十万打+一周年+閉店セール

□白いままではいられない
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報われない恋だということは分かっている。
これがもし、時が場所が違えば関係が変わったのかもしれないとも、何度も思ったことだ。
しかし、考えたところで何になるだろう。
現実を見れば、彼は高校教師で自分はただの生徒の一人。
そして、だから彼と自分の関係性というものがあるのだから。






「志村、後片付けよろしくな」
「もう、少しは手伝ってくださいよ」

授業が終わってから、彼が散らかした、役に立ったかも分からない教材を片付けるのはいつの間にか役割になっていた。
彼が指名したわけでも、自分から志願したわけでもないし、そんな役職はない。
しかし、チャイムが鳴ると同時に、じゃあ、とこちらに声をかけてくれるのを待っている。
そんな自分が厚かましいことは百も承知だが、クラスの皆には生暖かい目で見守られているから誰もそこに手を出そうとはしない。

「嬉しそうな顔しちゃって」

片付けを終えて教室にもどれば友人たちに冷やかされる。
暴露したこともない思いが分かりやすいのは彼女達を見て自覚して、それが気恥ずかしく感じたのは随分と前のことだ。

「嬉しくなんてないわよ、別に」
「いいじゃない、照れなくても」
「相手があの不良教師っていうのが残念アルけどナ〜」

例えばこんな風に、クラスメイトの彼に対しての評価は低い。
反対に自分の評価が高すぎる気がしていたたまれなくなってきたのはつい最近だった。

「……そんなこと、ないわよ」

やんわりと言ってかわすことを覚えたのもこの頃。
ただ想うことが楽しくて、あの男子がいいと言う彼女等に混ざってはしゃいでいられた。
ずっとあのままでいられたらいいのにと思った。
楽しいまま終わる恋なら一時の思い出として済ませられたのに、恋愛経験の少ない自分には荷が重すぎる。
恋というものが、こんなふうに苦く滲むことなど知らなかった。
そうして、知ってしまった今、じゃあ止めようかと思うには気持ちは積もりすぎて置き場所も見当たらない。
いっそ、まったく別の空間で会えたならよかったのに。






帰りに参考書と食料の買い物を終えて帰路に着こうとしたところで、人の波の中に見慣れた頭を見つけた。
それだって黒髪に埋もれて、普通なら見逃すはずなのに、どうして気付いてしまうのかなど今更問いただす必要もない。
そんな自分が嫌だった。
だから、普通、に沿うのであればここは見逃すところだ。
そうして少し、遠回りになりそうな道に足を向ける。

「オイ、志村姉」

それなのに、どうしてそんな風に。
振り返って、あら先生いたんですかと驚いた顔をすればいいだけだ。
そう準備するのに多少の時間をくれたっていいだろうに。

「ナニ無視しようとしてんの、お前」
「……姉って名前じゃないですから」

そんな隙も与えてくれない男を恨めしげに見上げれば、あくまでキャンディだと言い張る煙の出る棒を加えた男はいつも通りだった。
学校で見たってそうなのに、まったく教師に見えない風貌で立っている。

「先生って、やっぱり白衣着ると三割増しなんですね」
「なに、学校だと格好よすぎるってことか」
「今が賞味期限ギリギリの三割引きってことよ」

だらしなくはみ出たワイシャツは下手をすればチンピラにしか見えない。
それなのに、「先生」じゃない男にすら鼓動が高鳴る自分はどうかしているのだろう。

「帰り早いですね。残業とかないんですか?」
「仕事ができる奴は残業なんてしねーの。お前は遅いな。買い物?」

持っていたエコバッグを覗き込んできた顔が近くて、思わず一歩下がる。
見ないでよ、と言ったのは別に、惣菜のパックを見られて料理ができないことを知られたくないわけじゃない。
ただ、この距離は近すぎる。

「プライバシーですよ」
「洗剤とかがか?ったく、高校生が夜までふらふら歩いてんじゃねーっつの」

確かに、バッグの中には買い置きの為の洗剤や日用品が入っていた。
そのため、いつもよりは重い荷物を抱えて休みながら歩いていたのは事実だ。
重みを抱えていた布の袋が、あっと言う間に手から離れたことを、離れてから気付いた。

「……先生」
「あっちだよな、お前んち?そういやしばらく訪問してねーわ」
「しばらくも何も、うちの学校に家庭訪問なんてないでしょ」

ない、けど確かに、彼は一度だけ、アパートに来たことがあった。
思い出す必要もないほど、それは自分にとっては大切な思い出だ。

「家庭訪問はねーけど、一回新八が怪我して送ったことあったろ」

覚えていた、ということに少し驚く。
あれは新八が喧嘩に巻き込まれて怪我をした時のことだった。
足も捻挫して動けない状態はともかく、力に屈したことを悔しがる弟に、どうしていいか分からなくなった。
彼が覚えているのは、新八のあの状態だろう。

「泣いてましたからね、新ちゃん」
「まぁな、つーか……お前もな」
「………は、」

泣いていた。
そんな記憶はなかった。
前を歩く男はバッグを軽く指先に揺らしながら歩いていて、表情は見えない。

「泣きそうな顔?してた」

してたと言われても分からなかった。
そうかもしれない。
だって、どうすればいいか何を言っていいか分からなかった。
そうして狼狽える自分の前で、この大人の男だけが冷静に、新八と話をしていたのだ。
そうして、次の日には新八はいつもの弟に戻っていた。

頼もしいと思ったのかは分からない。
しかし自分がこの男を意識しはじめたのがあの出来事からだったことは、覚えている。
ただ、彼も同じように、あの時の出来事を覚えているとしたって。

「……生徒に優しいのは、腐っても先生ですね」

それが教師と、生徒だからに過ぎないのだ。
そう思うと口惜しい気持ちは不思議となくて、代わりのものが胸に落ちた。
そうか、ならば、やはりこれは違うのだ。
言い聞かせて、自宅アパートはすぐ目の前だったが、男の手から荷物を取り去る。

「ここまででいいです。ありがとうございました」

彼の行為も厚意も、教師としてのものなら自分は受けられる。
こうして隣を歩くこともたまになら出来るだろう。
男は不思議そうな顔をしていたが、こちらがきちりと頭を下げると追求はしてこなかった。

「おう。あ、来週試験だからな。留年しねェように勉強しろよ」

その言葉すら、まるで教師のように。
いや、当然だ。
彼は教師で、自分は生徒だからだ。

「……したら、先生のせいかもね」

笑って、手を振って背を向けた。
これ以上は生徒らしくないからだ。
彼は生徒の安全を見守るためにしばらくはそこにいるかもしれない。
自分はそれを、甘んじて受けていればいい。





例えば、自分が、彼と同等に話せる年齢だったとして。
これからその年齢になって、彼の周りにいる女性と張り合えるとは思わない。
そうして崩れるくらいなら、生徒としてでもいいから傍にいて、心配されていたいと思った。
高校を卒業したら、きっとそうはいかないのだろう。
社会に出て、教師だったはずの男がただの男になって、その隣には誰かがいるのだろう。
今は、生徒にばれないようにしているに違いないが、見えなければよかった。
見るくらいなら、ずっと子供のままでいたかった。

「……留年て、何点以下かしら」

出来ればただ気に掛けてくれるだけで喜んでいた時に戻してほしい。
しかし時は無機質に流れるだけで、人の立場も全てを変えてしまう。



「大人になんて、なりたくないわ」



玄関先には独り言が響いた。









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