ゆめ

□君は薔薇より美しい
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彼女が目を覚ましたのは、それから一時間程後のことだった。


少し強くやりすぎたかと気を揉みながら、彼女を見つめていた時だ。
彼女はぱちりと目を開き、そして俺に気付くや否や掴みかかってきたのだった。


あまりの素早さと勢いに、あっさり床に倒れた俺のジャケットを掴み上げ、彼女は怒鳴った。


「なんでッ!!なんでっ…なんで…」


勢いはすぐに萎れてしまった。
そしてそれと反比例をするように、みるみるうちに、彼女の瞳に涙が溢れた。
ぼろぼろとこぼれた涙は、俺の胸や顔を濡らす。
その内の一粒がぽたりと頬に落ち、呆然としていた俺ははっと我に返った。


彼女は俺から無理に顔を背け、声を殺して泣き続けている。微かに震える肩は頼りなく、あまりに脆く見えた。

俺は顔を隠すように覆う彼女の手を掴み、そっと剥がした。
彼女は更に顔を背けようとするが、ちらりと見えた苦しげな表情と、頬を伝う涙に胸が痛む。
そして、気丈な彼女が泣く姿を見るのは、初めてのことだと気がついた。


「すまない」


言いたいことは色々あるのに、口から出たのはその言葉のみだった。
彼女は涙を堪えながら、そっと目を開けて俺を見つめた。
その目の奥には、悲しみと怒り、そして艶やかな色香が星のように光っていて―――それは、息を飲むほどに美しかった。


「…なんで…」


なんで。
再びそう言った彼女の目に、また涙が溢れる。
その先の言葉を補うように、俺は口を開いた。


「置いていって、すまなかった…」




―――彼女を連れていく訳にはいかないと思っていた。


連れていけば、海賊に身を落とす事になる。
まだ若い彼女の未来を奪うことになると、上司としての自分は思っていた。

しかしあの日々の中で、互いの目の中に宿る何かに、気がついてもいたのだ。
その何かは彼女を求めていた。
しかし俺はそれに気がつかないふりをして、胸の内に押し込めた。
彼女もまたそうだったのだろう。
二人の間に流れる空気には、良い関係の上司と部下、そんな設定のままごと遊びでもやっているような奇妙な楽しさがあった。


しかし最後には、俺は彼女を置いて逃げたのだ。
情けなくも彼女を思い続けながら、彼女から逃げたのだった。




彼女はしばらくしゃくりあげながら顔を伏せていたが、ふいにこちらに体を寄せて、拳で俺の胸を叩いた。
それなりに痛い。その痛みに、彼女が海軍で必死に鍛練をしている姿が目に浮かんだ。
その側に俺は居なかったのだと思う。

胸の痛みが鈍く薄れた後、俺は彼女の肩に手を置き、口を開いた。


「俺と、来てくれないか」


あの日言い損ねた言葉、自ら捨てた可能性だった。
彼女はしばらくそうして泣いていたが、やがて顔を伏せたまま、俺の首にするりと腕を回して抱きつき、


「はい」


そう、小さな声で囁いた。


涙で潤み揺れた声で与えられた許しの言葉は、甘露のように甘く耳を滑る。
俺はすがり付くような彼女の体を、そっと腕を回して抱き締めた。
柔らかな感触に、心が静かに満たされていく。


―――愛する女性を堕として喜ぶか。


とうとう、身も心も海賊になったものだと思いながら、俺は目を閉じた。






今日の海は見事に凪いでいる。
油断はできないが、船員たちも気が緩んだのか、船は穏やかな雰囲気だった。

例にもれず、船縁にもたれてくつろいだ様子の彼女に近づくと、彼女は顔をあげて微笑んだ。
何かを読んでいたようだ。


「はい」
「ん?」


急に渡された紙面を見ると、“WANTED”という見慣れた文字の下に、こちらを睨み剣を構える彼女の写真が大きく載っていた。後ろは戦場だ。
俺は少し驚いて彼女を見たが、彼女は微笑んで言った。


「手配書、載っちゃった。はじめて」


懸賞金は8000万ベリーと、それなりに高額だ。軍を抜けた海軍本部大佐となれば、納得のいく金額だろう。
俺は眉をしかめた。賞金がかけられれば、やはり身に及ぶ危険も増える。


「この間の、海軍との戦闘でバレちゃったみたい」
「だから下がっていろと言ったというのに」


そう言っても、彼女は笑みを崩さず心なしか楽しげな様子だ。
手配書が発行されて、喜ばしいはずがない。
俺の訝しげな様子に気がついたのか、彼女は俺に顔を向け、小さな声で言った。


「これで私も公認の海賊ね」
「ああ、だから」
「あなたと同じで嬉しいの」


俺はしばし口を開けたまま固まったが、ようやく口を閉じ、黙り込んだ。
先ほどの台詞の続きも出てこない。
彼女はそんな俺を見て笑いを堪えていたが、


―――危なくなったら守ってね、船長。


そう言って、にっこりと微笑んだ。






end.
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