夏目友人帳

□誰が為に
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※前話「謡いし調べは風に舞いて」の掘り下げ話し









目を閉じ背後の立派な幹にだらりと身を委ねていれば、さわりさわりと頬を撫で耳を擽っていく数多もの風の帯。


《明日――だよね》


《ピチチチ……》


《そういえば、―――いぞ》


盗み聞きなど褒められた行いではない事は百も承知だ。

されど、己にとっては不可抗力なのだから仕方があるまい。

生まれながらにして与えられた“体質”というものは、そうそう変えられやしないのだから―――


《―――、夏目――帳?》


《ああ、―――らしい》


鳥の囀りや草木の音の他に、風に乗って何処からか運ばれてくる幾つもの話し声。

それは人の声であったり、はたまた何処ぞのあやかしのものであったり。

読んで字の如し“風の便り”として私の元に届くそれらは、普段ならば一握りとて気にはしまい。

むしろ、私に向けられてではない声を無遠慮に聞いてしまうのは些か罰が悪いと、取り立てて拾い上げずに聞き流しているのである。

まあ時折、必要に応じて少々傾聴させて貰うことはあるが……。

だが、今聞こえてきた“それ”には聞き捨てならぬ言葉が混じっていた。

私はあえて“その風”だけを掬い取り、耳を(そばだ)てる。

さすれば先刻までの水膜の掛かったような曖昧な音が、まるですぐ傍で聞いているかのように明瞭なものとなった。


《ほぉ、夏目友人帳とやらを奪うには今がまさに好機という事か》

《この機会を逃したら、次はいつ友人帳を手に入れられるか分からんからな》

『……』


まったく、友人帳友人帳と口を揃えて五月蠅い奴らばかりでうんざりする。

数々の妖怪の名を連ねたそれを手に入れればその者共を束ねられ、尚且つ己が唱えたし(めい)に従わせる力を得られる友人帳。

“あの娘”が作りし夏目友人帳。

名を返して欲しいと、その元に訪れる輩の気持ちはまだ分かる。

だが、手中に収めようとする輩の思考など、私からしてみれば甚だ疑問で仕方がない。

皆が咽から手が出る程欲して止まぬそれを手に入れれば、確かに今までとは比べものにもならぬ力を手にする事が出来よう。

だが、それは己が次なる標的に代わるという事も意味しているのだ。

幾ら強いあやかしを従えた所で、命を狙われる危険が減るわけでもなし。

平穏な日常と引き替えに、そんな休まらぬ日々を過ごさねばならぬなど私はごめんだ。

力を望まず多くを望まずにいれば、静穏な時を得られるというのに、自らそれを捨てようとするなどその者の気が知れぬ。

まして、そこに書き連なれた妖怪が本来名を差し出した相手はとうにこの世を去っているのだ。

己が名を教えし相手ではない者に使役されるあやかしの身になれば、屈辱以外の何物でもないであろう。

認めた相手ではない者に無理矢理使役されれば、そこには信頼関係などある訳もなく、むしろ恨み辛みしか生まれぬ。

そんな主従関係になんの意味がある。

畏怖の眼差しでしか見て貰えぬような存在になった所で与えられるのは、“畏れの烙印”と“孤独”だけだというのに。


『ふん、同族からさえも畏れられ孤独を味わう事の虚しさを知らぬとは、何ともめでたい奴らだな』


嘲るように漏れた笑みと共に落ちた言の葉。

皮肉さえ混じるそれを直接言ってやりたい所ではあるが、生憎その相手は遠く離れた場所にいる為我慢するしかない。


《狙うならば、相当弱っている今だろう》

《ふふ。あのやたら強い人の子も、今だけは無力かもしれん》

『(弱っている……?)』

《人の癖にあやかしを従えるなど、まったく生意気な小僧だ》

《ならば夏目友人帳だけでなく、その人の子も喰うてやろうぞ》

《おお、それは良い》

『……ほぉ』


つい先日、この場所で出会いし人の子。

()のレイコの孫だと名乗りし人の子。

だが、そやつは友人帳の真価を知って尚、微塵も使おうとはせぬそうではないか。

それどころか、自ら名を返して廻っているという。

とはいえ、それも“風の噂”で耳にしただけの事だから、何処までが真実かは分からぬが。

と、思っていたのはつい先日までの事。

何の巡り合わせが、数日前に偶然相見えた(くだん)の人間。

それは噂の的であった少年その者で。

実際に本人から見せて貰ったわけでも話して聞かされた訳でもないが、少年がその時夏目友人帳を持っていた事は感じ取れた。

風の便りではやたら強い恐ろしい人の子と聞いていたが、実際に彼を目の前にしたら何と頼りないひょろりとした人間だろうかと拍子抜けしたものだ。

しかも、その歳にしては何処か冷めた顔つきと口下手で愛想の足りない物言い。

まして、人気のない森の奥に一人で入ってくるなど、己があやかし共に狙われてると知った上での行動なのだとしたら愚かにも程があるだろうに。

だが、その少年と一言二言交わしていく内に段々と変わっていく印象。

言葉を紡ぎ合う度に気付かされていく、多くを語らぬその身の内に秘められし本質。

あやかしを嫌悪せず人間と同等に受け容れる様に、

そして

あやつがただ一言“ありがとう”と私にそう言ったその瞬間、“夏目貴志”という人間が視えた気がした。

愛おしむべき子だとさえ思えた。

そんなあやつに危害を加えようとしている者がいるのならば黙ってはいられぬ。


“生意気な小僧”?


