ゆめ

□Door
1ページ/1ページ



夕方時、甲板に出て空を眺めるのが、常からの私の習慣だった。
もちろん、悪天候や敵襲やらでそれどころではない時も多いが、何もない日はそうしている。


目的は夕陽だ。
ずいぶん遠くまで来たが、地平線に潜るように姿を消す太陽の赤は、幼い頃、故郷で見ていたものと変わらない。
不思議な郷愁を呼び起こさせられるそれが、私は好きだった。


しかし最近は、もうひとつ目的ができた。


私はちらりと横に顔を向けた。
柵に肘を預けて舳先にもたれる、丸まった背中が目に入る。
珍しく帽子を外していて、黒い髪が夕陽の中に影のように浮かんでいた。

その痩せた背中をしばらく見つめ、私はそっと目を逸らした。
胸の奥に、うっすらとした幸福感と、もどかしさがふわりと積もる。


トラファルガー・ロー。
“死の外科医”と呼ばれるこの男に、私は愚かにも恋い焦がれている。


思えば、最初に彼が私を船に乗せてくれた時からだろう。大きな恩義はやがて愛情に変わり、気がつけば、私は彼の愛すら求めていた。
なんとおこがましいことか。自覚をした時は愕然としたが、もう遅い。それにどうしようもない。
自覚をしたところで、私はただの船員だ。


私は再び彼の背中に目をやった。彼がああして海を眺めるようになったのは、最近のことだ。

何を思っているのだろうか。

思いを巡らせど、私は今日も、彼と私の間に引かれた見えない線を見つめることしかできない。






そいつは俺の船で唯一の女クルーだった。


言ってみれば気まぐれで乗せただけだったのだが、俺に恩義を感じているようで何かと気が利く女だった。
俺も次第に頼りにするようになり、何となく気にかけていた。

最初はただそれだけだった。

だが、そいつの目の中にゆらぐ陽炎のような感情に、気がついたのはいつだったろうか。
焦がれるような視線は、俺の目に焼き付いた。
恐らく本人すら気がついていない恋慕に、俺は気がついてしまったらしい。
そして同時に、そいつの視線を意識している自分が、そいつをいかに意識しているかということにも気がついた。
義理固く真面目なあいつに感化されたか、こんなに乳くさい恋愛は久しぶりだった。


気づいてしまえば後は早い。
陥落するのは容易いことだが、しかしそれももったいない気がした。


時々というには頻繁に、あいつから向けられる視線を背中に感じる。
ちらりと振り返れば目が合い、真っ赤な顔をしているそいつに、俺は笑みを深めた。
本当に、餓鬼のようで、だが愛しい。


―――早く来いよ。
―――早く、こっちに。



境界線などもとからないのだ。
しかし、こちらから手を伸ばしてやるほど優しくはない。
伸ばしてきたら、引っ張ってやる。


―――早く気付け、鈍感女。


再び前を向くと、沈みかけの太陽が、明々と輝いていた。






end.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