小話纏め-4
□【初めての朝】
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俺は昨夜、久しぶりに二十一時過ぎまで残業をして、酷く疲れてアパートに帰ってきた。
「シャワーは明日にしよう…」
独りごちてから、スーツをクローゼットにかけ、ループタイを緩めてワイシャツを脱ぎ、パジャマに着替えてベッドに沈む。二十二時半には、眠ってしまっていた。携帯はサイレントマナーにするのが、俺の就寝時の習慣だ。
よく眠ったせいもあって、翌朝はスッキリと目を覚ます。寝汗でしっとりと湿った肌を、ぬるめのシャワーでクールダウンして。朝食はスクランブルエッグに、カリカリに焼いたベーコンに、グリーンサラダにベーグル。料理は得意ではないので、ほぼ毎日そんなメニューだった。
エリックが来ている時は、夜の内に仕込んでおいた生地で、手作りの焼きたてパンが食卓に並ぶのだけど。そんな事を考えながら、部屋に篭る食材の香りに気付き、換気扇を回した。
途端。──ガタッ。
「ん?」
玄関上の排気口に繋がってるそこから、何かが動く音がして、俺は玄関扉を振り返った。ごそごそと扉と何かが擦れ合っている音が、確かに聞こえてくる。
『アランお前、自覚しろよな。ストーカーとかに気を付けるんだぞ』。
瞬間、そんなエリックの言葉が浮かんだ。思わず冷や汗が頬を伝って、俺は携帯に飛び付いてエリックにかけていた。
──トゥルルルルル…。そのコール音が、両耳からダブって聞こえるような気がして、俺は不思議顔で携帯を一度耳から離した。コール音は、確かに玄関扉の外から聞こえていた。
『…もしもし?アラン、起きたか?』
その声までも、外からダブって聞こえてくる。俺は慌てて、玄関へと向かった。
「エリック、今外にいる?」
『ああ。お前んちの外だ』
「待ってて!今開ける」
そう言って終話ボタンを押すと、俺は急いで扉を開ける。こんな時に限って、ドアチェーンにもたついて焦ってしまう。ようやく開けると、少しヨレヨレになったスーツのエリックが立っていた。
「エリック、いつ来たんだ?!」
「ああ…さっき」
エリックがブロンドの後ろ頭をかきながら、目を泳がせる。嘘をつく時の癖だ。
「ごめんエリック!俺、昨日疲れてて連絡もしないで早寝しちゃって…」
「気にすんな。お、旨そうな匂いだな。俺にも作ってくれよ、アラン」
何でもない風を装いながら、エリックがダイニングに入っていく。でもその後ろ姿には、お尻に微かに汚れが目立ち、外で座って一夜を明かしただろう事が窺える。玄関を施錠してから、俺はエリックの手を後ろから引いた。
「エリック、本当にごめん!でも、何で帰らないでずっといたんだ?」
スラックスのポケットに両手を突っ込んでいたエリックが、ふと振り返った。悪戯が成功した時の、悪童のような色で瞳を輝かせて。
「アラン、昨日、何の日か知ってるか?」
「え…?」
エリックはよく、俺も忘れているような記念日をサプライズで祝ってくれたりする。また、何かの記念日だろうか。当てられないのが、何だかいつも後ろめたくて、一生懸命考えた。
「え、えぇっと…」
顎に手を添えて考え込んでしまう俺に、エリックがプッと噴き出した。
「ああ、知らねぇんなら良い」
そう言うと、両手をポケットから出して、俺に向き直って左手を取られた。にわかに、何をされたのかは分からなかった。だけど、エリックの拳の中で一晩中暖められていたプラチナの温度が心地よくて気が付いた。
「エリック、これ…!」
「昨日は、『良い夫婦の日』だ、アラン。本当は、昨日の内に渡したかったんだけどな」
俺の左薬指には、サイズのピッタリなプラチナの台にダイヤが埋め込まれたリングがあった。
「アラン、結婚してくれ」
「…エリック!」
その言葉が嬉しくて、俺はエリックの首根っこに飛び付くように抱きしめていた。エリックが声を立てて笑う。
「おい、返事を聞かせてくれよ」
「決まってるだろ!イエス!だ!」
俺はまだ何か言おうとするエリックの唇を自らの唇で塞いでしまい、初めて自分からエリックをベッドへと導いた。遅刻なんて気にしない。『初夜』ならぬ、『初朝』が始まる。
End.