book1


□伝承
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「ねぇゆきおんな」

「はい?なんでしょう若」


まだ六つになったばかりの幼いリクオがつまらなそうに言った。

「たまには子守唄じゃなくてお話、聞かせてよ」

「お話ですか?えーっと、では・・・」


つららは暫く考えた後話し始めた。


「私雪女の古い伝承をお聞かせいたしましょう」

「ゆきおんなの昔話?」

「私自身のではないですが、私の遠いご先祖様のお話ですよ」


そう言ってにこりと微笑みかけると、幼いリクオにも分かりやすいように話して聞かせた。










むかーしむかし、ある雪国に住む男のもとへそれは美しい女性がやってきました。

その女性は男の嫁になりたいと言い、男は喜んでその女性を娶りました。

二人はとても幸せに暮らし、男も毎日充実した日々を送っていました。

しかし彼はずっと不思議に思っていることがありました。

それは、妻がお風呂へ入っているところを見たことがないことです。

しかし、妻はとても綺麗でお風呂に入っていないなんて考えられませんでした。

そこで彼は彼女に尋ねてみました。

”君はいつお風呂に入っているんだい?”

すると彼女は照れたように言いました。

”貴方のいない時に入っております”

それでもにわかに不思議だった男は、仕事へ出かけるふりをしてこっそり妻を見張ることにしました。

妻は洗濯物を洗って干し、掃除を済ませて今度は夕飯の準備・・・

結局彼女がお風呂へ入ることはありませんでした。

男はその後何日か同じように見張りましたが、同じことでした。

何かお風呂へ入れない理由でもあるのかと訝った男は、見張っていたとも言えないので、ある日一緒にお風呂へ入ろうと言いました。

すると彼女はそれをとても嫌がります。

いよいよおかしく思った男は、無理やり妻を風呂へ入れさせました。

そして自分も服を脱いで、風呂へ入ろうとするとそこには妻の姿が無く、一本の氷柱が浮かんでいるだけでした。

男はそれを見て自分の妻が雪女であったことを知り、同時にとても悲しみました。

雪女である以外に何も不都合がなく、よくできた嫁であったので、男は死ぬまでそれを後悔したと言います。


めでたしめでたし・・





「全然めでたくないよっ!」


つららが話し終えると眠るどころか少し不機嫌になった幼子が吠えた。


「ですがそういうお話なんですよ」


つららは困ったように眉毛を下げる。

悲しいだけで何の救いも無い話にリクオはご立腹だ。

寝かせつけるつもりが逆に興奮している。


「ゆきおんなは溶けちゃって男の人が悲しむだけのお話じゃないか」

「まぁそうなんですが・・・これでいいのですよ」

「なんで?」

「雪女の悦びは、男性を魅了することです。ですから昔話に出てくる雪女はとても幸せだったのだと思いますよ」

「・・・?」


リクオはちっとも理解できないといった様子で小首を傾げている。


「まだリクオ様には難しいお話でしたね、すみません」


選話が悪かったと後悔するつらら。


「つららも同じなの?」

「はい?同じとは・・何がですか?」

「つららも誰かのところへお嫁さんに行って、消えちゃうの?」


大真面目な顔をして自分を見る幼子に思わず笑みがこぼれた。


「ふふっ、私は消えたりしませんよ。いつまでも若をお守りしなくてはいけませんから」

「ほんとに?」

「えぇ、リクオ様が無理やりあつ〜いお湯に私を突き落とさなければ大丈夫です」


そう冗談めかして言った。

冗談で言ったつもりなのに、一瞬この悪戯盛りの幼子の目に怪しい光がよぎったことに驚く。


「・・・リクオ様?ご冗談です、あの・・・絶対やめてくださいね?」


つららは自分の胸中を悟られたことに少し驚くリクオの瞳を見逃さなかった。


「そ、・・・そんなことしないよっ」

「本当ですか?もうっ」


リクオは少しむすっと頬を膨らすと、布団に顔を潜らせてしまう。


「・・・お湯に溶けて消えちゃうのもやだけど」

「はい?」

「ゆきおんながどこかへお嫁にいっちゃうのもやだ」


布団の中でくぐもった声がした。

そんな様子を見てまた口元が緩む。


「・・・前にお約束したではないですか。お忘れになられたのですか?」

「・・・ううん」


リクオがもっと小さい頃、つららは彼とある約束を交わしていた。










「若が三代目を御襲名なされた時、まだこの雪女をそのように思っていてくださったのなら そのときは、あなたのお嫁になりましょう」


幼い彼をあしらうつもりでも、ごまかすつもりでもなくそう約束した。

子供の約束だからきっと忘れるだろう。

最初はそんな思いも少しはあった。

でも日を追うごとにそんな曖昧な気持ちは薄れていくのだった。

なぜなら幼いながら彼の眼差しはとても熱く、固い決心の意を感じたからだ。

きっとその意志は、いつか組を継ぐ時になっても決して揺らがないのだろう・・・彼女にそう確信させた。









「・・・ですから、そのような心配はご無用ですよ。昔話に出てくる男の人は若、貴方ですから・・・」


そう慈しむように優しく囁くと、すっぽり被った布団から安らかな寝息が聞こえてきた。

膨らんだ布団は規則正しいリズムで上下運動する。


「ふふっ。伝承の翁が若であっても、私は溶けて消えることはありません」


少し布団からはみだす亜麻色の髪を優しく撫でると自分もまどろみに身をゆだねた。




 

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