book1


□紡がれたもの
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「・・・今なんて言った?」

信じられずにもう一度問う。

「もう一度言います・・・・私と別れてください」

聞き間違えではないことを確信する。

そして絶望感で視界が霞んだ。



リクオが三代目を襲名してから早いもので7年。

若き総大将となって間もなく、側近のつららに想いを告白してそれから今まで付き合ってきた。



そして何の前触れもなく今しがた投げられた凶器のような言葉。

一体なぜそんなことを言われなければならないのか―

どうしてもそれだけは確かめたかった。


「え・・・別れてって・・な、なんで?」

「・・・」

そう問われれば黙って俯いてしまう彼女。

一体何が彼女をそうさせたのか 皆目見当もつかなかった。

「黙っていたらわからないよ・・・!」

「それは・・・言えません」

彼女の目は虚ろで、それだけを押し出すように言った。

「なんで?どういうこと?ボク何かした?」

そう詰め寄ってもただただ辛そうな顔をして顔を背けてしまう。

ボクは絶望で押しつぶされそうになるのを堪えながら、彼女をじっと見ていることしかできなかった。



沈黙が続く―

どうにかこの状況を打破したくて、近頃の自分やつららの行動を必死に記憶から掘り起こそうとした。

そういえば―

今思い返してみれば、最近のつららは少し様子がおかしかったことに気づく。







数日前―


「つららいるか?」

いつもならこの時間は彼女から自分の部屋へやってくる。

しかしこの日はいくら待てども姿を見せず、待ちかねたリクオは彼女の部屋を訪れた。

「あ・・・リクオ様。どうなさいましたか?」

「酌を頼もうかと思ってな。忙しかったか?」

「いいえ・・でも、あの・・これからちょっとすることがあるので今日はごめんなさい」

彼女はそれだけ言うと、軽く頭を下げてどこかへ行ってしまった。

この20年間、リクオがつららに酌を頼んで断られたことなどただの一度も無かった。

何か用事があってもリクオを優先し、用事を後回しにしてしまってはその度リクオが注意していたくらいだ。

それがどうだ。その日のつららは一言二言残すと振り返りもせず去っていってしまった。

今考えてみれば、明らかにおかしい。

しかしその時はよっぽど大事な用があったのだろうとさほど気にはしなかった。



最近の不自然な言動はそれだけではない。









また別のある日―


リクオが大学から戻ると、鴆が深刻な面持ちで出てくるところとすれ違った。

その表情から何かあったのかと問えば、曖昧に濁されてしまった。

鴆の歯切れの悪さに違和感を覚えながら屋敷へ帰ると、つららが体調を崩して床に伏していた。

あまりの顔色の悪さに心配すれば、大丈夫だと言う彼女の様子も明らかにおかしかった。

そう、表ですれ違った鴆と同じ不自然な反応。

鴆に見てもらったと聞いて、体調不良の原因を聞いても彼女は曖昧にはぐらかしてきた。



その頃からだった―

つららは頻繁にめまいや嘔吐などを繰り返し、もはや仕事も手につかないほどであった。

今や屋敷の家事は休み、休暇という形で療養している。



そんなある日、珍しくつららのほうから呼び出されて部屋へ行ってみれば―

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思い出せるだけの記憶を漁っても、別れたいと言われる要因らしき要因は見つからなかった。

