book1


□雪の戟
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「・・・おい」


リクオは、低く唸った。

目の前に座ったまま動かない彼女を見据えて。


「は、・・はい?」


彼女は変わらずそれを続ける。

でもいつもと違うのは―


「お前、何しに来たんだよ。酌してくれるんじゃねぇのかい」


脇へ置かれた酒瓶、徳利を横目で見ながら。


先刻、彼女はいつものようにこれらを運んでここへ来た。

そして、それを前へ置いた。


そこまで、だ。


いつもであればそれを主の盃へ注ぐであろう彼女は、それっきり何も言わない。

何もしない。

動かない。


様子が変だ。

いや、変と言うならば今日の彼女はずっと変だ。


一日中そわそわ落ち着きがなく、時には目が合うと顔を染める。

一体何がしたいのか、さっぱり理解できない。



今も、目の前の彼女はそわそわとその螺旋の瞳と泳がせている。


「おい、つらら・・・聞いてんのか?」

「あ、のっ・・・」

「?」


すると突然彼女はキッと眉を吊り上げた。

変に口を尖らせる。

さらに変に声を裏返し、言った。


「じ、自分で・・・注いだらいいんじゃない?」

「・・・は?」


リクオは耳を疑った。

その、誠実でしとやかな普段の彼女の口からは絶対に出ないであろう言葉に。


そんな言葉を吐いた後、彼女はまたそわそわと目を泳がせている。

そして、変わらずじっと動こうとしない。


偶に、へそを曲げた彼女が拗ねることはあった。

しかし今日のそれは明らかに異質。

これまでの彼女であれば、なんだかんだ言いながらすぐに酌をしてくれるだろう。


今日の彼女は違った。

いつまでも座ったまま、頑なに”何もしない ”


