夏目友人帳

□謡いし調べは風に舞いて
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「う〜……」

「まったく情けないな、夏目」

「うるさいぞ、ニャンコ先生」


床にごろりと寝転がり吐き出されたか細い唸り声。

それに対して態と小馬鹿にする様な発言をしてやれば、じとっと恨めしそうな視線が向けられた。

別段痛くも痒くもないそれを受け流し少年を観察するように猫が見詰め返すも、これ以上斑を相手にするのすらも億劫なのか少年は再び瞼を下ろしてしまう。

そして何かに耐える様に体を丸めた。

時折、先程と同じ様な呻き声が漏れ聞こえてくる。


「……仕方が無い、何か探してくるか」


そんな少年の姿に小さく溜め息を零し、招き猫はぼそりと呟くと同時に重い腰を上げた。

そのまま短い手足でぽてぽてと部屋の外へと歩き始め、


「夏目」

「……ん?」

「少しばかり出掛けてくるが外に出たり変なモノを家に入れるなよ?」


どうしたのかと夏目がゆるゆると瞼を持ち上げるも、すでにそこには自分の用心棒を自負する猫の姿は無かった。

本調子では無い自分に呆れて何処か酒でも飲みに行ったのだろうか。

本人に言えば間違い無く怒るであろうそんな事を考えながら、夏目は一度だけ青空に視線をやってから気怠げにそっと瞼を閉じた。














ひゅぅうぅぅぅう――…‥・










「(……なんだ?)」


それからどれくらいの時間が経ったのか。

もしかしたらそれなりに過ぎ去っていたのか、はたまた思う程時は経っていなかったのか。

どちらにせよ時間の経過など今は大した問題ではなく、痛む頭で先程までとの異変を感じ取った夏目はのろのろと体を起こした。

相変わらず体がずっしりと重く気分も悪い。

だが異変の正体を見付けるべく、額に手をやりながら何気なくかたかたと音を立てる窓の方へと視線をやれば


「なっ、級長戸!?」

『遊びに来てやったぞ! 夏目貴志』


閉めた窓ガラスの向こうに見知った姿を見付け、少年は驚きから目を丸くする。

だがそれに反して二階に値するこの部屋の窓の外からは、さも当然と言いたげに楽しそうな声が返ってくるだけ。

とはいえ“その者”と始めて会ったのはつい先日で。

それに何よりそもそも一番の謎は


「何でおれの家が分かったんだ!?」


そう、何故自分の居場所が分かったのかという事。

口べたな自分の割には確かにいつもよりも話し込んでしまったが家のことまで、まして住所なんてものを話した記憶はこれっぽっちもなかった筈だ。

まさかの存在の登場にぎょっとした顔をするも、夏目は重い体を動かしすぐに窓を開ける。

そうすればふわりと柔らかな羽衣が翻り室内に清涼(せいりょう)な風が吹き抜け。


『ふっふっふ、私の力を侮ってもらっては困る。“風の噂”を舐めないで貰おうか!』


何処か誇らしげに自慢げに胸を反らし、級長戸と呼ばれた者は夏目の前に腰を下ろして先程の問いに答えた。

何を隠そうこの級長戸は“風”の化身。

その言葉通り、己の能力を持ってして夏目の居場所を知ったのだろう。


「……悪いけど、おれ今調子が悪いんだ。だから、お前の話し相手にはなれない」

『まあ、そう固いことを言うな。折角遊びに来てやったんだから少しくらい相手をしろ』

「はぁ!? 別におれが呼んだ訳じゃっ、な……い」


妖怪というものは皆揃って自己中心的なのだろうか。

一番傍にいるニャンコ先生といい出会う妖皆揃ってその傾向があるように思え、夏目はまた別の頭痛を覚える。

そして身勝手な発言にクワッと怒鳴ろうとしたのだが、最後まで言い切る気力が残っておらずふにゃりと床に突っ伏してしまった。

少年の様子に、面の下で意味ありげにその柳眉を上げ険しい顔をするも、その空気を微塵もにじみ出すことなく級長戸は態とやれやれと肩を竦めてみせる。


『まったく、人の子は相も変わらず貧弱だな』

「うるさ、い」

『……まあ大方、どこぞの妖と対峙して(じゅ)でも受けたというところか』

「……、……分かってるならそっとしておいて欲しいんだが」


ゆっくりと夏目の体を上から下まで“視た”級長戸は、呆れた様な声音で彼の現状をずばりと言い当てて見せた。

人には見えぬ何かが少年の体に纏わり憑いている。

妖力を持つ夏目だからこの程度で済んでいるのであろうが、それでもその顔は青白く覇気がない。

