book1
□酸いも甘いも
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リクオは忘れ物がないか確認するとバッグを背負って玄関へ駆け出した。
「わあっ、もうこんな時間!もう、なんで今日に限ってこんなに・・・・・」
大広間を見れば、朝とは思えぬ賑やかな光景が広がっていた。
普段朝から活動している妖怪は全体のごく一部でしかない。
しかし、今日は何故か屋敷に住まう人口の半数以上と思われる妖怪達がごった返していた。
そのため、起きてる者の少ない普段なら朝食にさして手間はかからないが、今日は自分のご飯の確保にえらく時間がかかってしまい今に至るわけである。
「なんなんだよ・・・今日なんかあったっけ?」
総会、イベントなど、今日の予定を思い出してみるが心当たりは無い。今日は至って普通の日だ。
つい立ち止まってそんなことを考えていると、何か忘れてることがあるような気がした。
「んー、あれ?つららは?」
ふと気づけば、普段なら一緒に登校しているつららの姿がない。
いつもこれくらいの時間になれば、「遅刻しますよ〜!」と急かして来るが、今日は影も見当たらない。
「何やってんだよつららのやつ・・・。あ、青!つららは?」
朝食を食べ終えてちょうど人間に化けたところの青田坊を見つけ、問い聞くと
「あ、若おはようございます!雪女ならさっき台所のほうでごたごたやっとりましたが・・・」
「台所?何やってんだよ、遅刻しちゃうよ!」
そこへドタドタと首無が走ってくるのが見えた。
「あ、よかった、リクオ様まだおられたのですね。つららから言伝を頼まれてきました。今日自分は学校を休むので青と行ってくださいだそうです」
「ええっ?なんかあったの?今日妙に賑やかだし・・・・」
「うーん・・・それについては私からはなんとも」
首無はどうにも歯切れの悪い口調で濁した。
今日はどうも台所を中心としてごたごたしているようだった。
「んーそっか!わかった、じゃあいくよ青!」
「へい!」
そう行って大慌てで飛び出していった。
「言伝は伝えてきたよ」
首無は台所でせわしなく動き回るつららに向かって言った。
「ありがとう、首無。あー忙しい!」
台所ではつららの他にも数多の小妖怪達でごった返している。
いくら奴良組の屋敷の台所といってもさすがに限界がある。往来では頻繁に衝突事故が勃発し、ひどい惨状である。
「ふぅ・・・毎年毎年、よくやるよなぁ」
首無は壁にもたれかかって、足元を行き来する小妖怪達を眺めながらため息を漏らした。
すると、台所へ飛び込んできた毛倡妓の叱咤の声が響いた。
「ちょっと、あんたたち!これ順番逆よ!」
見れば毛倡妓が使いっぱしりの小妖怪相手に憤慨している。
これも毎年の光景だ、と首無はまたため息をつく。
「あ!首無こんなところにいた!あんたも暇なら手伝いなさいよ!」
そう来ると思って首無はそろりそろりと逃げていたが、一足遅かったようだ。
「おいおい、勘弁してくれ・・・」
「いいから!ちょっとついてきて!」
そういうと毛倡妓は半ば強制的に首無を引きずってゆく。
首無は諦めたように引きずられていった。
台所入り口でのそんなやり取りには耳も貸さず、つららは作業をてきぱきとこなしていた。
作業といっても至極単純なもので、溶かして型をとったチョコにトッピングを施し、冷却させるだけだ。
普段の食事では雪女の特性故、冷やしてしまってブーイングを貰うものだが、毎年この日に限っては活躍できるのでつららは楽しんでいた。
チョコを溶かしたり型へ注ぎ込んだりといった作業はすべて小妖怪に任せ、つららはその後の工程をそつなくこなす。
一般的家庭で行なわれる「バレンタインのチョコ作り」と、奴良組におけるそれは似て非なるものだった。
組の一大イベントとして行なわれるため、大量のチョコを生産しなくてはならないのだ。
つららが毎年そうするように、学校へ行かずに朝一で取り組んでもギリギリになることが多々ある。
それくらい組全員を満足させる量をこしらえるのは骨が折れる作業だった。
「ちょっと、次まだ?遅れてるわよー。これじゃあ明日の行事に間に合わな・・・」
隣でチョコを溶かしているはずの小妖怪を見ると、いつの間にか消えている。
よくあることだが、こんなことばかりでは到底予定通りに事が進むはずがない。
「あー!もう!また?これで今日何回目よ!」
小妖怪が消えるたびに違うのを代わりに連れてくるが、それの繰り返しである。
「もう・・・今年は早く終わらせてリクオ様用のチョコを作りたいのに・・・」
いちいち他の小妖怪を捕まえるのも面倒になったので、つららは自分でチョコを溶かす作業を始めた。
「あっつ・・・」
普段の食事作りは火を使うのも最小の時間にとどめるようにしているが、今日ばかりはそうもいかない。
なにせ、今日一日ずっと続けなければならないのだから。
数時間に及ぶ戦いの末、あと少しで予定の数が終わるという知らせを受け、つららはあと一息と気合を入れた。
その時。つららは突然目の前の視界が霞むのを感じた。湯気のせいかと思ったが、体が大きくぐらついてやばいと思ったときには地面に倒れていた。
「まだリクオ様のチョコお作りしてない・・・」
遠のく意識の中で呟いた。
気がついて目を開けると、真っ暗で一瞬ここがどこなのか分からなくて焦る。
が、ひんやりした外気を感じて自分の部屋であることを確信した。
しばらくボーっと天井を凝視しながら、今状況を一生懸命考える。
自分は毎年恒例のチョコ作りをしてて・・・熱にやられて倒れた。
そこからの記憶がないので、おそらくその後誰かに運ばれて今に至るのだろう。
そう頭の中を整理していると、初めて枕元に誰かがいることに気がついた。
暗くてぼやっとしたシルエットしか見えないが、それは明らかに夜のリクオだった。
「リクオ・・・様?」
そう呟くと、影はピクっと動いた。
「・・つらら?起きたのか?」
すこし寝ぼけたような、そんな声が返ってきた。
「ずっとここにいらしたのですか?」
「ん・・ああ。帰ってきたらお前が倒れたってんだ、びっくりしたぜ」
「・・・情けないです」
「いや、話は聞いてるぜ。しょうがねぇよ。そもそも熱さによえぇお前があんな仕事してるのがおかしい」
つららは頬に温かい感触を感じ、びくっとする。
手を当ててみればそれはリクオの手だった。
「そうだな、明日はバレンタインだったんだな」
どうやらリクオは帰って来てつららの話を聞くまで明日がバレンタインだということを知らなかったらしい。
「はい・・・。でも途中で倒れてしまって、リクオ様に差し上げるチョコをまだお作りしていません」
「何言ってんだこんなになって、んなこたどうでもいいよ」
「いえ、私が差し上げたいだけです」
「ふーん・・。でも、オレはこっちのほうが甘くて好きかな」
そして顔に温かい風が当たったと思ったら、口がふさがれた。
「んっ・・・!」
突然の出来事につららはびっくりして暗闇で目を見開いた。
唇から離れると、暗闇からくつくつと笑う声が聞こえる。
「リクオ様!?」
「なーんてな。じゃあゆっくり休めよ」
そう言うと、リクオの影は暗闇に消えて見えなくなった。
リクオの気配が消えてからもつららは頬を上気させ、今起こったことを脳内で反復してはさらに赤面した。
その後、つららは先ほどの出来事ですっかり目が覚めてしまい寝るのを諦め、台所へ忍び込んではリクオへ贈るチョコをこしらえたのだった。