しかし、つららの露骨に不自然な言動はいくらでも思い出されたのだった。


「くっ・・・わからない。なんで・・・」

わけが分からずに歯を食いしばっていると、ぽつりとつららが呟いた。

「・・・リクオ様は悪くありません」

顔色は相変わらず蒼白で、虚ろな目をしている。

しかし、わずかに力なく微笑んでいる。

「大丈夫です、心配しないでください。じきに良くなります・・」

「おかしいと思ってたんだよ。一体どうしたの?鴆さんに聞いても教えてくれないし・・」


あの日から鴆は頻繁に本家へ訪れてきた。

目的はもちろんつららの検診で、リクオはその度に捕まえて問いただしたが何も教えてはもらえなかった。

「・・・ボクには言えないことなの?」

「・・・」

また深刻な顔をして黙ってしまう。

そもそも、つららの体調と別れる事の関係が分からなかった。

もしつららが何か大変な重病を患っても、最後の時まで彼女を愛する自信がある。

つららはそうは思ってくれていないんだろうか。

自分がさほど信頼されてないのではないかという言い知れぬ不安が押し寄せてきた。


そんな心情を察したのか、つららがまた薄く微笑みながら囁くように言った。

「私は・・・リクオ様を誰よりもお慕いしております。どうかそんな顔をなさらないで」

「だって・・・つららはボクに何も教えてくれないじゃないか!それは信頼していると言えるのか?」

困ったような顔をしてまた俯いてしまう。

「・・・言うべきではないと思ったから、言わないんです」

言うべきではない・・・?

ボクはますますわけが分からなくなっていった。

それほどまでにつららを悩ませているのはどんな重病なのだろうか。

もしかして、もう短い命だと分かりボクに気を使っているのか?


「つらら、お前がどんな重病を患っていようとボクは変わらない。ねぇ教えてよ、なんていう病気なの?」

「それを聞いてどうするんですか?私は組のためを思って・・・あっ」

しまった、という顔をして口をつぐんでしまう。

組のため。

彼女は確かにそう言った。

彼女のその病気が組に何かよくない影響を及ぼすのだろうか。

感染病・・・?

