buon viaggio
□so sweet your real
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「ハーヴェイ……、あの、脳みそ疲れてない?」
「は?」
「えと、だから、その……脳に糖分が足りなくて、疲れてないかなって……」
「別に」
「……」
段々と尻すぼみになりながら問いかけてきたキーリに対し、胡乱げな顔をしたものの思案するまでもなくハーヴェイはぶっきらぼうに否定の言葉を返した。
そしてソファーの肘掛けに肘をついて意味もなく窓の外へと視線をやる。
てか、いきなり脳みそ疲れてない?ってどういう事だ。
“ハーヴェイ、たまには、その、甘い物とか食べたくならない?”
“あ、美味しいっていう紅茶もらったんだけど、お菓子と一緒にお茶しない?”
“チョコ、あるんだけど、食べる? ハーヴェイ”
今日朝から数えたら先程ので一体何度類似したやりとりを繰り返しているのだろうか。
一字一句同じという訳では無く、けれど何処か似た意味合いの会話。
しかも時折ちらちらとこちらを伺うように向けられるその瞳は物言いたげで。
しかしそのどれに対しても、ハーヴェイは今のように躊躇いのないある意味冷たい返事をするだけだった。
と言っても、それは単に食事が意味の無い行為であるという不死人特有の機能故に断っていただけだ。
別に嫌だからというよりもそれをする事に特に必要性がないからという、不死人としての至極自然な思考回路からである。(たまに気分で何かを食べる事はあるけれど)
とはいえ、キーリの誘いともとれる言葉を断る度にキーリが落胆するようにしゅんとするものだから、何故かこっちが悪い事をしたような気にさせられて何とも後味が悪い思いを味あわされている気がしていたハーヴェイ。
今日に限ってこいつ妙にしつこいなという若干の疑問と、何度もキーリにそんな顔をさせてしまっている自分に対しての苛立ちと居心地の悪さで、タバコの消費が普段よりも早かった事に気付いたのは、段々と静けさが染み渡り始める日の沈み掛けた頃である。
相変わらずの何度目かのやり取りに、鎮静剤よろしくタバコを出そうとしたのだが、ポケットに手を突っ込んで持ち上げた瞬間にその重さで気付いたのだ。
無い。
中身のからっぽな箱を意味もなく数秒見詰めてからがしがしと頭を掻く。
ちらりと、未だ微かにしょんぼりしているキーリを盗み見ながら。
「……」
ダメだ、我慢しようとすれば別に我慢出来るのだが、今回はその力に頼らないと気まずくて仕方がない。
それに確かここからそう遠くない所に店があった気がした。
よし。
「タバコ、買ってくるから」
「あ、うん」
座っていたソファーから立ち上がり、短い言葉を残してハーヴェイは部屋を後にする。
何故こうなったかは分からないが、よく分からない居心地の悪さから逃げ出すようで卑怯かもしれないけれど、
とりあえず原因を考えるのは帰って来て一服してからにしようと、そう考えながら―――
日の沈む空が描き出す色はどちらかと言えば好きだった。
この何とも言えない温かさと寂しさを感じさせる時間帯を一人で歩くのもそう悪くない。
と、思っていたのに
「あ、こんばんは。不死人さん」
「……」
「ちょっとお話があるんだけどいいかしら」
「……」
「あー! 待って待って! もう、そんなあからさまに無視しなくてもいいんじゃない? 5分! 5分でいいから! ね?」
「悪いけど俺急いでるから」
聞こえなかったふりをして通り過ぎようとしたのに、しつこくついてきた挙げ句に猫の様にするりと腕に絡みついてきたからうざったいと言わんばかりに、ハーヴェイは振り払う様にして言葉を返す。
が、自分のしたその言動に対して“しまった”と瞬時に後悔した。
反応してしまったからにはこちらがその存在を認めているというわけであり、相手に会話を続けさせる隙を与えてしまったと同じ事なのだから。
道すがら視界の隅にこいつを捉えた瞬間から気付いてないふりをしようと決めていたというのに、こうもあっさりペースに呑み込まれる事になるとは……。
というか、正直こんなにも強引な奴だと思っていなかったのだ。
「ねぇ、あなたキーリと一緒にいた不死人さんよね?」
「……、……そうだけど」
こっちは見覚えすらないというのに、相手はまるで良く知ってますというような口ぶりに自然と片眉が上がる。
どっかで会ったっけ?と思い、短いとは言えない期間滞在しているこの街に来てからの記憶を遡るも、まったくもって引っ掛かるものは無かった。
もしかしてこいつが人違いして俺に声を掛けたんじゃないか?
