book1
□磨きがかった童心
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「ん…」
目を開けるとそこには見慣れた天井があった。
立ち上がろうとするとひどく体が重く、スッポリと収まっている布団から這い出るのも辛い。
体中がかなり熱を持っており、思考もうまく回らない。
首を動かして部屋の外を見れば、今がまだ昼間であるということが分かった。
まだ寝る時間ではない。
「あれ…ボクは一体どうなって…」
ぼーっとする頭で、なぜこんな真っ昼間から布団まで敷いて自分が寝ているのかを考えた。
しかし考えどもこれまでの記憶がまるでない。霞がかかったかのように頭がぼーっとして働かない。
それこそ鏡花水月のようにぬらりくらりとした感覚。
なんだかよく分からず暫くじっと考えていると、廊下をぱたぱたと走る音が聞こえてきた。
聞きなれた足音。すぐにその足音の主が誰かは分かった。
「リクオ様!お気づきになられたんですね!」
つららは歓喜の声を上げると、手に持った氷嚢を放り投げて駆け寄ってきた。
「つらら・・?」
「ずっとうなされてましたので、私心配で心配で・・・」
目に涙をためてリクオの手を握る。
そしていつか同様その熱に飛び上がり、枕もとの水桶まで全力疾走する。
「あっちちちちぃぃぃ!」
そんなつららを見て、ようやく自分が尋常ではない熱を発していることに気づく。
「あの、つらら、ボクはいったいどうなったの?」
「え・・・覚えておられないのですか?」
「うん、なんかこうなる前の記憶がすっぽり抜けてて」
「リクオ様はお倒れになられたんですよ。インフルエンザで」
「い、インフルエンザ!?」
リクオは今までインフルにかかったことは一度もなかったが、それが普通の風邪とは違うことくらいは知っていた。
以前学校でインフルにかかった友達がほぼ強制的に登校禁止されていたのを思い出す。
あの時は自分とは無縁のものだと思っていたが、今は他でもない自分がその被害者となっている。
「だから、しばらくはおとなしくしていてください。ただの人間ならば一週間くらい続くのだそうですが・・・鴆様の見立てでは、リクオ様は妖怪でもあるのですぐに治るとのことです」
つららは自分のことのように心配した様子で熱心に説明してくる。
それと同時に、絶対安静にさせるという強い意志が痛いほど伝わってくるのだった。
「つ、つらら?ボクなら大丈夫だよ。そんなに心配しなくても・・・」
「いーえ、ダメです!リクオ様のことだから抜け出そうとか考えてるに決まってます。そんなこと私が許しませんよ!」
そういって身構える。そんなつららには一瞬の隙だってありはしなかった。
そうなってしまうとつららは昔から聞く耳を持たない。
片時だってリクオから目を離さないのだ。
リクオのわずかな動きも見逃さない。
・・・正直言って、全く落ち着かない。
「仕事熱心なのは嬉しいけど・・・そんなずっと凝視されたらボクだって落ち着かないんだけど」
とうんざりした様子で言うと、
「あ、すいません!」
そう言って慌てて目を離すと、別の空間へ目を移す。
しかしきっと視界の端には常にリクオが入っているのだろう。
「ところでつらら、今日はやけに屋敷が静かなようだけど」
いつもなら屋敷に住まう小妖怪達の声が聞こえてくる。
しかし、今日に限って物音一つしないのだ。
こんな退屈な時こそ、小妖怪のくだらない会話でも無いよりずっとマシなのだが・・・
「今日は組の大事な行事ごとがあるとのことで、みんな出払っていますよ」
「え・・・えぇぇっ」
「なんですか?療養中のリクオ様にはとっても都合がいいじゃないですかっ。うるさい小妖怪達もいないですし」
布団の中で肩を落とすリクオをよそに、つららは真顔でそう言った。
仕事熱心な自分の下僕に喜んだらいいのか悲しんだらいいのかよくわからない。
「つらら・・・もうだいぶ良くなってきたからちょっと、散歩に・・」
「なりませんっ!」
そう言ってキッ!と見てくる。
やれやれとリクオは布団に顔から潜った。
それにしたっていくらなんでも暇すぎる。
寝ようとしても寝すぎたのか目がすっかり冴えてしまっている。
抜け出そうにもこの状況だ、困難を極める。
