book1
□雪祭
1ページ/1ページ
「え?雪祭り?」
冬休みの宿題に追われるリクオは机とにらみ合いながら聞き返した。
「はい!商店街の広場で行なわれる催し物だそうで」
「でも雪祭りって・・・あの、北海道で有名なお祭だよね?」
「ええ、よく知っておられますねリクオ様!」
「それがなんで浮世絵町で・・?」
「なんでも、夏に比べて冬の行事は少ないとかで町内会が―」
どうやら某祭を真似た催し物らしい。
雪祭り―
朝からずっと彼女が上機嫌な理由がやっと分かった。
「へぇ〜そうなんだ」
「・・・若は興味ないのですか?」
彼女はリクオの当たり障りの無い対応に少し不満気味だ。
どうやらその祭とやらに付き合って欲しくて仕方がない様子。
別にリクオとしてはそういうつもりではなく、ただ単に目の前の仕事に集中するがあまりの無難な応対だった。
「それっていつ?」
自分の失敗に気づいたリクオは少しでも興味ある風をアピールする。
「今日です!」
「ぶっ!」
急すぎることに思わず吹きだしてしまった。
「だめ・・・ですか?」
今にも消え入りそうな声が背後から聞こえ、リクオは返答に窮した。
ただでさえ今年の冬休みは清十字団の活動でほとんど潰れてしまったのだ。
高校へ入学した後もあの部活の活動はしばしば行なわれていた。
宿題が山積みだというのに、あの部活には結構自分でも思い入れがあるのだろう。
結局いつも断れずに参加するのだった。
残りわずかな日数で目の前にある膨大な量の宿題をこなさねばならないと考えると、町内の祭りなどに勤しんでいる余裕はない。
なんとか説得しようと意を決して後ろを振り向けば、今にも泣き出してしまいそうなほどに悲しい顔をこちらへ向けているではないか。
「あっ・・・」
突然振り向いたリクオに対応が遅れたつららは慌てて俯き顔を隠す。
「ちょ、つらら?」
「な、なんでもないですっ!」
強がるその声は明らかに不自然である。
それに、あのような顔を見せられて誰が断れるというのか。
これが策でもなんでもなく、無意識なのだから恐ろしい。
リクオははぁと小さくため息をつくと、つららのほうへ向き直った。
「わかったって、付き合ってやるから泣かないでよ」
「ほ、本当ですかぁ?」
そう言って潤んだ瞳でこちらを見上げられればそれ以上何も言えなかった。
時間にますます猶予がなくなったリクオは、祭の始まるギリギリまで机にかじりついた。
「やばいなぁ・・・どうしよ」
普段余裕を持って宿題をこなしてきたリクオには慣れない焦燥感だった。
腱鞘炎になるかと思われるほどのピッチでペンを走らせていると、障子が開く音がした。
「リクオ様っ」
声のする方へ振り向けば、おしゃれに着飾った彼女がにこにこしながらこちらを見ている。
普段の質素な着物と違い、とても華やかな着物を纏っている。
「わ、可愛いよ」
「ほんとですか?」
可愛い、と言われると仄かに頬を赤らめる。
今の今まで走らせていたペンを動かすことも忘れて見とれてしまう。
はっと時計を見ればもう18時をまわっていた。
「うわ・・もうこんな時間」
あがくのをやめて素直に支度に取り掛かることにする。
「すいません・・・お忙しいのに」
道中、リクオはしゅんとするつららの手を握るとその甲に口付けを落とす。
「あっ・・」
「何言ってるんだよ。たまには恋人らしいことしてやらないとね」
そしてその少し桜色に染まった頬にも軽い口付けする。
それだけで彼女は目をグルグルとさせながら取り乱すのだから、とても年上とは思えなくてリクオはくすりと笑った。
雪祭りの催される広場へ着くと、多くの一般人・・・いわゆる人間で賑わっていた。
「わぁ・・・」
つららが感動の声をあげて見つめるその視線の先へ目をやれば、とても雪が成しているとは思えぬ豪華な見世物が並んでいた。
その雪像は一つ一つ細部までこだわった、まさに美の芸術だった。
「すごいですねっ!リクオ様!」
ここへきてテンションがマックスになったつららが歓喜の声をあげてはしゃぐ。
