえば見張り台って、始めて登りました!気持ちいいですね!」

風で舞う髪を押さえながら、ひよりが言う。

「だろ?俺のお気に入りの場所なんだ」

俺はすっきり機嫌がよくなり、ひよりの事をいい加減虐めるのはよそうかなって気になってきた。

俺は、手の中にある残り二つのクッキーを見つめる。

そして小さい方を選ぶと、ひよりに

「ん」

と差し出した。

ひよりはびっくりしたような顔をしていたが、俺の手からクッキーを受け取ってにっこり笑った。

「ハヤテさんて、優しいですね」

「お前もな」



俺達は顔を見合わせて笑い、並んで海を見ながらクッキーを食べた。

それはさっきよりも優しい味がした。



こんなに美味しいオヤツが食えるなら、ひよりがこの船に来たのも、案外悪い事ばかりじゃないかもしれない。

俺はそんな事を思いながら、放り出していた甲板掃除に取り掛かることにした。





結論:食べ物くれたら誰でもいい人。

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