いや、でもキーリを知ってるって事は勘違いって訳でもなさそうだし……。
てか、キーリの奴また幽霊なんかと関わってたのか。
たく、あんだけ注意したってのに懲りずに関わり合いを持つなんていい加減学習して欲しい。
「あ、私はキーリがバイトしてるお店でキーリと知り合ったの! それからたまにお兄さんとキーリが一緒にいたのを見た事あるんだ」
顔にでも出ていたのだろうか。
こちらが疑問に感じていた事をご丁寧に説明してくれたが、だからといって態度を変えるつもりはない。
「で? 何か用」
こうなったら適当に相手をしてとっとと解放してもらうに限る。
「そんなつれない態度しなくてもいいじゃない。そんなんだとキーリに愛想つかされちゃうわよ」
「余計なお世話だ」
まったくもって余計なお世話である。
その心配は無用だと言い返してやろうかとも考えたが、その結果何だか物凄く墓穴を掘りそうな気がしたのでやめておいた。
そんな、若干面倒くささが隠し切れていないハーヴェイの態度に最初こそ不満げな声を漏らすも、幽霊の女性は次の瞬間ふふっと笑って意味深に口を開く。
「あなた“バレンタイン”って知ってるかしら」
「ばれんたいん?」
確認するように問いかけられるも、聞き慣れない単語に内心で首を傾げる。
ばれんたいん
ばれんたいん
バレンタイン?
何だそれ。
「そ、母星で昔に行われていた習慣?みたいなんだけどね。……やっぱりいくら長生きしてる不死人とはいえ知らないっか。私も古い母星の本で読んだことがある程度だしね」
私こう見えて結構年季の入った幽霊なのよ! 多分お兄さんが生まれる前から幽霊やってるんだから!なんて、何故か誇らしげに胸を張って言ってくるが別に何の興味も感心も無い。
そんな事よりも早く話を進めてくれと言わんばかりにハーヴェイは外壁に背を預けて腕を組んだ。
「で? その習慣が何だって?」
「あ、えっとね。そのバレンタインっていう習慣があった日にちってのが今日なんだけど……。不死人さんは今日キーリから何か貰った?」
勿体振るように話していたかと思えば、何故か急に核心に触れるどころか何の脈絡もない質問を投げかけてくる。
しかも何故かわくわくとしながら。
「……別に」
「うそー! 何も貰ってないの!?」
「だから貰って無いって言ってんだろ」
「えー!」
それに不信感を抱きながらも渋々答えれば、まるでそれは問題ありだと言わんばかりに声を上げられた。
正直そのテンションと声のトーンが五月蠅い。
たく、一体なんだって言うんだ。
てか、そもそもそんな事を聞くためだけにわざわざ引き留めたってのか?