「そうだね。でもつららなら作れるんじゃないの?」
「む、無理ですよあんなの!芸術の”げ ”の字も分からない私には・・!」
雪の化身であるつららにここまで言わせるのだから、相当な出来栄えなのだろう。
芸術というものがさっぱり分からないリクオはそんな曖昧な解釈をする。
「あれ、つらら?」
よくわからないが感心していると、隣にいたはずの彼女の姿が無い。
見回すと数メートル先にあるアイスクリーム屋に嬉々として駆けていく姿が見えて後を追う。
「リクオ様!あれ食べましょう!」
「冬なのにこんなの売ってるんだね・・・」
冬場にアイスが堂々売られていることにも驚いたが、その豊富なバリエーションにはさらにびっくりする。
「私あれと、あれと・・・」
こういうとき普通ならおなかを壊すよといって抱き寄せるのだろうが、雪女の恋人を持つと何も言えずにただ見つめていることしか出来ない。
「ちょ、ちょっとつらら・・」
黙って見ていればいつの間にやら手には幾つものアイスが―
「リクオ様はどれにしますか?私的にはあれが―」
「まったくしょうがないなぁ・・・じゃあそれで」
リクオまるで子供のようにはしゃぐつららを見て苦笑した。
最近何かと忙しくてこうして二人でいることも少ない。
今日ぐらいは思う存分遊ばせてやるか―
隣でたくさんのアイスを抱え込んで美味しそうに食べる彼女を見つめていると、急に体が熱くなるのを感じた。
「あ、つらら・・・そろそろボク変わる」
「―えっ?」
つららが顔を上げると、そこには先程までいた人間のリクオは姿を消し、夜の姿の彼が妖艶に微笑んでいた。
「ぁ・・リクオ様・・」
「ったく、まるで子供だな」
突然人格が豹変した彼を見てつららは頬をぷくっと膨らした。
「おいおい、そりゃぁ狙ってんのか?」
「ふぁっ?!」
突然口の端をすっと触れられびくっとするつらら。
見れば彼は指にとったそのアイスをペロリと舐めている。
その様子はどこか妖艶で、つららの顔を発火させるには十分な言動だった。
「はしゃぎすぎだ、無防備にもほどがあるぜ」
そう言ってつららの腰を引き寄せる。
「り、リクオ様?あの・・」
「お前ばっかり楽しみやがって、俺にも”祭り”楽しませろ・・」
抵抗する間も与えずアイスまみれになったその唇へ吸いつく。
「んっ・・・!」
やっと状況を理解したつららはリクオの肩を押し返してささやかな抵抗をする。
しかしそんな抵抗もリクオには痛くも痒くもなかった。
押し返すその腕を掴むと、逆に動けないようにする。
そのまま空いた手を胸元へ滑らせて柔らかなそこを軽く解す。
「はぁっ・・・リクオ様!このようなところで一体何を・・・・っぁ」
周りはまだ客で溢れており、とても彼の思っているようなムードではない。
しかし彼はやると言ったらやるのだから、その気にならないうちに止めようというもの。
「・・・」
つららの目が本気なので、リクオは仕方なく掴んだ腕を離す。
「おいおい。俺はお前が思ってるほど過激なことしようなんて思ってないぜ?」
「じゃあ一体何しようとしたんですかっ!」
すると半泣きのつららの肩を抱き寄せて耳元で低く囁いた。
「俺もアイス、食おうと思っただけだが?」
にやりと口角をあげて微笑するその顔からはそんな健全な様子は見て取れない。
「アイスって・・・もうリクオ様食べ終わって・・・・・んっ!」
しゃべり終わるのも待たずに唇でその口を塞ぐ。
わずかに開いた中へ舌を進入させると、とろけるような甘味に目を細める。
つららの口内温度は低いため、まだアイスが溶けずに原型をとどめている。
リクオはそれを舌で器用に手繰り寄せると、自分の口内へ運んでそれを味わった。
「・・・はぁっ、はぁ・・・リクオ様っ・・!」
「なんだよ?俺はアイス食ってるだけだぜ?ん、ほどよい甘さだな」
つららの異議申し立てをものともしないリクオ。
もう何を言っても無駄と悟ったつららは顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。
