02/26の日記

23:37
幸福。
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先生は意地悪にぷい、とそっぽを向いた。
そんな…
目尻を下げ、山を見上げた。妖怪の気配がありすぎて、どれかどれなのか。
もしあやめが的場さんにーいや、的場さんに限らず祓い屋に幸福を渡したとしても、あやめは祓われてしまうだろう。
人を幸せにして消えるなんて、そんな悲しいこと。
胸のあたりがずんと重くなるのを感じた。
そのときだった。

「うわっ?!」
「うぎゃっ!」

強風。さっきまでそよ風だったものがマフラーを奪いかねないほどの強さになって、吹いた。
あまりの風圧で足元にいたにゃんこ先生が軽くすっ飛び、おれの足に激突。再び悲鳴上げた。

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22:42
幸福
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「幸せを運ぶ妖怪?」

いつものおやつを用意しようとしていたおれの背中に、先生が声をかけた。
もしかしたら独り言だったのかもしれないが、思わず問い掛けていた。

「うむ、最近このあたりにやって来たと噂になっていてな」
「まさか友人帳を狙って…」
「どうやらそうでもないらしい」

ぽてぽてと歩いてきた先生はおれの手からするめを奪い取り、「こりゃ硬い!」と言いながらも美味しそうに咀嚼し始めた。
何度も何度もするめを噛むにゃんこ先生の前に、おれは膝をついた。

「それって、名前はあるってことか?」
「そういうことだな」
「どんな名前か知ってるのか?先生は」
「うむ…うおっ、あぎゃ!」

あまりの硬さにぎぎぎと引っ張っていたするめの足がぶちんと切れ、その反動で先生は勢い良く背中から回転。悲鳴を上げてぱたりと倒れた。
数秒の沈黙。

「…先生、からかわないでくれるかな」
「これは不可抗力じゃ」

溜め息を吐いたおれにむくりと顔だけを上げた先生の口には、しっかりとするめが。
不可抗力なのは分かるけど、食べにくいなら千切るなり何なりしてやったのに。
しかし先生は随分と美味しそうにするめを口にする。まあ、食べてるならいいか。
するめと格闘し続ける先生をぼうっと眺めていると、ふとその小さな口が噛む以外の音を発した。無論、声。

「あやめ」
「ん?」
「藤崎あやめ。それが奴の名と聞いた」

藤崎、あやめ…

「人みたいな名前だな」
「どうもそいつは妖怪になったばかりの新参者。恐らく数十年前までは人間だったはずじゃ」

おれが率直な感想を告げると先生も頷いた。
なったばかりの、幸せを運ぶ妖怪。
それがどうしてこの近くに?
疑問が顔に出ていたのだろうか。にゃんこ先生は再び足を噛み千切るべくするめを掴みながら、ぽつりと呟いた。

「また妖怪と人間との間でちょっとしたいざこざが起きているそうだ」
「そんな、どんないざこざが?」
「それは本人に聞いた方が早いじゃろ」
「本人?」

全く検討がつかなくて、先生にー今日だけで何度目だー問い掛けた。
すると先生はちらりとこちらを見上げ、すぐにするめに目を向けた。
でも、しっかりと“本人”の名前を教えてくれた。
妖怪が聞いたら震え上がるであろう、人物の名を。



「やけにに騒がしいですね…」

風が凪いだ。人間が聞けばただのそよ風だろうが、自分の耳にはそれに喋り声が混じって聞こえた。
森にまた妖怪が出たのだろうか?だとしたら早く祓わなければならない。
それが例え無害であろうとも、寧ろ有益なものであろうとも。
立ち上がろうとしたとき、ふと自分の持つ湯飲みに目を落とした。
水面を揺らす、茶柱。

「…幸せ、か」

茶柱は小さな幸せのひとつだと聞く。
幸せなど、自分には最も縁遠いものかもしれないのに。
湯飲みを火鉢の傍らに置き、的場静司は未だ風の吹く森へと歩き出した。



おれは思い切り走っていた。
向かうはいつしか的場一門の屋敷があった、未だに妖力溢れる山。

「こら夏目!まーた首を突っ込む気か!」
「だって的場さんの近くにいるんだろ?!ぐずぐずしてたら祓われるじゃないか!」
「そーんなものほうっておけばよい!」

足元を走る先生と軽い口論を繰り広げながらも、やっとのことで山の麓に着いた。
やはり変わっていない、覆い茂る木々。

「何で、その妖怪は、祓い屋に寄っていくんだ?」

走ったせいか切れ切れの息で、先生を見下ろした。
先程先生が教えてくれた、藤崎あやめという名の妖怪の、噂話。

”何でもそいつは人の幸福をあっちらほっちらと運ぶそうでな、それはまるで磁石のように、そいつが幸福を持っているときこそ不幸な輩にふらふらと近寄るそうだ。また逆も然り…どうやら聞いた噂では、一度的場の門下生とも接触したらしい。全く度胸のある奴じゃ”

「じゃあ、今あやめは幸福を持ってるってこと、か…」
「うむ、それは的場が不幸だとでも言いたいのか?」
「そ、そうじゃなくてな!」

先生の問いに慌てて返してから、おれは森を見上げた。
祓い屋は、妖怪という命を奪っているのだから、幸福ではないだろう。だから、それに寄るあやめには幸福があるのではないか。
全部全部推測だったが、もし、もしあやめが幸福を持っているのだとしたら。

「…的場さんにその幸福をあげる、ってこともあるのかな」
「まず違いない。ここいらで一番幸福が無いのは祓い屋しかおらん」
「祓い屋が幸せになったら?」
「さあて…調子に乗って妖怪を祓い続けるやもしれんな」

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