ゆめ

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ふわりと体が浮いたと思ったら、次の瞬間、私は空を見上げながら、全身の痛みに耐えなければならなかった。
しかし、今までで一番重い「投げ」である。
固く閉じた唇をこじ開けて、思わず声が飛び出した。


「いっ…たいー!!」
「ははは、悪い悪い」


ペンギンはそう言って軽く笑っているが、笑い事ではない。私は上体を起こして彼を睨み付けた。
最初に俺を地面に倒してみろと言われ、向かっては投げられかわされ…彼から体術の指南を受けられるのは嬉しいが、もう一時間もこの調子なのだ。だんだん辛くなってきたものがある。
しかし、ペンギンは私の視線などまるっきり無視して言った。


「ほら、もう一度。日が暮れちまうぞー」
「うっるさいなあ」


私は立ち上がり、かけ声と共に走り出した。
とっととペンギンをぼこぼこにして、今夜はお赤飯でも炊いてもらうのだ。






訓練が終わると、私はいつものように、船長の部屋に向かった。
今日はいっそうボロボロだ。シャワーの時、つい悲鳴を上げそうになった。

静かにドアをノックすると、しばらくの後、眠そうな顔をした船長が扉を開けてくれた。
夕方の昼寝でもしていたのだろうか。もしかして、起こしてしまったのかもしれない。
私は申し訳なく思いながら、中に入った。


「ごめんなさい、船長」
「あァ…気にすんな」


そうは言いながら、大きなあくびをこぼしている。
私はもう一度ゴメンナサイと謝り、いつもの椅子の上に小さく落ち着いた。

すぐに、向かい合わせに置かれた目の前の椅子に、船長が腰かけた。
まじまじ全身を見つめた上で、冷静に言う。その口調はもう「医者」のものだ。


「今日は多いな」
「ずっと、やってたから…」


船長はふんと返事とも吐息ともつかないものをこぼし、まず私の片足を持ち上げ、膝に載せた。

まず、ささっと細かい傷の消毒をして、濃い色の液体を軽く塗っていく。
ピンセットを扱う手は優雅とも言える手つきだ。
私はその手をぼんやり見つめていた。他に見れるところがないからだが、わりと楽しい。

両手両足の消毒を終えると、次は痣や内出血の痕に、軟膏を塗り込んでいく。
これは道具ではなく、船長の手を使う。指先に薄い黄土色のクリームをのせて、くるくると回すように塗り込めるのだ。もう慣れたが、変な臭いがするのは、色々な薬草が入っているかららしい。

なにやらコツがあるらしく、船長は私にはやらせてくれない。お前は不器用だ、と言うのだ。
そのくらいはできると思うのだが、確かにこの手つきには至らないと思うので、私はまたじっと船長の手を見つめてこの時間をやりすごしていた。


「ありがとうございます、船長」


見えるところにある全て傷の治療が終わり、私はそう言って足を下ろした。時計を見れば、始めてから20分程は経っていた。

船長は、薬や器具を手早く片付けながら、あァと短く返事を返した。その後に、また大きなあくびをこぼしている。
私は申し訳なくなって言った。


「いつも、すみません」


訓練の後の傷の治療は、いつも船長がやってくれる。自分でやってもいいし、当然他にちゃんとした船医も居るのだが、いつのまにかそういうことになっていた。

すると、船長はただちらりと私を見て、


「気にすんな」


と言った。これもいつものことだが、今日はあくびのせいで少し目に涙を滲ませている。
いつもはそれで引き下がるのだが、私はさらに続けた。


「あの、私そろそろ自分で」
「却下だ。お前、医者じゃないだろ」
「じゃあ他の船医さんに」
「…毎日?他のやつらも診てるってのにか?」


私は口をつぐんだ。確かに、ほぼ毎日お世話になることになる。
ならば船長はいいのかと聞けば、「俺は暇だ」と一言返ってきた。
暇でもなさそうだが、まあ確かに、昼寝をしていられるくらいには暇らしい。
私はため息をついた。


「私、もっと強くなります。船長に診てもらわなくてもいいくらい」


―――そもそも、私が頑張るのは、船長の役に立ちたいからなのだ。
これでは本末転倒もいいところだった。

しかし、せいぜい頼もしく宣言してみたというのに、ふと見れば船長はなんとも言えない顔をしていた。
嬉しそうでしかし苦々しい、複雑な表情で押し黙っている。

まずいことを言っただろうかと焦っていると、船長はふいに手を伸ばして、私の頬に触れた。
私は驚いた。軟膏のせいか、意外にもしっとりとした指先が、滑るように頬を撫でる。


「船長?」
「…気にすんな」


船長はまだ妙な表情のまま微笑み、お前は別の修行をしろと言った。
―――なるほど、スパルタ修行のペンギンはお役御免ということか。






*船長と鈍い子でした。あんまりかっこよくなくてごめんね。

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