book2

□雪の母
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「じゃあリクオを頼んだわね!」


そう言い残して慌しく廊下を駆けて行く母の姿を、ぼんやりと眺める幼子。


「また、お母さんお仕事?」


まだ6つの彼は、つまらなそうに呟いた。


「若、お母さんはえらーい人だから仕方ないですよ」


面倒を任された側近は、慰めるように言う。

彼の母は、今は亡き2代目総大将の妻であった人だ。

屋敷の家事を行なう者の中では一番位が高いと言える。



「ちぇ・・・つまらないー」

「ご安心ください、私が好きなだけお相手をしますから」


彼女は眉を下げた。


とは言っても、彼はまさに遊びたい盛り。

少し前まではおとなしい遊びしかしなかったが、近頃は男の子らしくそれも過激になってきた。

毎度それに付き合わされるつららも気苦労が絶えない。



「じゃあ―」

「あ、若。今日はあんまり激しいお遊びは・・・」


そう言って腰の辺りを擦る。



先日のことだ。

この幼子がかくれんぼをしようと言いだした。


それならあんまり激しい運動はしなくて済むだろう。

その油断が甘かった。

いつの間に覚えたのやら、彼のこさえた罠に嵌ってこのざま。


それからここ数日、その時打った腰が痛くて家事にも支障を出すほどだった。


「ね、ですから今日はお話でもしましょう?」


自分の身もかかっているので彼女は必死に説得した。


「ぁ、」


すると彼は何か思い出したように側近の顔を見上げる。


「ゆきおんなのお母さんって、どんな人?」

「え、私の・・・お母様ですか?」


意外なことを聞かれて、目を丸くする。

彼に自分の母のことを聞かれるなんて思いもしなかった。


「うん。だって、ゆきおんなのお母さん見たことないから・・」


その何気ないような表情に、この幼子は素朴な疑問を投げかけているだけだと察する。


「たしかに、若にはお話してませんよね」

「うん、どこにいるの?」


新鮮な話題に、彼はわくわくとした表情を向けてくる。

自分の母親のことにそこまで興味がもてるなんて、子供とは何にでも好奇心が抱けるものなんだなと感心した。


「えーっと・・・今は私の故郷にいますよ」

「ゆきおんなの故郷?」

「はい、もっと北のほうにある寒ーい場所です」


そう言って、つららは自分も故郷である遠野に思いを馳せた。

あそこの気候は、雪女である自分にとってとても快適だ。


「ゆきおんなは寒い所、好きだもんね!」

「はい、とーっても良いところですよ」

「で?で?お母さんは?何をしてるの?」


次へ次へとせかしてくるので、何故そんなことが知りたいのかと疑問も生まれる。



「私のお母様はですね、昔私と同じようにここでお仕えしていたのですよ。今はそのお役目も終え、故郷で生活しています」

「ふーん・・・ずっとこっちにいればいいのに」


さも不思議そうに首を傾げる幼子。

彼は何も知らないのだから当たり前。

だが、つららはちょっと胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


「だって・・・・辛いでしょうから」

「え?何が?」

「あ、いえっ、何でもありませんよ」


心の中に留めていたつもりの言葉がポロリとつい零れてしまった。


「ところで若?なんで突然そんなことをお聞きになられたんですか?」


話を逸らす目的も兼ねて、先程から気になっていたことを聞いてみる。


「だって、いつか会わないといけないからね!ゆきおんなのお母さんに!」

「え?なんでですか?」


彼がそこまでして会いたい理由がよく分からなかった。

しかも、人並み以上に人見知りをする彼。

そんな彼が一度も会ったことのない人に会いたいと言うのは、とても驚くべきことで。


「なんでって・・・挨拶に」

「挨拶?」


幼子の口から出るにはあまりにも堅苦しい言葉。

子供はTVなど、日常のほんの些細な事にも影響されるという。

彼もまたそのクチなのだろう。


つららは何の気なしにそう思った。


「だって、ゆきおんなは将来僕のお嫁さんになるでしょ?」

「―えっ!?」


思わず彼の顔を見てしまった。

その顔にはからかいや、冗談といった類の色は全く見えない。

どうやら本気で言っているようだ。


「え、お・・・お嫁さんって・・・意味、分かってます?」

「馬鹿にしないでよ!」


その幼子は口をぷくっと膨らませて心外だと言わんばかりに吼える。


そういえば―

彼がもっともっと小さいとき、戯れでそのようなことを言われた記憶がある。



「あれ、ゆきおんな忘れちゃったの?僕との約束」

「え、あの、若が小さいときのですか?」


あんなの子供の一時的な戯れに過ぎないと思っていただけに、驚きが隠せない。


「ひどいなーゆきおんなは」


少し残念そうに呟く彼。


「あ、いえっ、その・・本気で言ってるとは思わなくて」

「本気だよ?」


その視線は幼いながらも真っ直ぐだ。

改めて冗談で言っているのではないと分かる。




でも― まだその顔はあどけなくて。

ちょっと頼りない。

それでも必死に見栄を張る彼に、つららは思わず笑みがこぼれる。


「ふふっ・・」

「なんで笑ってるの?」

「若、そんなに私のお母さんに・・・会いたいですか?」

「うん!」


そして、わざと少し妖艶に微笑んで囁いた。


「お母様は怖いですよぉ・・・?」


すると、彼の顔が面白いぐらいにひきつった。

それがさらにつららをおかしくさせる。


「え・・・」


まだ純心な彼の素直な反応。

やっぱりまだちょっと、頼りない。



「驚かすなよ、ゆきおんな!」

「だって、本当ですもの」


くすくす、と笑って頭を撫でてあげる。

すると彼はそれ程まで怖かったのか、つららの胸にしがみついてきた。


「あらあら、ごめんなさい若」


そんな反応が可愛らしくて仕方がない。


「こ、怖くないよ」


なおも虚勢を張る幼子。


「あ、では・・・」


ふと思いついたことを提案する。
思った以上に怖がらせてしまったみたいなので、その侘びも兼ねて。


「次、私が故郷に帰省する時に若も連れて行ってあげましょう」

「え、ほんと?」

「はい、でも凍らされないように気をつけてくださいね?」

「ひぃ・・・」


そしてまた顔が歪む。

なんて純粋なんだろう、と悪い気もしながら思ってしまう。


「じゃあ挨拶の練習しとくね!」

「え?挨拶ってまだ早いのでは・・・」


そんなつららの言葉も聞かず、その幼子は年齢に相応しくない言葉を次々に吐き出すものだから、つららは苦笑してしまった。



「ゆきおんなを僕のお嫁さんにくださいっ」

「あの、若?一応私のお母様も”ゆきおんな”なんですが・・・」

「あそっか・・・でも、ゆきおんなはゆきおんなだし・・・」


重大なことに気がついて困り果てる彼。

つららはもうそれがおかしくって仕方がない。


「つらら、とお呼びください」

「へぇ〜・・・ゆきおんなって名前じゃなかったんだ・・」


そう言ってとても意外そうな顔をする。


「よーし、じゃあ・・・つららを僕のお嫁さんに―」


つららは延々とそのくだりを繰り返す彼を、暖かく見守った。


いつか、この頼りない彼が立派になったその姿を想像して。

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