book1
□失われたもの
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「・・・あら?」
夫の洗濯物からひらりと何かが落ちるのに気づいた。
「何かしらこれ?」
見れば紙切れのような物が落ちていた。
つららはそれを拾い上げると、訝しげに首を傾げる。
特に変わったところがないので裏にひっくり返してみると何やら文字が書かれていることに気づいた。
そこにはとても綺麗な字で2行ほどの文章が書かれている。
― 貴方の事を想うと辛くて夜も寝られませぬ。
どうか私とお付き合いしてください。 ―
宛名も宛先も無くただそれだけが記されていた。
「・・・恋文?なんでこんなものがここに・・」
それが夫の服から落ちたことを思い出してつららは血の気がさっと引くのが分かった。
「まさか・・・リクオ様」
不吉な紙切れをくしゃっと握り潰す。
「ふー・・ったく、出入りのたびにこれじゃぁ困らぁな」
出入りから戻ったリクオは縁台にどっかと腰を下ろすとキセルをふかした。
そしておもむろに懐から複数枚の紙切れを取り出す。
一度読んだそれをもう一度読み通し、再び深いため息をつく。
それは全て自分に宛てられた恋文だった。
「いちいち応対してたらキリねぇんだよ・・」
そしてその恋文をやり場なさそうに丸めて捨てやる。
最近ではすっかり3代目が板につき、多くの妖怪を付き従わせるようになった。
もうリクオに楯突く妖怪はほとんどいない。
しかし、それもいい事ばかりではなかった。
それというのも、出入りや外出の度に自分へ好意を寄せる女妖怪からこのように言い寄られるようになってきたのだった。
毎度それをぶっきら棒に断り続けているが、これが妻にでも知れたら面倒な事になる。
それも、最近やっと祝言をあげたばかりの身だ。些細なことでも信用に関わる。
帰宅後いつの間にか懐へ突っ込まれていた恋文を処分するのも気を遣うのだった。
「あ、やべっ・・・」
ふと重大な事に気づいて顔をしかめる。
「昨日もらった紙切れ、捨てんの忘れてた・・・」
それが今どこにあるか暫く考えて、嫌な予感がした。
「今頃・・・こうしちゃいらんねぇ」
今からでも遅くはないと腰をあげる。
「リクオ様」
すると背後で妙に冷気を纏ったような冷ややかな声がした。
「・・・つらら」
振り向けば予想通りの相手が静かに立っている。
しかしその顔は普段の柔らかな顔ではなかった。
見たものを氷付けにしてしまいそうな程冷たく鋭い目、そしてその周りには目に見える程の冷気を纏っている。
「・・・どうしたそんな怖い顔をして」
例の件にほぼ間違いないと確信しながらも様子を伺う。
しかし、それも無駄なことだとすぐに解す。
「あら、お分かりですよね?・・・私がなぜ ”そんな怖い顔” をしているのか」
「いやお前、あれは別になんでもないんだぞ」
「言い訳なんて、聞きたくありません・・!」
「ちょ、待て・・オレの話を聞け」
「話など聞かなくてもこの紙切れが全てを物語ってます」
そう言ってつららは例の紙切れを突き出した。
「オレだって困ってんだよ」
「何がですか?嬉しいくせに・・っ」
ショックのためか全く聞く耳を持とうとしないつららに困り果てた。
「おいおい、ちょっと落ち着いて座れって・・」
「分かってます、どうせ私のことなんて飽きちゃったんですよね・・・最近かまってくれないですし」
つららは一方的に不貞腐れると、ふいとそっぽを向いて黙ってしまった。
「あのなぁ・・・最近かまってやれねぇのはオレもわりぃと思ってんだが、しかたねぇだろ。出入りなんだから・・」
「・・・」
その様子を見て、つららが不機嫌なのは紙切れだけのせいではない気がした。
最近シマで暴れる外部の掃討に追われて忙しい毎日。
そのせいで、酷い時は一日顔も見れない日がある。
新婚早々そんなことが半年も続けば、忍耐強いつららとて不安にもなってくるだろう。
リクオはそんなつららが可哀想になってそっと抱きしめた。
「・・・っ、リクオ様?ごまかそうとしたって・・・!」
「ごまかしてなんてねぇよ。分かってる。でも聞いてくれ、本当になんでもねぇんだよ」
また何か言い返そうとしてきたつららをぎゅっと胸に抱きしめる。
「・・・っ・・・!」
ようやく諦めて聞く気になったか、つららが大人しくなるのを見て経緯を話して聞かせた。
「・・・だからオレは何もやましいことなんてしちゃいねぇ」
「・・・」
「信じて・・・くれねぇのか?」
「・・・信じてもいいんですか?」
そう言って見上げてくるつららの潤んだ瞳は不安に揺れている。
「ったりめぇだろ。オレがお前以外の女に惚れるかよ」
まっすぐ見つめてそう言えば、その螺旋の瞳からは氷の粒となった塊がころんころんと零れ落ちた。
「まだ不安か?」
「だって・・・リクオ様にそうやって言い寄る者がいると思うと・・私・・」
リクオはその震えた声にやりきれない気持ちになった。
こればかりはどうしようもない。
言い寄ってくるやつを殺めることもできるが、それでは殺戮者となんら変わらない。
「大丈夫だ、オレはどこにもいかねぇよ」
そう言って慰めることしかできなかった。
そんなやり場の無い状況に顔をしかめていると、つららがこちらをじっと見ていることに気づいた。
「・・・なんだ?」
その表情はどこか儚げで、しかし挑戦的な眼差しをこちらへ向けていた。
つららはそのまま冷たく細い腕をリクオの首に絡めてくる。
「・・・では」
「・・・?」
「リクオ様が誰の所へも行かぬように」
そう言うと、首筋へ口をつけた。
そして顔を上げると、何をされたのか分からないリクオへ妖艶に微笑む。
「私のものであると・・・しるしをつけました」
ふと部屋の姿見の方を見ると、自分の首筋に小さく紅い跡がついている。
「・・・じゃあオレもしるし、つけておくかな」
そして自分がされたようにつららの白く細い首へ顔を伸ばす。
「・・・ふふっ。私はどこへも行きませんよ」
「いや、行かせねぇよ」
そう言って熱い眼差しを向ければ、つららは頬をほんのり染めて俯く。
「あ、でも・・イかせてならやるぞ」
「へっ・・?」
しばらく言葉の理解ができずに目を丸くしているつららを横抱きに抱え上げると、部屋の障子をすっと閉めた。
朝、目を覚ましたつららは体中に咲いた紅い”しるし”を見て羞恥に顔を染めたのだった。