その照れた様子に満足したリクオは何気なしに周りを見渡す。
まだ人足は絶えない。
ふと目の前にある雪像に目をやれば、美人な女体を象る雪像がちょっとヌードチックなポーズで佇んでいる。
全身雪から形成されるそれは生身のそれとは遥かに違う、煌びやかかつ透明で、なんとも言えぬ儚げな様相を呈していた。
そしてその容姿が少しつららに似てるなぁ、などと見入っていると隣からただならぬ冷風が吹きつけた。
そちらへ振り向けば、愛しい恋人が無表情で、それこそまさに氷のような視線を向けている。
今年最低の気温を観測した近頃は、外出するのすら億劫なほどに冷え込む。
そんな凛とした寒さを持つ空気の中。
彼女の体の周りはそれを遥かに上回る冷気が、可視化できてしまうほどに渦巻いている。
「どうした・・つらら。おめぇ、雪像になってるぞ」
「どうしたじゃ・・・ありませんっ!」
可愛らしい顔なのにどこか般若のような様相で吼えた。
「うおわっ!ちょ・・まてつらら!今お前が思っていることは多分勘違いだ!」
「思っていることってなんですか!もう!」
ぷいとそっぽを向いてしまう。
だがそれすらも可愛いと口元が緩んでしまう自分は本当にどうしようもない奴だと思った。
帰り道、あれからずっとすねっぱなしのつららにおそるおそる声をかける。
「おい・・つらら」
「なんでございましょうか」
予想通り冷ややかな返事が返ってくる。
「祭り楽しかったか?」
「ええ、それはとぉーっても!でもリクオ様はもっと楽しんでいらっしゃったようですけど?」
語気を強めてそんな皮肉を吐かれる。
「違うんだつらら、俺はつららのこと考えててだな・・」
「私のこと?あのセクシーな雪像みながらですか?」
すっとこちらへ振り返る冷たい目線と目があった。
その瞳はビームが出るのではないかというくらいの圧力を放っている。
「まぁ話聞け」
そう言っていつも以上に冷気を纏ったその体を抱き寄せる。
あまりの冷たさに心臓がびくんと跳ねる。
「・・・っ、まだ言い訳するんですか!」
今の彼女に浅はかな行動でもとれば一瞬にして氷塊と化しかねない。
そして先程の祭りの見世物として寄贈されてしまうだろう。
そう思ったリクオは耳元で甘く囁いた。
「いやな、つららが今晩あんな格好してくれたらいいなぁ・・・なんて考えてた」
「っ・・!」
そして彼女の顔をちらりと盗み見れば、みるみるうちに朱に染まっていく。
リクオはそれを見てにやりとほくそえんだ。
「悪かったな、そんなこと考えてて」
「・・・」
つららは彼のそんな胸中を知って羞恥で卒倒しそうになる。
しかし耳元でそんな甘く囁きを聞けば、今までの怒りも一瞬で忘れ去られてしまうのだった。
「り、リクオ様・・・」
「ん?悪かったって。もう考えねーよ」
「い、いやその・・っ」
素っ気無い仕草でそんなことを言われ、つららは思わず反論してしまった。
それにニヤリと口角を上げるリクオ。
「なんだよ。嫌なんだろ?」
「いやじゃ・・・ない・・ですけど・・」
そこまで言うと言い淀んでしまう。
「ん?よく聞こえなかった。もう一回言ってくれ」
「だ、だからっ!」
「だから?」
「嫌じゃ・・・ないですっ!」
それを聞いてリクオは持ち前の悪戯心に火が灯るのを感じた。
「ほー。おかしいなさっきまで・・・あんなに怒ってたじゃあねぇか」
「それは、あの・・勘違いしてて」
「ほら見ろ、だから勘違いだっつってんのにおめぇが信じなかったんだよな?」
「・・・」
何も言い返せずに論に窮するつらら。
「そんな奴にはお仕置き、しねぇと・・なぁ?」
「えっ・・?」
つららはそこにきて初めてリクオの顔を見た。
そして悟った。
全ては彼の思惑通り。
またうまいように弄ばれた・・・と。
「冬にアイスってのも・・また風情がある」
リクオはくつくつと笑うと、真っ赤になって何も言えなくなったつららに熱い眼差しを送る。
そしてつららの予想通り、その夜は朝まで自分の部屋へ戻ることはなかった―
今度は甘くとろけるような、熱い ― 雪祭り