book1


□小さな契り
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あのクリスマスの晩から数ヶ月を経た日の晩。
12才最後の晩酌をつららと楽しんでいた。

「いよいよ元服を迎えられますね!」

酒を注ぎながらつららが言った。

「ああ、いちいち子供ってだけで歯がゆい思いをするのもこれで最後だ」

注がれた酒をくいっと飲み干す。

「あら、でも人間としてはまだまだお子様じゃないですか」

「この姿では立派な大人だぜ?それは昼のオレに言ってくれ。そして…」

リクオはつららの左手をとった。
そして薬指にはめられている指輪をなぞりながら耳元で囁く。

「いよいよあの約束も果たすことができる」

つららの顔を見てニィっと笑う。
するとつららは例のように頬をピンク色に染めて口元を隠した。

「これまでは子供だからの一点張りで逃げられて来たが…もう逃げられないぜ」

「リクオ様…」

リクオは部屋にかけられた時計を見た。
時刻は午後11時55分だった。

「この呪縛のような時間もあと少しだ」

「…まもなくですね。なんだか私まで緊張しますっ…」

つららはどこからか取り出したクラッカーを握りしめている。

「おいおいつらら、もうオレはガキじゃなくなるんだぜ?そういうのはやめろ」

そう言ってリクオはつららの手からクラッカーを取り上げると、ぐっと体を寄せた。

「り、リクオ様?そんなにくっついたらお体冷やしてしまわれます…」

「くっくっ。いつもお前はそう言って逃げるよな」

「べ、別に逃げてなど…!リクオ様が風邪を引かれては大変なので心配しているだけです!」

「相変わらず強情なやつだぜ、お前は」

その時屋敷のどこかの柱時計がリクオの元服を告げる音を響かせた。

― …ボーン…

「あ…!13才のお誕生日おめでとうございます、リクオ様!」

「ありがとうつらら。これで晴れてオレは成人なわけだ…そうだな」

リクオは黄金色の瞳をまっすぐ見据えて言った。

「はい。リクオ様は立派な大人の妖怪になられました…」

つららは慎ましく袖を口元へ当てながら言った。
頬を紅く染めてはいるが目をそらさずリクオの目を見つめ返す。

この屋敷には何百という妖怪が蠢いているはずだが、そんなことが嘘のように静寂に包まれている。

「つらら、覚えているか。昔の約束を」

つららはリクオが言う約束が何を指しているのかを考えた。
しかし、これまでの生涯でリクオと交わした約束らしい約束は一つしか思い当たらなかった。

「リクオ様…私一人の勘違いでしたら、あの…とても恥ずかしいのですが」

「…オレはお前とそんなにたくさんの約束をしていたか?」

「いえ…一つしか思い当たりません。それも、リクオ様がとても幼い頃に交わされたお約束です」

「なんだ、ガキの頃にした約束なんて今更無効だって言いてぇのか?」

「い、いえ決してそういうことでは!…ただ、約束したと言ってもリクオ様にその意思がなければ…」

「オレが嫌なのに仁義で約束を守ろうとしてると思うのか?」

「決めつけてるわけではなく、確認という意味でですね…」

つららはリクオの語気の強さに押されてもごもご言い始めてしまった。

「ったく…昔から本当に素直じゃねぇやつだな。そんなに信じられねぇなら、これでどうだ?」

リクオは体をつららの方へ向けると、顔を近づけた。

つららは反射的に少し後ずさったが、リクオが本気だと分かるとためらい気味に黄金色の眼を閉じた。

唇と唇が触れ、ちゅっと擬音を発する。
数秒後リクオの方から体を離した。


「…幸せそうな顔しやがって」

つららはリクオが離れてもしばらく心ここにあらず、と言った様子だった。

しばらくして我に返ったつららは今起こったことを思い出して頬を今までにないほど真っ赤に染め上げ

た。

「り…リクオ様…」

「何だよ、満足しなかったならもう少しフレンチなやつくれてやるぜ」

「とんでもありません!フ、フレンチなやつってなんですかっ!…私には意味がよくわかりません」

つららは必死に分からない振りをしようとするが、顔は正直に染まっていった。

「やめとけ、お前が嘘をついても余計嘘っぽくなるだけだ」

そう言ってにやにやとつららを見る。

「本当ですよっ!…それにしても、リクオ様は本当にすごいお人だと思います」

「ん?何の話だ?」

「だって…幼い頃と変わらない気持ちを持ち続けるなんて普通無理ですもの」

つららは遠い目をして言った。

「そうか?んなのオレはあたりめぇのことだと思ってたがなぁ」

「そんなことはないですよ。だから大人達というのは皆、幼子の言うことを真に受けないのです」

「ったく、ガキにとっちゃあ呪縛以外の何者でもねぇぜ」

「でもリクオ様はその呪縛に打ち勝ちました。だからあの…私はそんな立派なリクオ様を誰よりもお慕

いしています」

