小話纏め-3

□【星の稜線】
1ページ/1ページ

ちょっと贅沢をして、俺たちは個室に露天風呂の付いた二人部屋に泊まっていた。一年と三ヶ月ぶりに、休暇が重なると知れた時、すぐにエリックがとってくれた部屋で、ベランダを開けて俺は感嘆の吐息をついた。

「わぁ…木の、良い香りがする」

「気に入ったか?」

「うん」

ベランダから続くひのきの床と湯船も気に入ったが、そこから見える鬱蒼とした山並みも気に入った。俺は黄色く濁った湯を湛えている湯船に手を入れると、少しすくって立ち上がり、高い所から滴らせ、硫黄の香りも楽しんだ。目を閉じ、すんすんと鼻を利かせていると、身体がふわりと何かに包まれた。

「んっ…」

びっくりして目を開けると、エリックに口付けられていた。その強引さに僅かにもがくが、エリックは抱き締めた腕を離してくれない。荒々しいと言えるほどの嵐のような舌技に翻弄されてしまう俺は、いつの間にかエリックの背に腕を回し、身体が崩折れないように強く抱き締め返していた。

「んんっ…はぁ…」

唇の間にようやく隙間が開き、銀糸がぷつりと途切れる。とろりと潤んだ瞳でエリックを見上げると、俺の好きな片頬を上げるニヒルな笑みが、間近で花開いた。

「自力で立てるか?」

「ん…頑張る」

いつもエリックのペースにハマって鳴かされる羽目になる俺は、思わずそう零した。エリックが笑い声を立てる。

「頑張らなくても、運んでやるぞ」

「ベッドに、だろ?」

俺は頬を上気させて少し上目遣いにエリックを睨めつけた。また片頬が上がる。

「バレたか」

「もう…少しは景色とか楽しもうよ」

「アランより綺麗な景色があるとは思えなくてな」

口喧嘩では勝てないくせに、こういう時だけ、エリックは俺を黙らせるような台詞を吐く。言い返すと本当にベッドに直行させられそうなので、俺は無言で身を離し、部屋に戻ってループタイを緩めた。スーツのジャケットも脱いで、ハンガーにかける。

間もなく、陽が沈む。西向きに作られた露天風呂は、山並みに沈む夕陽が売りのホテルだった。それを見たくて、部屋に入ってきたエリックに声をかける。

「エリック。お風呂入って、景色見よ」

「ああ。そうだな」

エリックも、タイを外してさっさと逞しい裸体を晒す。手桶で湯を浴びると、一足先に湯船に漬かった。腕を湯船の縁にかけ、山並みを眺めるエリックの背筋は、くっきりと浮いている。俺も筋肉は付いてるが、どう鍛えてもエリックみたいにガタイがよくならない。それが何となく恥ずかしくて、あまり一緒にお風呂に入った事はなかった。

「アラーン。早くしないと夜になっちまうぞ」

チラリと振り返り流し目をくれ、エリックが呼ぶ。ワイシャツのボタンに指をかけたまま、その身体に見惚れていた俺は、ハッとして返事した。

「う、うん!今行く」

エリックがベッドに脱ぎっぱなしにしたスーツもハンガーにかけ、腰にタオルを巻いてベランダに出る。湯浴みをし、湯船に入ってからタオルを外して傍らに置いた。いつまでも光の中に裸体を晒すのには慣れず、他人行儀に並んだ俺を、でもエリックはからかわずに迎えてくれる。

「ギリギリセーフだったな」

「あ…ホントだ」

陽は、青々とした山並みに沈みかけていた。オレンジ色に染まる景色の中で、エリックが俺の肩を抱いてぐいと引き寄せた。チャプン、と湯が跳ねる。

「エリック…」

「綺麗だな…アランの次に」

その台詞には、余りにも気障過ぎて思わず笑いが込み上げてしまった。

「何笑ってんだ。事実を言ったまでだが?」

エリックも笑いながら、向かい合って額を触れ合わせるようにして顔を覗き込まれる。お互いに誘い笑いで、笑いが止まらない。滑らかな湯の中で、エリックの指が俺のわき腹をくすぐった。

「こら、エリック…!」

俺も負けじとくすぐり返す。じゃれ合っている間に、オレンジ色の夕焼けは一瞬煌めいて終わり、薄紫の夕闇がやってきた。驚くほど唐突な色彩の変化に、俺たちは、

「「あ」」

と同時に漏らして山並みを振り仰いだ。輪郭だけが線を引いたようにオレンジ色に淡く光り、夜の闇が迫っていた。

「エリック!一番良いトコ見逃しちゃっただろ!」

「悪りぃ。でも、楽しかっただろう?」

言われてみれば、確かにそうだった。仕事を忘れ、日常を忘れ、心からエリックを愛してると思えた時。

「そう、だな。この景色も綺麗だし」

「アラン」

エリックの手が、俺の下腹部へ滑り込んだ。自身を握られ、上下に緩く扱かれる。突然の愛撫に、俺は声を裏返させた。

「んっ、ぁっ…」

「気持ち良い事しようぜ、アラン。これなら、景色も見られるだろ?」

「ゃん、エリック…!」

エリックの肩越しに、オレンジ色の稜線が左右からじりじりと消えていき、闇に溶ける所が見えた。全ての部屋が露天風呂付きな為、俺は必死に声を押し殺す。やがて快感に滲む視界の中で、魂みたいに小さく光り輝く満天の星空がゆらゆらと揺さぶられるのを、俺は鈍る意識の中で長い事見詰めていた。

End.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