book2
□始まりに近づく恋心
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碗に盛られた白米に、小さく息を吹きかける。
すると途端に雪麗の手にした飯は氷結し、米には無数の氷晶が舞った。
総大将の側近でありながらも他の組員と違わず屋敷の家事を熟す彼女は、今日は所用のために炊事場に立つことができなかった。
冷めた飯をと仲間が気を利かせ彼女の膳だけ一足先に用意してくれていたのだが、それでも物足りなさを感じてしまうのは雪女の性か、けれどもそれを気に留める者もこの幹部が集まる広間には誰一人としていなかった。
「そういえば雪女、お前に縁談の話が来ておったぞ?」
小さな体躯ながらも皆と同じように膳を囲んだカラス天狗が突然、思いついたように言った。
その言葉に米を口へと運んでいた雪麗は取り分け驚いた様子も見せず、ゆっくりと咀嚼をして飲み下すと茶を啜って口元を拭った。
「そう」
「ん?それだけか?」
カラス天狗は虚を突かれたように問い返す。
「それだけって・・・他になんて言えばいいのよ」
苦笑した雪麗は大して興味がなさそうに真鯛の煮付けに箸を伸ばした。
「た、確かにそうだが・・・」
「受けるのか、受けねぇのかだろ?知りてぇのは」
そこに、一つ目入道が口を挟む。
「そんなこと、ここで決められるわけがないでしょ」
「そりゃそうだ」
雪麗の返しを受けた一つ目がカラス天狗を見遣るから、彼は居心地が悪そうに肩を竦めるしかなかった。
「あとで適当に返事しておくわよ」
今度は青菜の浸し物に息を吹き掛ける雪麗を、上座に座った男が無言のまま見つめていたことには、誰一人として気づく者はいなかった・・・。
「雪女、カラス天狗が言っていた縁談の件、どうなったんだ?」
夜半。
主の寝床を整えていると、突然後ろから声をかけられた。
「またその話?カラス天狗といい、アンタといい・・・そんなに私に組を出てほしいわけ?」
振り返った雪麗は至極不機嫌そうだった。
「いや、そういうわけではないが・・・」
「ちゃんと返事したわよ」
雪麗は仏頂面をそのままに、敷布を撫でる手つきもどこか乱暴にそう言った。
その言葉を聞いて、ぬらりひょんは短く息を吐く。
「あ、あぁ・・・。まぁ確かにお前は奴良組の妖である前に、ワシの側近だからな。余所からの縁談など取るに足りない―――」
「はぁ?何言ってるの?顔合わせよ、顔合わせ」
「・・・なに?」
全くもって意思の疎通ができていないこの主と側近は、互いに相手の顔を見合わせ頓狂な声をあげた。
「・・・受けたのか?」
「そうよ。何か問題でもある?」
寝床を整え終えた雪麗は長い髪を揺らしながら振り返り、座卓に肘を掛け呆然とする主に歩み寄った。
「あぁ、寄合の心配?大丈夫よ、そこのところはちゃんと調整するから」
縁談が理由で寄合に顔出せませんでしたなんて、一つ目辺りが聞いたら憤慨しそうじゃない、と雪麗は笑った。
「いや、そうじゃなくてだな・・・」
「なによ、他にもなにかあるの?」
煩いわねぇと雪麗。
しかし一方のぬらりひょんは彼女の想いなど露知らず、一人困惑していた。
「縁談・・・」
夕餉の席でカラス天狗が持ち掛けた時も心底驚いたが、今はそれの比ではない。
「屋敷を・・・出るのか?」
「え?」
「縁談が決まれば、お前は組を抜けて嫁ぎ先へ行くだろう?」
いつになく重い主の口調に雪麗は眉ねを寄せる。
「ぬらりひょん?」
「・・・雪女」
「あ・・・まぁ、たとえそうなったとしてもだいぶ先の話だろうけど―――いつまでもここに世話になってるわけにもいかないわよ、場所が場所だもの」
世間体。
雪麗は困ったように苦笑した。
「まぁいい頃合いかなとも思ってるのよね、まぁこれでも一応天下の奴良組傘下にあるわけだから?跡継ぎ残さずってわけにもいかないし・・・」
彼女へ宛てて、郷里の遠野からそれなりの諌言が届いていることをぬらりひょんは知っていた。
当たり前である。
彼女は一族の中でも頭角の抜きん出た雪女なのだから―――。
「まぁこれで漸く大人しくなるかしらね、上も」
雪麗はうんざりしたように笑った。
「まぁアンタが望むように、ここを出る時が来たら潔く出てってあげるから、その時まで我慢してよ」
足袋を畳へと擦り、着物の裾を捌く。
「じゃあ、後でね」
猪口を口へと運ぶ真似をして、雪麗は立ち上がった。
白く冷たい指先がぬらりひょんのもとを去っていく。
彼が―――ぬらりひょんが、咄嗟にその指先を己のそれで掴むまで、ほんの一瞬。
「ッ、・・・な、なに!?」
いきなり腕を捕まれつんのめるような格好になった雪麗を、ぬらりひょんは無言でその腕の中に掻き抱いた。
「ちょッ、ぬらりひょん!?」
「・・・行くな」
「は!?」
呟くような声音をそれでも彼女は聞き逃さなかった。
「ちょっと、燗なら後でって言ったでしょ!?湯浴みくらいさせてよッ!」
雪麗はジタバタと暴れる。
「行くな」
「ッ、―――」
縋るような表情に、やがて雪麗は仕方ないと小さく溜息を吐いたのだった。