いや違う。だとしたら隔離もされず野ざらしにされているわけがない。




「とにかく・・・です。私にはもうお構いにならないでください」

「なんで・・なんでそんなこと言うんだよ」

今まで渦巻いていた悲しみと絶望感が次第に怒りへと変わってくるのが分かった。

一切理由も聞かされず、突然一方的に別れてくれなんて、理不尽だと思った。


「すいません・・・」

その表情はひどく儚げで、悲壮感に満ちている。

「・・・信じてたのに」

「リクオ様・・?」


それだけ言うと、すっと立ち上がる。

今はこれ以上冷静を保っていられる自信が無かった。




「待って・・・ください・・っ!」

リクオが障子に手をかけると、辛そうにつららは身体を起こして言った。

「おい、起きたらまずいだろ・・・」

「いいんですっ!・・・ごめんなさい、そんな悲しそうなお顔、やっぱり見ていられません」

黄金色の瞳にいっぱいの涙をため、震えるような声でそう言った。

「・・・で、どうしたの?」

そんな彼女がひどくかわいそうになり優しく問う。

「聞いても・・・私を嫌いにならないでいてくれますか?」

「別れろって言ったり嫌いになるなって言ったり・・・つららはわがままだなぁ」

「・・・」

「いいよ、言ってごらん。ボクはどんなつららでも受け入れる」

つららを不安にさせないよう出来る限り笑顔でいることを努めた。

今の今まで自分が死ぬほど不安だったのに、つくづく自分はつららにゾッコンだと苦笑する。




つららはか細い声で呟くように話し出した。

「私・・・お仕事をしていたら突然吐き気や眩暈で立っていることも出来なくなったんです」

「知ってるよ・・症状については鴆さんから聞いてるから」

「はい。で、疲れがたまっていたんだろうって思って少し休ませてもらったんですが・・・全く良くならなくて」

つららは一つ一つ搾り出すように話した。

「鴆さんを呼んで見てもらったんです。そしたら・・・」

するとつららはたまった涙を一気に零して震えた声で言った。






「妊娠だって・・・・・」

ニンシン・・・

ボクは一瞬言葉の意味が分からなかったが、数秒考えてやっと理解した。

「あ、勿論その・・・リクオ様の・・・です!」

ボクの不安そうな顔を見て慌てて付け加えた。

「・・・それで、なんでそれを言わなかったの?」

「え・・・だって、そんなことが皆に露見したら組が大変なことになるじゃないですか・・」

それは確かにそうだ。

3代目の子供を産むとなれば、それは必然的に四代目候補となる。

それくらいの重大な意味を持っていた。

「確かにそうだけど・・・そんなの、大したことじゃない」

「な、何を言ってるんですか。大変なことですよ。リクオ様はまだご結婚なされてない・・・私との間に子などもうけたら・・」

「何?問題があるの?」

「・・・・いつか現れるであろうリクオ様の奥方に迷惑ですっ!私、そんなの耐えられません」

「・・・さっきから何を言ってるの?つらら」

「何をって・・・愛人の私など、それまでのほんのつなぎみたいなものでしょう?」

このとき、ボクは今までに無い怒りのようなものを感じた。

でもそれは誰かを忌み嫌う時のそれとは違った。





「おいつらら・・・いい加減にしてよ。さっきから聞いてれば・・何を勘違いしてるんだ?」

「・・・」

「愛人?いつボクがつららを愛人にしたの?それで妊娠したらさようならって・・・ボクはそんな薄情なやつじゃない」

「・・・分かってます。リクオ様はとてもお優しい方・・・だからこそです」

「どういうこと?」

「優しいからこそ・・・私に気を使ってくださるでしょう。そして産んでいいと言われると思ったのです。私を傷つけまいと」

「はぁ・・・つらら、これはボクが悪いのかもしれないけど。ボクの気持ちがちゃんと伝わってなかったんだね」

「気持ち・・・?」

「まぁ確かにちゃんと伝えたことはなかった。だからこそ今言うよ。ボクは・・・つららと夫婦になりたいんだ」

「えっ・・?」

「まぁ付き合い始めたのはまだ子供の頃だったから仕方ないけどさ・・・ボクはいつかつららとそうなるつもりだったんだよ」

「リクオ様・・・」

「だから「産んでいい」じゃない。「産んで欲しい」だよ」

つららは再び涙で顔をぐしゃぐしゃにして泣き出してしまった。


「リクオ様ぁ・・・それは、本当ですか?本当に私が産んでいいのですか?」

「うん、産んで欲しい。ボクの子を・・産んでよつらら」

「・・・り・・リクオ様ぁ〜・・!」

つららは起き上がると、今まで貯めていた涙を盛大に散らしながらボクに抱きついてきた。

「おいおい、ちゃんと寝てないと・・・」

「私・・私、勘違いしてました!ずみばぜん・・・」

ボクはその小さな命が宿った場所に手を当てて、優しく撫でた。










数ヵ月後―




「うし、順調だ。あれからすっかり体調も回復したな。つわりはあるけど見違えるようだ」

鴆は安堵したように言った。

「ありがとうございます鴆様。これもリクオ様のおかげです・・・」

「しかしびっくりしたなぁ産むって言われたときには。これでリクオも父になるのか・・」

「ははは、本当に良かったよ・・つららが元気になって」

「あれだな、体調不良は妊娠だけのせいかと思っていたがそうでもなかったらしい」

「え?どういうこと?鴆さん」

「堕とさなければいけないと自分を追い込んでいたから精神的にも辛かったんだろ。でももう大丈夫だ、経過順調」

「ご、ごめんボクのせいだね・・・」

「リクオ様のせいではありませんよ。私が勘違いしていたのが悪かったんです」



「じゃあ俺は戻るからな」

「うん。いつもありがとう鴆さん」

「いいってことよ。義兄弟の子供だからな。あー楽しみだ」

そう言って鴆はひらひらと手を振りながら帰って行った。










数年後―



「こら、お父さんにもいい子にしてなさいって言われたでしょ!降りてきなさい!」

「だって・・・お父さんもよく登ったって言ってたよ!」

幼子はぷくっと頬を膨らまして庭先の木を渋々と降りてくる。

「はぁ・・・リクオ様ってば・・。確かによく登ってはいましたけど」

一昔前の夫を思い出してため息を漏らす。

「あ!お父さんだ!おかえりなさい!」

「おう、ただいま。いい子にしてたか?」

「うん!」

「そうか、じゃあご褒美に桜の木に登らせて・・」

「・・・リクオ様」

見れば愛しい妻が似合わない眉間の皺を作って睨んでいる。

「つらら?どうしたそんな怖い顔して・・・」

「もう!少しはお手本になってください」

「あはは!お父さんまたお母さんに怒られてる!」


幸せに溢れた奴良組の屋敷では、今日も賑やかな笑い声がこだまする


 

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