book1


□雪帰り
1ページ/1ページ

 



「雪・・・か」


今年初めての雪に、ぽつりと呟く。

毎年この季節になると思い出す。

この雪のように真っ白な彼女―



「今、どこで・・何をしてるんだろう」


3年ほど前に、突然何も言わずに屋敷を去ってしまった彼女。

耳にした噂では、彼女は故郷の遠野へ帰って行ったと聞く。


「・・・っ」


天から降り注ぐその氷粒を手に取り、大好きだった彼女のようなその冷たさに歯を噛み締めた。


「どうして・・・」



あれは本当に突然の出来事。

しかもあんなタイミングで―









「つらら―、好きだ」

「ぇっ・・」


意を決して想いを伝えると、彼女はその白い肌を高揚させて俯いた。


「リクオ様・・それはどういう意味で・・」

「そういう意味だよ。僕は・・つららを愛してるんだ」


”愛してる”

初めて人に向けたその言葉は、リクオの気持ちを切に表していた。


「っ・・・」

「いや・・・なのか?」

「嫌、なわけ・・・ないじゃないですか・・」


どう応えて良いか分からずうろたえる彼女。

その真っ赤な頬にそっと、口を付けた。


「リクオ・・・様・・」

「・・・ダメなの?」

「いえ・・・」

「じゃあどうして黙ってる・・」

「っ、・・・リクオ様・・時間を、くださいませんか?」


元来、そういう方面へ免疫の薄そうな彼女だ。

それは耐えて仕方のないことなのかな、と渋々了承の意を伝える。



事が起きたのはそれから驚くほどすぐだった。




明朝―


その年初めての雪が庭先を銀世界に変えていた。



「え・・?」

「そういうわけで・・リクオ様。雪女は朝早くに屋敷を出て行きました」

「そういうわけでって・・・どういうわけだよ?なんで?どうして突然?」

「そう言われましても・・・拙者にその理由は分かりかねますゆえ」


カラス天狗はそう困った顔をしていそいそと引き返していく。


「っ・・・なんで」


なぜ突然。

なぜしかもこのタイミングで。

彼女が何故ここを去っていったのか、皆目見当もつかなかった。


思い出すのは昨夜のやり取り。



― 自分は、そこまで彼女を追い詰めてしまったのだろうか。


ただただ頭を真っ白にして呆然と立ち尽くすことしかできなかった―









そしてあれから3度目の雪の季節。

こうして愛しい彼女に想いを馳せて降り積もるそれをじっと眺めていた。


元来彼女は雪なのだ―

そう、この目の前に広がる真っ白な雪。

そこへ帰したと無理やり思い込もうとした。


すれば、その眼前に広がる雪景色に愛しさがこみ上げてくる。



「リクオ様っ・・!」

「どうしたの首無・・・そんなに慌てて」

「雪女が・・雪女が帰ってまいりました」

「・・・え?」




我を忘れて玄関へ駆け出す。

息を切らし、求めてやまなかった彼女の姿を探す。




「・・・リクオ様!」


いた。

そこには、3年前と何も変わらぬ彼女の姿があった。


「つらら・・?」


自分でも無意識で、彼女の華奢な体をきつく抱きしめていた。


「っ、リクオ・・様?」

「つららっ・・・!お前、どこ行ってたんだよ」

「それは・・・」


身体を離して彼女の顔を覗き見れば、少し言いづらそうに俯いている。

しかし、今はそれよりも彼女に会えたことがたまらなく嬉しかった。

雪に帰したとさえ思っていた彼女が、前と変わらぬその姿で自分の目の前にいる― ただそれだけで。










「リクオ様・・・お酌、いたします」


縁台へ以前のように静かに歩み寄る彼女の声に顔を上げる。


「随分、久しぶりだな・・」

「はい・・・リクオ様もお変わりなくて」

「3年かそこらでそう変わるかよ」


そう、何の気なしに返す。

しかしリクオはどうしても気になって仕方がなかった。


何故、しかもどうしてあのタイミングで―

何も言わずにここを去り、そして何故今になって帰ってきたのか。


愛しい彼女が戻ってきて、それだけで嬉しいはずなのに。

なぜか心の隅で靄となってつっかえていた。




「―、つらら」

「・・・・はい」


注がれた盃をくいっと一気に喉へ流し込むと、一息ついて問うた。


「どこ、行ってた」

「えっと・・・」


聞かれると分かっていたのだろう。

彼女の顔に動揺の色は薄い。


「聞いても、つまらないことですよ・・?」

「是非聞きたいねぇ」

「・・・縁談、です」


その呟くような一言に、場は沈黙に包まれた。


それと同時に、リクオの心に暗い影が差す。


― なるほど

全て分かった。

きっと、元々縁談が来ていた・・・そして、そんなタイミングで自分があのようなことを。

だから逃げて―

では―

つまり今は、彼女には自分ではない誰か他の主が―




そんなリクオの険しい顔に気づいて、つららは急いで付け足す。


「縁談、の処理ですよ!」

「・・・は?」


つららはそう言うと、仄かに頬を染めて話を続けた。








つららはこちらへ来る前―

遠野に席を置いていた当時から、向こうでは大層評判の娘だったらしい。

気は利き、人当たりは良く、家事もそつなくこなす・・・明るく誠実な性格。

おまけに容姿は端麗ときた。


これは確かに誰も放っておくはずが無い。

こちらへ席を移してからも、故郷からは縁談が絶えず―

それを放っておいたら、いつの間にかとんでもない量に堆積していたのだとか。



そしていよいよリクオに想いを告げられた。



「そこが、わからねぇ・・。なんであのタイミングで帰郷なんて」

「私の・・・気がすまなかったんですっ」

「・・・?」

「大量の見合い話を背負ったまま・・・リクオ様と一緒になるのは、リクオ様に失礼だと思ったんです!」



要するにリクオと一緒になるのが嫌だとかそういうわけではなく。

膨大に背負い込んだ縁談をそのままにして彼に応えるのは失礼だと、一旦帰郷して積もりに積もった見合い話を全て蹴ってきたそうだ。



「はぁ・・・」

「なんです・・?」

「お前、馬鹿だな」

「えっ・・・ば、ばかって・・・!」

「そんなこと気ぃ使うこたぁねぇのに」

「いいえ!私の気がおさまらないんです!」


彼女の過剰なまでの誠実さに苦笑するリクオ。

同時に、自分が退けられたのではないと知って安堵する。


「まぁなんだ・・・戻ってくれてありがとな」


そう言ってつららをそっと抱き寄せると、ソフトな口付けを施す。


「・・・っ、はぁ・・」


リクオの背に滑るようにして回ってきた手に、力が込められた。


「リクオ様っ・・・、」

「んじゃぁ・・もう一度聞いていいかい?」


彼女はこくり、とゆっくり頷く。


「つらら・・・俺の嫁になっちゃぁくれねぇか」

「・・・っ」


するとつららは目に溢れんばかりの涙を溜めて、ふっと笑うと


「はいっ・・・いつまでも、お傍にいさせてください」



外で未だしんしんと降り積もる雪。

そこへ溶け込むような真白の肌。




雪から帰ってきたんだな―





リクオは薄く微笑すると、もう一度、今度はずっと深く― 熱い口吸いを与えた。




 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