novel (nagi's story)

□prologue 〜運命の日〜
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町の市場に着く頃には石畳の感触にも慣れて、靴底に感じる違和感も消えていた。

海上では、穏やかな日であっても安定した大地とは違う。揺れの中でのバランスを保つような重心の取り方や歩き方が身に付いている船乗りは、船から地上に降り立った時、使われていた筋肉が緩む為にふわっと身が軽くなる感覚を味わうと同時に、靴底からはどしりと揺るがない大地に引かれる重力のパワーを感じてしまうのだ。


ヤマトという島国は気候が温暖な国だと、唯一この町に立ち寄った経験がある船長が、上陸前に教えてくれた情報である。

ここよりひとつ前に出向いた国が、さらに北方で丁度吹雪いている中のお宝探索であった為、船の連中は当分は寒さを味わいたくないと願っていたのだ。

地味な町並み、小さな市場、行きかう人々の身なりからして、決して裕福な暮らしぶりではなさそうな町だが、緑色づく木々も、細い通りを吹き抜けていく風も心地よい。

日頃、潮風に纏われて暮らしている身体には、土や草花の匂いがとても新鮮で、吸い込む度に身体の中を浄化していくようだ。

そして、その匂いの中に微かに混じる色々な食材の匂いまで嗅ぎ分けて楽しんでしまうところが、料理人としての習性である。

「はい、これオマケだよ。家の手伝いかい?不況続きだからねぇ。せいぜい親孝行するんだよ」

「あ、ありがとうございます」

隣の店で野菜類の買出しを任せていたトワが、店のおかみさんにリンゴをまけてもらっている。

トワは、家の手伝いをする男の子に間違われたことに照れているが、彼を知るナギでさえ、トワは普通の16歳の男の子以外の何者にも見えない。普段のように買い物に立ち寄っただけの、この町の住人にしか見えなかった。

あいつの何処を見たら海賊に見える?見えねーよなぁ…

普通に暮らしていれば、こんな風に買い物したり、町の人々と交流があったり、人間らしい生活が出来るというのに。

あいつなら、まだ遅くはないだろう。

あいつなら…

ナギはそう思ったところで、それ以上考えることを止めた。

そう、自分にはもう戻れない道である。



気づけば、トワが両手に溢れるほど膨れた袋を抱えて、ナギのもとへと来ていた。

「ナギさん、言われた食材は全て買いました」

「ああ…お前は本当に親孝行な息子だな」

ナギは袋から落ちそうなリンゴをひとつ掴むと歩きながら齧り付いた。

「…えっ!や、やだなぁ。見てたんですかぁ?」

顔を赤くしながら追いかけてくるトワに、ナギはフッと軽く笑った。


「おいっ、待てぇ、こらぁ!」

通りの向こう側をガラの悪そうな男たちが血相を変えて逃げていったかと思うと、声の叫び主がその後を追ってきた。

そして、ナギはその姿を確認し溜息をつくのだ。

ハヤテめ、また騒いでいやがる…

「ちきしょう!逃げ足だけは速いんだな、あいつら…」

「おい、ハヤテ!」

ナギが名前を呼ぶと、ハヤテはこちら側を振り返った。

「おー、ナギ兄っ!トワ引き連れて買出しか?」

ハヤテは船のヤンチャ坊主であり、喧嘩っ早いところからシリウス海賊団の特攻隊長でもある。
何故か無愛想なナギのことは『ナギ兄』と呼び慕っており、海賊船の先輩でもある年上のナギの言うことは素直にきいた。

「お前遊んでんなら、手伝え!買出しまだ終わらねーんだ」

「別に遊んでいる訳じゃねーよ。リカーの奴ら追って店に入りこんだら、そこで騒いでいる奴らまでいやがってさー…あ、シンも一緒だぜ」

ハヤテが来た道をふりかえると、シンは一緒の行動をしていたとは思えないほど悠然と歩いてやってきた。

「あと何を買えばいいんだ?」

「倉庫に酒が殆ど残ってねーんだ。樽でいくつか積み込んでおかねーと」

「ハヤテのバカがいつも暴飲暴食するからな」

シンがジロリとハヤテを見やるとハヤテは途端に怒り出した。

「なにーっ!いつもバカみてぇにガブ飲みするのは船長とシン!テメェだろうがっ」

「…っんだと!お前いつからそんな偉くなった?船長をバカ呼ばわりするわ、俺をテメェ呼ばわりするわ、いい度胸しているじゃねーか」

カチャリと銃に手をかけたシンを慌ててトワが止める。
これは、シリウス団の日頃の光景で、見慣れた喧嘩である。毒舌家のシンに単純なハヤテはいつも反応し腹を立てるのだ。

「二人とも、ここは路上ですよ。騒ぎを起こしたらマズいですって。もうやめて下さいっ」

ナギは無表情のまま冷めた目で傍観していた。

血の気の多い連中とはいえ、まさか血を見るような喧嘩を本気でしようなど思っている訳もなく、まして、町中で騒ぎを起こせば人々に迷惑もかかるし、途端に海賊には天敵の役人が飛んでくることは然りで、そんなアホなことをするはずもないことはナギは承知している。

故に、時間の無駄だとナギはその場を後にすることを選ぶのだ。

「トワ、放っておけ!こっちは忙しいんだ。行くぞ」



この時のナギは、まさかこの後、シリウス団にとっての大きな出来事が起こるとは思いもしないのだった。

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