ふ、生意気なのは一体どちらだというのだ。

己の力で得たモノでもない癖に、それを奪おうとしているお前らの方が余程生意気であろうに。

互いに心を求めてこそ、心を通わせられてこそ、あの友人帳の意味がある。

レイコ亡き今、あれは夏目貴志が持つべくして与えられし物。

他の者が愚かな考えの基に易々と触れて良いものではないのだ。


『さて、うつけなあやかし共になど、先を越させやしないよ』


お前らなぞ

夏目貴志に指一本触れさせぬ―――


先程耳にした物騒な企みを阻まんと、面の下で口の端を釣り上げた。

そして、ふわりと大木の枝から身を投げ、自身も風となりて空を翔る。

視界の端で羽衣が大きく翻り、目に映る景色が瞬きの間に姿を変えていった。

目指す先は()の人の子のもと。

とはいえ、あの少年の住んでいる場所など露とも知らぬ。

それに、先刻の会話をしていたあやかし共はもう既に夏目貴志の近くにいるかも知れぬ。

だが、そんな事など私にとってみれば些細な問題でさえもない。

簡単な事だ。

“声”を探せ。

風に乗り聞こえ来る数多の声の中から、()の子の声を探せ。

そして、その声を乗せる風を辿り夏目貴志の元へ。

風となった私よりも早い者などいやしないのだから―――


『……斑には嫌がられるかもしれんが、場合によっては少々力を使うとするか』


目的の風の道を見付けると同時に、ぽつと独りごちる。

己が持つ特異な力はあやかし皆が知っていた。

それ故ある意味“稀有な存在”であり“疎まれる存在”たる自分。

それにより与えられたる現実は生やさしいものではないが、

それでも守りたいと思える者を救えるのならばそれでも構わない―――






ひゅぅうぅぅ――‥・



辿り着いたのは一件の民家。

気配を辿り二階の窓からそっと中を覗けば、目的の人物がいた。

当たり前だが、この期を狙っている輩の姿はまだない。


『……。……ちっ、来るのが少々遅かったか』


だが、床にごろりと寝転がり力なく丸まっている人の子の様子に、自然と眉間に皺が寄った。

成る程、弱っているというのは“そういう事”だったのか……。

もっと早くに気付いてやっていれば、こうも苦しめずに済んだというのに。


『(して、どう声を掛けるとする?)』


ここまで来たは良いが理由を何とすべきか。

どんなに遠くにいようとも、風を使い気付かれることなく他者の話を聞くことの出来る自分。

それは便利である反面、勝手に話を盗み聞きするような真似をされていたと知れば、気分を害してしまうやもしれぬ。

それに、正直夏目貴志に貸しを作りに来たわけでも恩を売りに来たわけでもないのだ。

まして、己の持つ能力によって畏怖すべき存在と見なされたくなどない。

ならば馬鹿正直におまえの為に来た等とは言わぬ方が良いだろう。

夏目貴志に悟られる事無く“用”を済ます方が良いのだろう。

現に助けを求められた訳でもなく、私がただ自分の意志でこうしてここに来ただけなのだから。

だとしたら、選ぶ道はただ一つ。


“コンコン―――”


「……。なっ、級長戸!?」


短く逡巡した後、窓を叩けば驚きの声が鼓膜を振るわせた。

どうやら、全く体を動かせぬ訳ではないらしい。

それにそっと安堵の溜め息を吐いてから、


『遊びに来てやったぞ! 夏目貴志』


出来る限りの軽快な声でその名を呼んだ。

尊大な物言いと一方的な用件。

これではどう見ても、無遠慮で身勝手な奴だとしか思われぬだろう。


「何でおれの家が分かったんだ!?」

『ふっふっふ、私の力を侮ってもらっては困る。“風の噂”を舐めないで貰おうか!』



でも、

それでいい

おまえは何も知らぬままでいい



『はっはっは、なかなか面白い顔になったぞ! 夏目貴志』



この特異な力に敬遠し一線を引かれてしまうよりも


異端な存在だと距離を置かれてしまうよりも



『さあさあ、早く寝ておしまいよ。起きた頃には楽になっているだろうさ』



他と何ら変わらぬ我が儘なあやかしだと思われている方が


その方がずっと
  ずっと良いから―――














(ふふ、あどけない寝顔だな……。それにしても、夏目貴志に呪を受けさせるなど、傍にいながら一体何をやっていたんだ斑は!)

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