こんなとき、現代の子供なら携帯ゲームでもやって暇をつぶすのだろう。
しかしゲームなど持っていないリクオには、こんなとき持て余した暇をつぶす術がないのだった。
さてどうしたものか。そう考えていると、今つららがどうなっているか気になった。
布団の脇をそっと持ち上げ、外の様子を伺う。
覗き見れば、先ほどと変わらず正座するつららの足元が見えた。
ずっとそうしているつもりだろうか・・・暇じゃないのかな、などと考えていると
「リクオ様?何をなさっているのですか」
鋭く言われてびくっとするリクオ。
「ふふ・・全く、今も昔もすることは変わりませんね」
などと言ってクスクス笑っている。
今年でリクオは二十歳を迎える。
妖怪としては7年前に元服して今では立派な奴良組の三代目である。
人間としても今年で成人なのだ。
「今年で人間のお姿でも元服なさるというのに・・・いつまでもお変わりないようで、少し嬉しいです」
「まったく・・・いつまでも子供扱いしないでよ」
「だって、現にそうやって寝たふりをしながら私の足元を覗いているではないですか。幼い頃のリクオ様もよくそうやって私の様子を伺っていたものです、ふふふ」
また思い出したように笑い出す。
「ち、ちがうよこれは・・・その、暑くなってきて!」
我ながら分かりやすい嘘をつくもんだと心の中で苦笑する。
「はいはい、分かりました。でもそうやって機会を伺っても私はここを動きませんよ」
これでは埒があかない。
そう思ったリクオは次の手に移った。
「つらら、あのさ・・・ボクちょっとトイレ」
予想通りいかにも怪しむような目つきで見てくるつらら。
「そんなこと言って、逃げ出そうとか思ってるんじゃないんですかぁ?」
「そ、そんなことあるわけないじゃないか!ボクをいつまでもやんちゃ坊主だと思わないでよ」
図星を突かれて動揺する。
動揺を悟られないように必死に平静を装った。
「ではちゃんと戻ってきてくださいよ」
どうやらトイレまで引っ付いてくることはないようだ。
それを好機ととったリクオははやる気持ちで部屋を出た。
「へへっ。あんなところでじっとしてられるか」
背後からつららが尾けてきてるんじゃないかという危機感と、童心に戻ったような気持ちで自然と早足になる。
しかし、足元がふらついて思うように歩くことが出来ない。
「見つかったら逃げ切れないかもな〜」
そう思ったリクオはできるだけ部屋から遠い反対方向へ急いだ。
勢いで出てきてしまったが、特に目的があって出てきたわけではない。
「んー、うまく逃げたのはいいけどこれからどうしよう」
せっかく鉄の・・いや氷の要塞を抜け出てきたのに元も子もないことに気づくリクオ。
遊び相手になる妖怪達も出払っている今日は本当にアテがなかった。
熱のせいかひどく体が熱い。
そう思ったリクオはとりあえず涼しい場所に行きたくて、つららの部屋に入った。
その頃つららは、リクオにまんまと騙され逃げおおせられたことに気づいた。
「リクオ様・・・さすがにもう大人だし大丈夫かなとか少しでも思った私が甘かったです!」
つららは口元こそ笑っているが、その黄金色の目は笑っていなかった。
「どこですか!リクオ様ぁぁぁぁぁ!!」
遠いリクオの部屋とは反対側に位置するつららの部屋までもその覇気とも言うべき怒声は聞こえてきた。
「うわ・・・気づいたな」
そのただならぬ気配にリクオはぶるっと身を振るわせた。
別に涼しいこの部屋のせいではなく、その冷たい怒りにである。
普段こそ可愛らしい可憐なつららだが、一度怒らせれば氷点下の吹雪が吹き荒れ見る者を振るい上がらせる畏れの持ち主だ。
安易な言動をとれば、主のリクオとて例外ではない。
ここにいればいずれ見つかって、それこそ文字通り完治するまで氷付け・・逃れることは叶わないだろう。
そう悟ったリクオはひんやりとしたつららの自室のを抜けた出た。
ふと庭先のほうを見れば一本の大きな木が生えており、まだ幼き頃の悪戯盛りだった自分を思い出した。
「あーあの木。よくあそこにつらら吊るして悪戯したよなぁ」
そして後ほど言葉なき仕返しをもらったことを思い出して苦笑する。
「くくっ、よーし」
自分の中で懐かしい悪童心がふつふつと湧き上がってくるのを感じた。