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□舐
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たとえば、の話である。
もし君が人間でなかったなら―それこそ君の手の中で泳ぐそれだとしたら―私は君を愛することができただろうか。答えは即答できる。否、否である!
たとえば、の話である。
「なんじゃ、そっけないのう」
私の話を聞きながら先程掬った金魚を見つめて、仁王くんはにやにやと笑った。
袋の中で窮屈そうに泳ぐ金魚たちのきらきらと光る赤い鱗と濁った瞳が余りにも対照的で、思わず目を逸らした。
「だからたとえば、と言ったでしょう」
おもちゃ箱をひっくり返したように、きらきら、がちゃがちゃと祭りは私たちを無視して時間を止める。
普段ならきっと何とも思わないであろうカラフルなスーパーボールはガーネットだとかサファイアといった宝石に見えるし、普段なら格段食べようとも思わないタコ焼きだとか、合成着色料で彩られたかき氷も、今夜限りはフランス料理よりも魅力的に見える。全くもって恐ろしい。祭りは人を狂わせる。
「射的」
仁王くんが独り言のようにぽつりとそう漏らす。彼はぎゅうぎゅう詰めの屋台の真ん中を指さしていた。
「俺、得意なんじゃ」
瞬間、目が合う。彼の金色の瞳が光を帯びて、私は瞬間的に彼が白狐様で、私のことを騙そうとしているんだと錯覚する。案外そうなのかもしれない。
「そうなんですか」
手の中のりんご飴の端をかじる。ルビーの宝石のようにきらきらと輝くそれは、宝石とは程遠く、安っぽいべたべたとした砂糖の味がした。
「ゲーム機とかレアモンを俺が全部とるもんじゃから、周りのガキンチョと屋台のオッサンにやめてくれと泣かれたこともあったのう」
白孤は喉を鳴らすようにくつくつと笑った。
いつからか、彼は私の前で声を出して笑わなくなった。
逆にいうと、私以外の人間には声を高らかに上げながらけらけらと心地の良い声で笑うのだ。
それに気づいたとき、同時に今の私たちの関係はもう相当脆くなっていて、進むこともできなければ戻ることもできない―もう、崩れていくしかないのだと、ただ無感情にそう思った。
きっと彼は私よりずっと聡いから、とっくの昔にそれに気がついていて、崩れてゆくをぼんやり眺めていたに違いない。
きっともう長くない、そんな関係だけれど、それでも君とここにいるというその事実だけがただ私を動かしていた。
「仁王くん、あの、手、繋いでください」
ぴたりと笑い声が止む。
彼は戸惑ったようにちょっぴり眉を下げて少し俯いた。
俯いたのは一体何年前だったか―私にとってはそれほど長く感じるくらいに彼は沈黙する。
そうして、ようやく全てに気付いたように私の顔を見た。
「…いいぜよ」
彼は少し掠れた声でつぶやき、―まるで独り言のようだった―そっと手を差し出した。
祭りは私たちを無視して時間を止める。そっと私の手の平に触れてきた小さな熱は、祭りを無視して私たちの時間を止めた。
すべてが止まる。呼吸も、心臓も、一切合切が止まる。その中で白孤のようにはかなくうつくしい彼は言葉を紡ぐ。
「―好きだった、好きじゃったよ、柳生」
そうしていつものように、そっと触れるだけの接吻を私にした
(もし、このまま時が動かなかったなら、)
はたして、私は救われただろうか。
手の平から小さな熱が離れ、そして時は動き出す。
瞳の濁った金魚と目があって、ざまあみろと言われた気がした。
祭りは人を狂わせ、そうしてひとつの恋を終わらせた。私は喉でくつくつと笑う。彼の顔はもう歪んで見えない。
舐め合う僕らの左手に散弾銃
*
おかしい。いちゃいちゃさせるつもりだったのに。おかしい。
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