小話纏め-4

□【薬指】
1ページ/1ページ

俺は見てしまった。回収から帰って、いつものように手を洗う為、黒革手袋を外したアランの細く華奢な指に、シンプルなプラチナのリングが輝いているのを。それも、左手の薬指だ。

パートナーを組んで一年、蜜月とも言えるような関係を築いてきた俺たちなのに、相談も報告すらもなく、アランは結婚したっていうのか。あまりのショックに、その場では問いただせなかった。ギクシャクとその輝きを目で追っている内に、アランはまた手袋でその『秘密』を隠してしまう。

アランが結婚したなんて、ミーハーな庶務課の女たちの噂でも聞いた事がなかったから、それは本当に『秘密』なのだろう。いっそ、知らなければ良かった。そうしたら、これまで通り楽しくやっていけたのに。

動揺した俺は、アランに一言もかけずに一人回収課に向かって踵を返した。

「エリックさん?どうしたんですか?」

いつもなら雑談しながら一緒に辿る道のりを、アランが小奇麗なハンカチをしまいながら慌てて追い縋ってきた。でも俺は、表情を硬くしてぶっきらぼうに答える。

「何でもねぇ」

「何でもないって顔じゃありませんよ?大丈夫ですか?」

それをお前が聞くのか。大丈夫じゃねぇに決まってんだろ。でもそんな心の内は隠して、俺は上手に感情に蓋をした。

「何でもねぇって。悪りぃけどアラン、俺、野暮用あっから今日はランチ一緒に食えねぇわ」

アランは、残念そうに眉尻を下げた。

「そうですか…。じゃあ、また後で」

そう言って、笑顔を見せながら手を振って食堂に向かっていった。その眩しい笑顔は、いつもと変わらない。いや、心なしかいつもより明るい。俺以外の誰かが、その明るさを支えているんだろう。

派遣協会の外れにある備品庫に入って、誰も居ないのを確かめてから、俺は深々と溜め息をついた。

「アラン…」

無意識に、わななく唇を覆ってしまう。あんなに俺に懐いてたのに…あれはただの友情だったのか?合コンに行く事を責め、朝にはモーニングコールをくれ、季節ごとのイベント日にはラヴレターとも取れるカードを贈ってくれた。

いつしか、生まれて初めて『愛情』という二文字を意識していたのは、俺だけだったのか?アラン。お前に選ばれた女は、生涯を幸せに過ごすだろう。俺は、物理的に痛む胸を押さえて、浅ましい嫉妬を何とかやり過ごす。

お前が幸せなら、良いさ…。これは、散々一夜の火遊びを繰り返してきた罰なんだろう。誰にも『秘密』なのだろうが、俺は知ってしまった。せめて、俺だけでも祝ってやったら、アランは喜ぶだろう。そう思って、俺は昼休みを潰して派遣協会を抜け出した。元より、昼飯なんか入りそうにない。

それでも、ささやかな抵抗を示して、黄色い薔薇の花束を買った。それを目立たぬように英字新聞で覆って貰って、午後の始業ギリギリで派遣協会に戻ると、アランを屋内階段に呼び出した。

「何ですか?エリックさん」

小首を傾げる仕草が、他の誰かのものだと分かっていても、目の前にあれば愛おしい。俺は、新聞紙を取り去って花束を差し出した。

「結婚おめでとう。アラン」

「えっ?!」

予想に反して、アランは戸惑ったような顔色を見せる。突然過ぎただろうか。だけど見る見る内に、アランは頬を赤らめた。

「あの…リング、見たんですか?」

「ああ。まだ婚約だったか?どっちにしろ、受け取ってくれ」

「いえ、あの、違うんです!」

声を一段高くして、アランは何やら必死に、もつれる言葉をひねり出し始めた。

「これは…そういう意味じゃなくて…その、指輪言葉っていうのがあって…」

俺は花束を差し出したまま、ポカンと固まった。

「指輪言葉?そんなのがあるのか?じゃあ…結婚した訳じゃないんだな?」

「とんでもない!あの、男性が左手の薬指にリングをはめるのは、『片想いしてるヒトがいる』って意味で…」

いったん上昇した俺の気分だったが、それを聞いてまた下降した。要は、モノにしてるかしてないかの違いだけで、アランには想いビトが居るって事だ。

「そうか…。でもせっかく買っちまったし、その恋が成就するように、やっぱり受け取ってくれ」

「エリックさん…でもあの…黄色い薔薇の花言葉、知ってます?」

「さあ?単に綺麗だったから買っただけだ」

俺はせいせいしながら、空っとぼけてみせる。

「『軽薄な女』ですよ。今度選ぶ時には、気を付けてくださいね。…でも、エリックさんからの初めての気持ちだから、嬉しいです」

花束を受け取って香りを楽しむアランは、本当にとびきり嬉しそうだった。やめてくれアラン…お前は、誰にでもそんな笑顔を見せるのか?その時、アランが言った。

「指輪言葉、もう願いが半分叶いました」

「あ?どういう意味だ?」

「エリックさん、分かりませんか?俺、片想いしてるんです」

「ああ。それは聞いた」

「そのヒトから、花を贈って貰えたんです」

「……………ん?」

たっぷり十秒かかって、俺はようやくその言葉の意味の片鱗を掴みかけていた。同じ色のアランの瞳を覗き込むと、幸せそうにそれは弓月のように細められた。

「………俺か?」

「はい!」

思いも寄らなかった展開に、棒立ちのまま唖然とする俺の表情を見上げて、アランは悪戯っぽく笑った。

「エリックさんの返事によっては、俺、左手の親指に着けかえます」

「親指の指輪言葉は?」

「『愛を貫く』です!」

「………」

「んっ…」

俺は無言でアランに口付けた。黄色い薔薇の花弁が散って、足元を鮮やかな色彩で祝福してくれた。

End.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