廃屋の少年は夢を見る

□1話.廃屋の少年は夢を見る
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少女の目前に、鈍い銀を反射する尖鋭が迫る。
鋭く鋭く、先は見えないほどの尖鋭が。
少年は、それをただ見ていた。
少女の背後から、脇から、面前から。
やがてそのきっさきは少女の体に突き刺さった。
少女は、夢の中で殺された。

ゆっくりと目を開けた藤田光が覚えていたのは、それだけだった。


1話.廃屋の少年は夢を見る


皺の寄ったシャツを軽く払い、重い体を起こす。
日光が差し込むことから時刻は既に朝を過ぎているんだろう。
扉すらない、コンクリート製の出入り口から、裸足のまま外へ出る。
見上げた太陽はもう真上にまで昇っていて。

「……綺麗だな」

呟きは風が揺らした木々の音にかき消された。
何気ない空を綺麗だと思えるなら、俺はまだ完全に壊れてはいないはず。
記憶は断片しか持ち合わせていなかろうとも。

藤田光には記憶が殆どない。
藤田光という名前は光が住まいとしている山奥の廃屋に彫られていた名前であり、自分の本当の名前は、知らない。
出生も不明。年齢も不明。
気がついたら、コンクリートの廃屋に立っていた。
右手には、汚れひとつない鋭利な刃物を持って。
自分が何者なんだろうという疑問は、あった。
しかし記憶は光が生きていく上に必要性は無い。木々になる実を日々齧って生きれば、それで良い。
そうしている内に、日を重ねるごとに削った壁の傷は増えていき、現在は100本を超えた。
つまりは100日は生きている、というわけで。
我ながらー我が誰なのか分からないがー凄いなと、ぼうっと青い空を仰いだ。

いつものように木の柑橘をむしり取り、以前食べた時苦かった皮を剥いて齧る。
汁が垂れたが、それは指で適当に拭っておく。
昨日は赤く熟れ、噛むと良い硬さの果実を食べたが、今日のは少しすっぱい。
同じくらいの大きさなのに、色も形もやわらかさも味も違うのは何故なんだろう。
再び齧ると、馴れたのか口には甘さだけが広がった。
……俺は昨日のよりも今日の方が好きだな。
食べられる部分の無くなった柑色の皮を、木々の根元に捨てる。
口周りを袖で拭い、踵を返そうとした。

ガサリと、草むらが動いた。
振り返ると、やっぱりそこは草むらだ。
……風か?
いや、違う。風ならば木々も揺れる。ならば、これは動物か?
じっと草むらを見つめる。かさかさと僅かに揺れる草むらが段々とその揺れを増していきー


「何なのよ此処、まるでジャングルじゃない!ああもうあいつらムカつく、上守に言いつけてぶちのめしてやる!」

荒く叫びながら出てきたのは、白く綺麗な頬に切り傷をつけた、小柄な少女だった。
剣幕は恐ろしいほどだったが、しかしその顔には覚えがあった。
曲がりのない茶色の髪
力強い黒い瞳
ぜえはあと息を繰り返す形の良い唇
この少女は、この少女はー
考えるよりも早く、がしりと少女の手首を掴んでいた。

「っどわあ?!」
「お前……っ」

少女は、この少女は、
“あの夢”の少女だ。
紛れもない、あの夢で殺された少女だ。
でも、一体、どうして……
最早悲鳴と呼んでいものなのかすら迷うくらいの声を上げた少女は、一瞬で落ち着きを取り戻した。

「は、あんた誰よ」

手首を掴まれていても、動じた様子はない。
ーと思えたのはその一瞬だけだった。
光の顔を見た途端に、転じて少女は目に見えるほどの動揺を露わにした。
眼球は一定の位置を定めることはなく、唇は言葉か酸素かーそのどちらもかーを求めるように開閉し、足も特定の地に付いているだけではすまされず、動き続けている。
そして少女は、ゆっくり瞳を閉じた。
次に黒い瞳が見えた時、瞳には雫が張られていた。

「光……?うそ、うそみたい、こんなところにいたの?」
「…お前、俺のこと知ってるのか?」
「当たり前じゃない、光、藤田光!死んだって聞いて、いなくなったって聞いて……何処に行ってたの?」
「………」

光は詰め寄られる質問とは別に気を向けていた。
この少女は“少女”ではない。
初めて顔を見た時の活発さなど、今の少女には無い。
雰囲気ががらりと変わったと言えば良いのか。例えるならば、牙を涎で濡らしたハイエナから、主へと尾を振る飼い犬へ変化したように。
いや、寧ろ逆かもしれない。
無言のまま、少女の黒い黒い瞳を見つめる。

「ねえ、光、元気だった?すごい久し振りだから、どうしよう……ね、これからどうしようか」

まるで光が返事をしているかのように、少女は笑顔を繰り返す。
今の“少女”の瞳は狂っていた。深く、底がない。
…でもこの少女は、俺を知っている。



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