つららは未だに上気している頬でニコッと微笑んだ。
それはある種の色気のようなものを感じさせる表情であった。

「じゃあそれは、OKってことだよな」

「…はい。というか、元々そういうお約束だったじゃないですか。リクオ様の気持ちがお変わりなけれ

ば受け止めさせて頂きますという…」


「随分またせちまったな」

「いえ、私は…ずーっと信じておりました…」

つららは上気させた顔をリクオへ近づけた。

「でもお前…順応はえぇよな」

先ほどとは様子がガラリと変わったつららを見てリクオは不敵な笑みを浮かべた。

「ふふっ、そうでしょうか」

「さっきまでのもどかしさが嘘みたいじゃねぇか」

「これまでリクオ様を苦しめてしまった分、癒してさしあげたいのです…だめですか?」

つららは鼻と鼻が触れ合うところまで距離を詰めた。
その表情は雪女特有の美しさと妖艶さが交わり、普段のつららからは想像できないような妖しいもので

あった。

「いや、むしろそそられるぜ。…つららお前、そんな表情ができたんだな」

「ふふ、リクオ様は雪女という妖怪を分かっておられませんね」

吸い込まれそうな黄金色の螺旋状の瞳をトロンとさせてリクオを見つめた。

「そうだ…もう遅いかもしれませんが、雪女と口吸いするとどうなるか知ってます?」

「ああ、その話ならじじぃから聞いたことあるぜ。凍えて死んじまうらしいなぁ」

リクオはつららの氷のように透き通る唇を指でなぞった。

「知ってるのに躊躇もしないなんて…もう少し慎重になったほうがいいですよ、リクオ様」

そう言うとつららは、少しはだけたリクオの胸に手を這わせた。


つららの冷たい指が火照った体に心地よい。

「つらら、いつまで鼻を突き合わせてるつもりだ?息がくすぐったいぜ。それとも、強気になってみた

ものの自分から接吻する勇気まではなかったか?」

リクオはそう言ってくつくつと笑う。

「そんなわけないじゃないですか…。リクオ様が凍えてしまっては大変なので考えていたところです」

「むしろこの密着状態の方がよっぽど凍えかねないぜ」

こんな時までお高く守り役気取りのつららの体をさらに強く抱きしめた。

「あ、やっ…苦しいですリクオ様。もう、凍えてしまっても知りませんよ…」

つららはそう言って妖艶に微笑むと、眼前に迫った唇へ口づけを落とした。
それは触れるだけの優しいキスだった。

唇を離すとつららはすぐにリクオから体を離し、最初の距離まで下がった。

「…でも風邪を引かれては困りますっ」

先ほどまでの妖艶なオーラは消え、普段見せる可愛らしいつららに戻っていた。

「ま、雪女だなんだと偉そうなことを言ってもまだまだキスすらウブだな。唇からはみ出てたぞ。毛倡

妓に言ってやろう、くくっ」

「え…ちょっとリクオ様!?からかわれるのは私なんですからやめてください!」

顔をほんのりピンクに染めて顔をぶんぶんと振る。

「俺はいつもありのままあったことを伝えてるだけだぜ?」

「いつもって…!あれとかこれとか…全部リクオ様が教えてたんですね!ひどいですっ」

「別に嘘ついてるわけじゃねぇしいいじゃねぇか」

「よくないで…―ふ!?」

リクオはつららを引き寄せると深い口づけで黙らせた。
今度はちょうど少し開いていた口に舌を滑り込ませて濃厚な接吻をおみまいする。

つららのひんやりとした舌を見つけると、絡めて楽しむ。

「ふぁ…う、んっ…んーっ」

つららは突然のことにただでさえグルグルの瞳をさらにグルグルさせて硬直している。

濃厚なキスを満足いくまで堪能したリクオは静かに口を離した。
唇と唇が離れると、そこには透明な細い糸ができた。

「ん、つららの舌はアイスクリームみたいだな。冷たくて柔らかくて気持ちいい」

「い、いきなりすぎますリクオ様っ!」

氷が形作っているとは思えないほど顔を紅くしている。

「接吻くらいでいちいち大げさなやつだな。男をたぶらかして楽しむ雪女が聞いて呆れるぜ」

「わ、…私はそんなひどい雪女じゃないです!」

「それにしたってちとウブすぎねぇか?」

「私はリクオ様をお守りすることに人生をかけてきました。ですから…その、そういうことをする機会

とか相手がいなかったというか…」

つららは目をグルグルぎょろぎょろと泳がしている。

「奇遇だな、俺もお前が初めてだぜ」

リクオはよく夜中に一人ででかけることがある。
つららはそのこともあり、リクオはもうその手では百戦錬磨であると思いこんでいた。

「信じられねぇって顔してるな」

「す…すぐ人の心を読むのやめてくださいっ!」

「くっくっ、じゃあこれからお前だけを想っているということを体で教えてやるよ」

「え…」

リクオは敷かれた布団へつららを押し倒した。






八年にわたる小さな契りが果たされた。

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