book1


□気づかぬ恋心
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「つらら、これを台所に持って行ってくれ」

「ええ分かったわ、首無」

そんな日常的なやり取りをじっと見つめている幼子がいた。

彼はこの奴良組の跡取りとして皆から期待を寄せられる若頭。

とはいっても未だ齢四つのあどけない幼子であった。

「リクオ様、では私ちょっと行ってまいりますのでいい子に遊んでいてくださいね」

そう言って屋敷へと駆けていくその後姿をつぶらな瞳でただ見つめている。


やっと最近スムーズに会話ができるようになったばかりの彼にとって、側近というより母親のようなものであった。

いつも傍にいて、いつも世話をしてくれて、いつも優しい笑顔を向けてくる。

彼がその側近へ向ける感情は母親に対するあの絶対的な信頼と同義なものだった。

彼女がくれる、無償の愛情と同じように。




庭先に残されたリクオは小妖怪達にまた新しい悪戯を教わる。

またあの側近を罠にはめるために。

その心境は、好きな子の注目を集めたがる小学生のそれによく似ていた。

彼自身はそんなこと意識もせずただ毎日のように夢中で彼女を罠にはめるのだった。



冬至の今日は一年で最も日が短い。

まだ4時だというのにほのかに空が赤く染まり、日没を予兆している。

「そろそろくるかな」

いつもの経験でそう感じたリクオは急いで木の上へよじ登る。



それから間もなく、予想通りその声が庭先へ響いた。

「若!若ー!どこにおられるのです?若ー」

側近はついさっきまで庭先で遊んでいたその姿を探す。

「あれ・・さっきまでここにおられたのに」

「ん、どうした雪女」

そこへ廊下を歩く黒田坊が現れた。

手には何やら大量の本を抱えている。

「先程までここにおられたはずの若が見つからなくて・・・」

「ふむ、また罠などこさえて待ち構えてなければいいが」

彼も幼い若頭の標的の一人だった。

「この間も盛大に落とし穴にはめられてな」

「ふふっ、私も昨日網にかかってしまったわ」

そんな談笑の声が廊下から聞こえてくる。

リクオは自分でもよく分からない、違和感のようなものを感じた。

何故か胸の辺りが痛い。

理由の分からない不快感に顔をゆがませてじっと彼らの方を眺めていた。



「・・・ところでそれ」

つららは彼が腕に抱えた大量の本に目をやる。

「あ、ああ・・これはちょっと」

すると突然黒田坊は動揺し始めるのだった。

「・・・?」

「あ、ここにいやがったな黒!」

突然太く大きな声が響き渡った。

声のするほうを見れば若頭のもう一人の側近である青田坊が大きな音を立てて歩いてくる。

「てめぇ、こんなところで何やってんだ。手が空いてるならこっちの仕事を手伝え!」

「ぐっ、ちょっと待て・・・拙僧もやることが・・・」

「あ、てめっ!それこっそり捨てようとしてやがったな!」

青田坊は黒田坊の手に抱えられた本を見て怒鳴った。

「何?その本がどうしたの?」

状況の分からないつららは目を細めて本を凝視する。

「ま、待て見るな!これは・・」

「うるせぇ!薄っぺらいカモフラなんかしやがって!」

そう言うと青田坊が一番上に重ねられた本を奪い取る。

すると、その下にはなんとやらしい本の表紙が現れた。

「・・・はぁ」

それを見たつららは苦々しい顔をするとため息をついた。

「こ、こら青!やめんか!」

「じゃあサボってねぇで早く手伝え!」

そう言って黒田坊の腕をむんずと掴んでひきずって行ってしまった。

それを見送って、つららははっと思い出したように庭先へ駆け出た。

「あ、いけない。若ー!どこですかぁ!もうすぐ日が沈んでしまわれますよー!」






3人の賑やかなやり取りを見終えると、幼子は言い知れぬ複雑な気分になっていた。

自分の側近が話しているのを見てただけだ。

今までに感じたことの無い気持ちに戸惑いを感じていた。

「なんか気持ち悪いなぁ・・」


そしてはっと気づけば自分のいる木の下に彼女がいることに気がついた。