「おい・・・お前主に向かって」

「う、うるさいわねっ。それくらい自分じゃできないの、かしら?」


しどろもどろで、片言。

明らかに不自然に吐かれる言葉の数々。


そして同時に目は泳ぎ続け、決して合わせようとしてこなかった。


いよいよおかしいと思ったリクオは、ずいと詰め寄り、肩に手をかける。


「お前、今日はどうしたんだ?おかしいぞ」


すると、またも彼女は信じられないような行動に出た。


パシィッ。

肩にかけられた手を弾き返される。


「―っ!?」

「さ、触るんじゃ、ないわよ。私を誰だと、思ってるの?」


リクオは言葉を失った。

下僕の誰よりも誠実で従順な彼女だ。

主の手を弾き、あまつさえそんな返事が返ってくるなんて。


「お、おい・・酔ってるのか?」

「あら、酔ってるのはあなたじゃないの?わ・・私に」

「・・・」


彼女の顔はいつもどおり雪のように真白をしている。

酔いは微塵も伺えない。

しどろもどろではあるが、その滑舌はなめらかである。


「つらら・・・どうした、」


こうなってくるといよいよ本当に心配になってくる。

リクオはさらにつららへ詰め寄ろうと腰を上げた。


「ちょっと、誰が立って良いって・・」

「うるさい」


そう言うと、リクオはつららの手を取った。


「さ、触るんじゃ・・・」


つららはその手を振り払おうと激しく振った。


すると、勢いあまって近くにあった徳利を弾き飛ばしてしまった。


バシャッ―


「うわっ、つめて」


思いのほかキンキンに冷えていたそれがリクオの服へ思いっきり浴びせかかる。


「おい、つらら―ッ!?」


びしょ濡れになった着流しを摘んで、つららに拭くよう頼もうと声をかけた―

またも彼女は信じられない行動に出た。


「いてっ・・・おい、何すんだおめぇ」


あろうことか、彼女は手に持った布巾をリクオに投げつけたのだ。

リクオは濡れた服を拭くことも忘れて、呆然としていた。



「つ、つつ冷たいならそれで拭けば?」

「主にその態度はなんだい」

「っ・・・わわ私に命令する、気?」


ふぅ―

リクオはため息をつくと、その布巾を脇へ寄せる。

そして、少し上げたままだった腰をどっかと下ろした。


「ま、嫌ならいい」


布巾があるにも関わらずそれを拭こうとしない主に、つららが動揺を見せ始める。

目はさらにグルグルと周り、言葉のたどたどしさが増した。



―ニヤリ


リクオはそんな彼女の様子を横目で見ながら口角を上げた。

彼女の目は濡れた着流しと布巾の間を行ったり来たり。


「なんだよ」

「なななんでもないです・・・じゃなくてっ、ないわよ!」


リクオはくつくつ、と特有の微笑を浮かべる。


「な、何がおかしい、のよっ!早く拭きなさいよ」

「あ?俺の着流しだ。拭こうと拭かまいと、俺の勝手じゃねえか」


そう言って涼しい顔でそっぽを向く。


「うっ・・・うぅ・・」


押し込めたような声に顔を向ければ、彼女はとうとう我慢できなくなったのか布巾を手に取った。

そして、濡れた地面を拭き始める。


「なんだい、俺に拭かせたいんじゃなかったのかい?」


そんな様子を楽しそうに眺める。


「っ、うるさいっ」

「おい、寒いんだが」


そう言って、身体に張り付いた着流しをびらびらと振って見せる。


「冷たいなら、拭きなさいよ」

「あーじゃあいい。俺、このまま寝るから」


そう言って身体を持ち上げ、部屋へ足を向けた。

その時、着流しの裾がひっぱられているのに気づく。


見れば、つららが泣き出しそうな顔でこちらを見上げていた。


―やっぱりな

やはり、これは彼女が故意にやっていたこと。

その理由は知らないが、どこか具合が悪いわけではないと分かりほっと安堵する。


そう思ってニヤリと口角を上げると、彼女ははっとして手を離した。


「・・・なんだ?」

「い、いやっ・・」


さっと目を逸らされる。

まだ続ける気だな。

心の中でほくそえみながら言ってやる。



「用がねぇなら止めるんじゃねぇよ」


そう言ってもう一度布団の方へ向き直ると、とうとう観念したように彼女は泣き出してしまった。

まさか泣かれるとまでは思っていなくて少し怯む。


「お、おい・・・」

「拭かせて・・・拭かせてくださいリクオ様ぁ〜・・・っ」


嗚咽交じりにそう言う彼女はひどい顔だ。

ふっと微笑を返し、腰を下ろす。


すると彼女はそれを一生懸命拭きながら、なおも泣き続けた。


「で、なんだってんだ・・・今日のお前は」

「うっ・・・だって・・・リクオ様がこういうの、お好きだと思った、っから・・うぐ・・」

「はぁ?」

「でも・・・リクオ様が濡れたままなの耐えられなくてっ・・ごめんなさい・・」

「さっきから、何言ってんだお前」

「え・・だって、女の人に苛められるの・・お好きなんでしょう・・?」


暫く、目の前の彼女がなんのことを言っているのか考える。

そしてはっとある事を思い出した。



そういえば―

あのチラシ、あそこに置いたままだったっけか・・



「お前・・この魑魅魍魎の主であるこの俺が、そんな趣味あると・・・本気で思ったのか?」

「ふぇ・・?でも、あのチラシ・・・」

「くくっ・・・ありゃぁ、黒に掴まされただけだ」

「そ、そうだったんですか・・」


彼女はほっとしたような笑顔を見せてくる。


「お前・・・俺のこと何もわかっちゃいねぇんだな・・」

「え・・?わ、わかっておりますよ?」

「嘘つけ。だったらそんな紙切れ一枚でここまで思い込むか!」

「だ、だってぇ・・・」


リクオはおろおろする彼女を見て、もっといたぶってやりたい衝動に駆られた。

腹の底から湧き上がってくる―



「おい」

「は、はいっ」

「仕置きとして・・俺がどういうのが好きか、たっぷりと教えてやるよ」

「・・・え?―きゃぁっ!」


突然押し倒され、動転するつらら。

主の顔を見上げれば、底意地の悪い微笑を浮かべている。


知っている、この顔を。

知っている、これから何をされるのかを。


こうなった彼はもう誰にも


止められない。



「ゃ・・・」

「俺は黒と違って、攻めるほうが好きなんだ・・・よぉく知っておけ」

「え、り・・リクオ様・・だめっ・・・」

「主にあんなおいたを働いた・・・仕置きだ」


―ゾクッ




その後、やらかしたおいたの何倍にもなって返されるはめになるなんて。

結局、彼の好き勝手するきっかけを自ら作ってしまっただけ―



後になってそう後悔するつららだった。




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