十万打+一周年+閉店セール

□白いままではいられない
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初めに妙を見たとき、この学校にも随分とお利口な生徒もいたものだと思った。
蓋を開けてみれば中々に口厳しい小姑のようだったが。
さらに関わってみれば、常に踏張って直立に立っているけれど、時折それが揺れることもわかった。
分かったきっかけは、彼女の弟が喧嘩をして泣いた時だ。

二年の始めか、新八が怪我をして、家まで付き添ったことがあった。
保健室で泣きじゃくる少年に、本当なら軽く声をかけてタクシーで妙と共に帰らせるつもりだったのだ。
しかし、涙ながらに嗚咽をもらす弟の姿を、それこそ泣きそうな顔で見ている少女を見つけたら、
そのまま返すわけにはいかなかった。


「っつーのは、言い訳になんのかね」


帰り道の往来は人が行き交っているが、その独り言を聞いているものなどいない。
だから、自問自答するしかない。
こんなことを、同僚の誰にも話すわけにはいかなかった。

自分はそもそもが、生徒に立ち入りすぎると言われる。
しかし入り込まなければ分からないだろう。
それでも、妙のそんな本質を理解するまでに一年、かかった。

「分かりにくすぎだろ」

合コンで会っただけならこんなことは知りえなかった。
だから、生徒でよかったと思うべきかもしれない。
でも、それだけでは足りない。
こんな関係はあと一年で、そうしたら、頭を下げる体を持ち上げて家に乗り込んでやることだって出来るのに。
そうでもしなければ、彼女にとって自分はただの教師で終わるだろう。

だから、早く大人になって、自分を男として見ればいい。
玉砕覚悟で突っ込む覚悟はとうに出来ているのだから。



「……なぁ、教室一優秀なお前がこれはなに?」



それなのに数日後、まさか妙の答案片手に二者面談する羽目になるなんて思わなかった。
放課後の教室に二人だけ残って説教なんて、神楽や沖田にすらしたことがなかった。

「体調悪かった?テストの最中に寝てましたか」

そんなことがないことは知っている。
テストの時間には別の試験官が付いていたから現場を見てはいなくても、妙はそういう生徒ではなかった。
少なくても、白紙で解答用紙を出すような生徒では。

「おい、志村?」

妙は顔を上げずに俯いている。
さっきから一言も話さず、こちらを見ようともしない。
苛立ちが募ったのは妙にというよりは、力任せに問い詰められない自分の立場だった。
ああだから、この関係性は腹立たしい。
だから早く、飛級してでも卒業してほしい。
なのに。



「……進級なんて、したくない」



震えた声が揺らした空気に、思わず息を飲んだ。
顔を向けても、妙の姿勢はそのままで、表情は見えなかった。



「卒業なんてしたくない。大人になんか、なりたくない」



初めて聞く、子供じみた我が儘だった。
どういう意味なのか理解が出来ない。
思春期だから、で済ますには彼女の声はあまりにも濡れていて、自分の意向には反していた。

「……ピーターパンシンドロームってやつか?」

何かがあったのだろう。
妙も首を横に振る。
そんなんじゃない、と小さく呟いた。
じゃあ何だと、いっそ叫びたいほどの衝動は押さえなければならなかった。

「なぁ、志村……ずっと学生でいたいとか俺も思ったよ?けどさァ、子供ってのも不便だろ」
「先生には分からない」
「いや、分かんねーけど、大人ってのもいいもんよ?なりたい夢とかさ、ねェの?」

我ながら気味が悪いほど先生ぶっていると思った。
彼女を心配しているような。

「興味、ないくせに」

見透かしたような言葉だった。
興味ない、というより、妙がどんな職業を選んでもいいとは思っていた。
声をかけようとすると、妙は放置していた答案用紙を折り曲げて乱暴に鞄にしまう。
そのまま音を立てて席を立った。

「明日、補習受けますから」

だからいいでしょう、帰ります。
その意思表示そのままに教室を出ていった小さな背中を、呆気にとられて見ているしか出来なかった。

「先生は、先生のままでいいのに」

妙が去りぎわに言った。
扉を閉める音にかぶったせいで少し聞こえなかったが、そんな言葉が聞こえた。
走り去る足音が聞こえなくなったところまで待ったのは教師としての配慮だ。
思い切り机を蹴飛ばすと、倒れながらさらに向こうの机にぶつかって音を立てた。

「……んなわけあるか」

抵抗したって大人にはなるのだ。
その時には、今の報復をしてやらなければ。










→あとがき
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