「あ、若!またそんなところに登って・・・危ないですよ!」

ぼーっとしていたせいもあって、あっさり見つかってしまい「ちぇ」と呟く。



「若、危ないですからもうあんなことしてはダメですよ!」

「うるさいなーもう」

「うるさくありません!分かりましたか?」

普段とても優しい彼女だが、リクオが危ないことをすれば抜け目なく怒る。

それはいつものことだが、先程の謎の不快感もあってリクオはさらに機嫌が悪くなった。

「うるさい雪女!」

「リクオ様・・?」

普段より反抗的な若頭にちょっと驚くつらら。

反抗期かしら・・・と気にしないことにして苦笑する。

ツンと口を尖らせて不機嫌を決め込む幼子に優しく語りかけた。

「リクオ様。今日は冬至でございますよ」

「へぇ・・・」

彼は相変わらずぶすっと顔をしかめている。

「冬至の日はですね、南瓜を食べて柚子湯に入ると風邪を引かなくなるんですよ」

「そうなんだ」

「はい。ですから今日のお夕飯は南瓜料理でございます。この雪女が腕によりをかけて作りましたから」

そう言って彼女はまたにこっと微笑む。

その柔らかな笑顔を見てリクオは不思議な気分になった。

今まであれだけ気分が悪かったのにそれがすーっと引いていく感覚。

これも先程と同様、初めての感覚であった。

自分でもそれが一体何であるのか分からなかった。



「どうしました?ぼーっとされて」

「え?なんでもないよ」

「そうですか?あ、今日は私がお背中をお流しいたしますね。柚子もたくさん用意してあります!」

「えっ?雪女お風呂入ったら溶けちゃうんじゃ・・」

彼女はいきなり慌てるリクオを見てくすくすと笑った。

「ふふっ。大丈夫ですよ、お湯にさえ入らなければ溶けませんから」

そう言って、自分の腰くらいまでしかない幼子の頭を優しく撫でた。

リクオはそれを聞いて黙り込んでしまった。

またしても未知の感覚に戸惑っていたのだ。

胸の辺りがドクドクと、早鐘を打っている。

それに顔が熱をもち妙に熱い・・・



「リクオ様?先程から一体どうされたのですか?」

「うーん・・なんか分からないけど、今日変だ」

「変、といいますと・・?」

「分からない。なんか顔が熱いし・・」

見れば彼は顔を赤くして困ったような顔をしている。

「あら・・熱かしら?」

「違うよ。顔だけだし・・それになんか胸がドキドキするんだ」

未知の状態に完全に困惑しているリクオを見て、彼女は暫く考えた後しゃがみこんで話しかけた。

「リクオ様・・・?」

「それに、今日は胸が痛くなったり、よく分からないことばっかだ。雪女・・・ボク病気?」

すると彼女はにっこり微笑んで言った。

「リクオ様、ご安心ください。それは病気ではありませんよ」

「ほんと?」

「ええ。だからそんな不安なお顔をなさらないでください」

「じゃあこれなんなんだろ・・」

「ふふっ。それはですね・・・きっと、恋です」

「鯉?」

「あ、うちの池にいるあの鯉とは違いますよ?」

無意識にベタなボケをかます幼子を見てくすくすと笑っている。

「恋とは・・・誰かのことを好きになることです」

「え?ボク前からみんな大好きだよ?」

「いえ、そうではなくて・・・特別な意味で、です。好きという言葉には色々な意味がありますからね」

「うーん・・よくわかんないや」

「まだ若には難しいですね。でもそのうち分かるようになりますよ。ふふ」

「ふーん・・」

「さ、早く帰りましょう。皆ご飯が食べれなくて待ちくたびれてますよ」

「・・・まぁいっか。うん!」


つららは元気に屋敷へ駆け込んで行く若頭を見て微笑んだ。

「・・・ついこの前まで赤子であられたのに。もう恋などできるようになったんですね」

しかし一体誰に恋をしたのか・・・

それはよく分からなかったが、小さな若頭の成長がとても嬉しかった。


その恋心の向けられた先が誰なのか

それに気づく日はそう遠くない



 

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