今の質問に何の意味があるのか甚だ疑問である。
「俺、もう行っていい?」
今までのやりとりで自分にとって得になる要素が無い事と、それ程深刻な問題でもなさそうだと判断したハーヴェイは疲れたようにそう切り出した。
昔だったら返事を待つどころか断りすら入れずに立ち去っていたというのに、兵長曰く“少しまるくなった”らしい自分に無言で立ち去れば良かったと舌打ち一つ。
今からでも遅くないとハーヴェイが行動に移しかけると、幽霊の女性は慌てたように声をあげた。
「あー、待って! 話はまだ続くから! 」
「……なら早くしてくれないか。俺、用があるって言ったよな?」
用とはいえ、それはタバコを買いに行くだけというものだけれども。
「あのね、簡単に言うとバレンタインっていうのは“チョコ”をあげる行事みたいなの」
「チョコを?」
「そう! だけどね、ただチョコをあげるんじゃなくて」
あー、そういえばキーリもチョコ食べる?とか何とか聞いてきてたな。
あの何処かもじもじとした態度と一緒に。
昨日までは普通だったというのに、何かあったのだろうか……。
あれは一体なんだったのかと会話も頭半分にぼんやり考えていたハーヴェイは、次いで告げられる言葉によって声を失う事になった。
「何と! 好意を寄せる相手に大好きって気持ちを込めてチョコをあげる行事なんですって!」
好意を寄せる相手?
大好きという気持ち?
“ハーヴェイ……チョコ、食べる?”
じゃあ、キーリのあれは……
「―――っ」
いやいやまて、落ち着け俺。
例え今日が昔の母星でそういう日だとしても、今は誰もそういった事をしていないしそもそも知ってもいないだろう。
この幽霊だって昔に本で見たというくらいなのだから。
そうなればキーリだってその例外に漏れず、バレンタインとやらを知らない筈だ。
だとしたら今日に限ってチョコ食べる?などと聞いてきたのは単なる偶然という事もある。
というか偶然だろう、うんきっと。
不覚にも動揺してしまったハーヴェイは、自分の自意識過剰な思考回路を振り払う様に胸中で捲し立てるようにそう結論付けた。
が、この幽霊が声を交わした事のないハーヴェイにわざわざ声を掛けてきた事といい、キーリの事を持ち出してきた事といい。
そして何よりキーリとのやり取りに思い当たる節がありすぎて、完全に否定しきれない可能性が頭にちらついて動揺を禁じ得ない。
とはいえ、自問自答していたって何の解決にもならないのもまた事実で。
ならば今確認すればいい。
その、今聞くべき最重要事項とは
「……、……ちなみにキーリはバレンタインの事知って」
「もちろん知ってるわ!」
「!」
「だってバレンタインの事をキーリに教えたの私だもの!」
「はぁっ!?」
ハーヴェイの思考はそこで完全に止まった。
という事は、キーリのあの発言はたまたまだったという訳ではなく、あの物言いたげな視線やどことなく恥ずかしげな仕草はバレンタインを意識しての事だったらしく。
……。
ようやく繋がった不可解なやり取りの真相。
今の説明でキーリの挙動不審な言動に納得がいった。
が、その反面ハーヴェイは言い知れぬ衝撃を覚えたのも事実で。
「本当はあなたにバレンタインの事言わない方がいいと思ったんだけど、でもキーリが真剣にチョコを作ってるの見ちゃったからにはその意味をあなたにも知ってて貰わないとキーリが報われない気がして。女の子が好きな人の為に一生懸命頑張る姿を見せられたら応援したくなっちゃうのが人情ってもんよね〜! あ、でもあなたが貰って無かったって事はキーリの好きな人ってあなたじゃなかったのかしら……。キーリから誰に渡すって聞いていた訳じゃ無かったからあくまで私の勝手な予想だったんだけど、もしキーリの好きな人が別の人だったなら今の発言忘れてねー!」
きゃっきゃっと乙女よろしく賑やかに続く些か無責任な言葉は、今のハーヴェイの頭には半分も入っていなかった。
もし正常な思考回路が働いていたら、ハーヴェイはその言い分を素直に聞き流しはしなかっただろう。
キーリの好きな人が別にいる、という部分を特に。
ま、そういうことだから!とすっきりした様子で話題を終えたその幽霊は、自分の用事が済んで満足したのかさっさとどこかへと消えていった。
相変わらず愕然としているハーヴェイの様子に、くすっと楽しそうな笑みを零しながら―――
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