novel(short : nagi)

□babysitter
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一段と照明が絞られた店は静かで、普段、立ち寄る店に比べると高級感があり大人びた雰囲気で落ち着けた。

当然、客層も変わり、中流階級以上の顔ぶれがグラスを傾けながら、政治や巷の流行について語り合っていた。

カウンター越しに受け取ったグラスからコニャック独特の香りが漂ってくる。

白葡萄の酸味に、熟成させていた樽のオーク材の匂いも微かに混じる芳醇な香りだ。

シンはグラスを軽く揺らし、まずはその香りを楽しんでから、琥珀色の液体を口に含んだ。

上等な酒が喉から鼻腔を通り脳を酔わせる至福を味わい、自分はやはり七緒達と別行動をとって正解であったと、シンは静かにほくそ笑んだ。


カウンターの奥の席にいる女は、相変わらず、こちらをじっと見つめている。
店に入ってきた時から、狙いを定めたようにシンから視線を逸らさない美しさが際立つ女だ。

それに気づいているシンは、簡単に靡いてやることはしないと、逸らし焦らし続けている。

クールな横顔を見せつけるだけで、決してこちらから眼を合わせることはしないのだ。

酒場に出向くと、男であるのに『美しい』と溜息を洩らされる程の容姿端麗なシンは、どの町に降りたっても、女達が放っておかないのは常のことである。

シンに眼をつける女達は沢山いた。

元将校出の海賊は、立ち居振る舞いにそれが表れるのか、元々持ちあわせている品格の所為なのか、貴婦人に誘惑される事も珍しくはない。

商売女達は、今夜の相手に自分を選んでもらおうと挙って群がるが、シンは馴れ馴れしい女と馬鹿な女がこの世で一番嫌いなものであり、そんな女が無闇に近寄れば「失せろっ」と隠されてはいない方の漆黒の瞳で遠ざけるのだ。

『女嫌い』と言われる所以はこんな所からきたのであろう。

「見慣れない顔ね」

とうとう痺れを切らした女が近付いてきた。スッと隣に腰掛ける身のこなしに野暮ったさはない。

「…ああ。昨日、港に着いたばかりだ」

シンは無視をすることはしなかった。だが、眼をグラスに落としたままで顔を向けることはない。

漂う香水は、酒を不味くするような鼻を突く下品なものではなく、優雅で上品な香りを放つシンの好きな薔薇である。

シンはグラスをカウンターにそっと置いた。

「俺に何か用か?」

「ええ。あなたと寝てみたいの」

「……」

率直な女も悪くはないが、こういうタイプは高慢で自信過剰と決まっている。

初めてシンは女を正面に捉えた。

そして、改めて向き合い、そうなるのも無理はないと納得する程の美人であることを認めるのだ。

褐色の長い睫毛に縁取られたブルーの瞳には吸い込まれそうで、まるで深い海に落ちて行くようである。

一体、何人の哀れな男達がこの妖艶な煌めきに騙されてきたことか…と考えながら、シンは、女を強く見据えた。

「目的は何だ」

「あなたのような完璧でいい男に抱かれてみたいからよ」

この女は貴族や官僚たち相手に高給を稼ぐコールガールだ。

「ほう…初めて会った相手に随分と買いかぶり過ぎではないのか?それに…俺は、お前の事を買う世界の奴らでもない」

シンはカウンターに肘をつき軽く嘲笑った。

「いいえ、偶には私が相手を選んでみたいだけの話よ…」

女がシンのグラスを自分の口に持って行きかけた時、『待て』と言うようにシンがグラスの口を手で塞いだ。

「…まだオーケーした覚えはない。お前が選ぶということは、いつもの逆でいくという訳だよな」

「あら、あなたが私からお金とる?」

「いいや…生憎、俺は自分を売る主義ではない。気に合わねば指一本触れるのもごめんだ」

「そう…それで、私は触れてもらえそうなのかしら」

「お前は美しい…」

シンの深い色をした瞳が薄暗い照明の中で獲物を捕らえた獣のように底光った。

「だが、こちらにも条件がある。俺はこの町一番の資産家の情報が知りたい」

「…ただの貴族や将校には見えなかったけど、海賊ね?…いいわ。満足させてくれたならね」

「お前は、こちらが欲しい情報以上に教えるだろうさ」

シンはニヤリと笑うと、グラスを塞いでいた掌をどかした。

交渉成立である。






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