これが普通の人間であれば意識はないだろう。

そんな、見るからに悠長にしていられない状態だというのに


『何を言う! お前が寂しいかと思ってわざわざ来てやった私の親切に対して何か礼をするのが道理というものだろう!』


級長戸はそんな少年の状態などお構いなしにも思える発言を堂々と言い放ってみせた。


「一体どういう理屈だ……」


やっぱり妖はみんな自己中なんだと自己解決し、そしてそれに対してげっそりとした溜め息が漏れるのも当然と言うもの。

余計具合が悪化したように感じた夏目は床に額を付け、うーとかあーとか唸りながらごろりと寝返りを打った。


『ふむ、しかし確かに今のお前では話し相手もまともに出きんな』

「だから、さっきから、そう言ってるだろ……。あー、頭が痛い……」


息切れ切れの言葉は吐き出すのも大義だと言わんばかりで。


『……まったく、こやつに手を出した妖怪に後で礼参りでもしてやらねばならんな』

「……ん? 今何か言ったか、級長戸」

『いいや、何でもないさ。……それよりも』


ぽつりと零した声音で紡がれた言葉を聞き取る事が出来ず夏目が問えば、級長戸はゆるりと首を振るだけ。

そしてその代わりにスッと腕を翻し


「うわっ!!」


唐突に小さいとはいえ些か乱暴な風を起こし、夏目へと向かい放ったのだ。

予期せぬ事にもろにその衝撃を真正面から受け漏れる悲鳴。

当然ながら灰色がかった髪はぼさぼさになり。


『はっはっは、なかなか面白い顔になったぞ! 夏目貴志』

「級長戸いい加減にっ」


腹を抱えて笑い声を上げる妖に理不尽な扱いを受け、ブチッと堪忍袋の緒が切れ夏目は勢い良く立ち上がった。

されど


「くっ」


本調子ではない身体はいうことを聞いてはくれず、くらりと目眩を覚え重力に従い体が傾ぐ。

このまま倒れれば痛いだろうなとぼんやりとした頭で見当違いな事を夏目が考えていると



『おっと』



“ぽふん―――”



『……。……思ったよりもやっかいな呪を受けたものだな。先程ので解けぬとは……』


柔らかな衣の感触に意識が戻され夏目が瞼を持ち上げれば、目の前にある面の下で何やら級長戸が苦々しげに呟いたように思えた。




“先程ので解けぬ”?

一体何の話をしているのだろうか



何か大事な事のような気がするのだがいよいよ考えるのも煩わしくなってきて、少年は纏わり付く呪に身を委ねてしまいそうになる。

そんな夏目の状態を察したのだろう。

先程までの砕けた空気をしまい、けれど相変わらずの軽口で級長戸は言の葉を紡いだ。


『……仕方が無い、私がついていてやるから少し寝ろ。睡眠不足でカリカリしているのだろう』

「別に睡眠不足が原因じゃ……! それに生憎寝たくても頭の中で何か呪文みたいのが聞こえて寝れないんだ」


何とか反論してみるがどうしても弱々しいものにしかならない。

おまけに体に力も入らず、自分を受け止めてくれた妖のされるがままとなり。


「級長戸? ……なっ!」

『よし! 今回は特別だ。私が子守り唄を歌ってやるから存分に寝るがいい』

「だからって何で膝枕をする必要があるんだ!」


気付けば座した級長戸の膝に頭を乗せられていた。


『幼子はこうすると寝れるものだろう?』

「おれはそこまで子供じゃない!」

『はは、私からすればお前も幼子とそう変わりなく見えるのだから仕方あるまい』

「だからってあのなぁ!」

『さあさあ、早く寝ておしまいよ。起きた頃には楽になっているだろうさ』


強引に瞼を下ろされ抗議の声を上げようと思った次の瞬間、柔らかな風が自分の周りを包むように吹き抜ける。

それと同時に風の音に紛れ小さいとはいえ異国の言葉に聞こえる唄声が響き始めた。

それが級長戸の言う子守り唄なのだろうか。

不思議と心地よく穏やかな気持ちになる唄で。


「(綺麗な声、だな。……もう少し、聞いていたい)」


だが徐々に遠のき始めた意識では歌声を拾うことが困難になっていき、いつしか夏目は素直に眠りの淵へと落ちて行った。



頭の中で鳴り止まぬ呪詛も

体に纏わり付いていた呪縛も忘れ

ただ安らかに―――

















「夏目、今帰ったぞ」

『……おや』

「なっ、お前は!!」


日が傾き始めた頃、漸く帰って来てみれば室内には見慣れぬ存在が。

しかも出かける前とは明らかに変化した空気を纏った夏目がその膝で寝ており。

斑はその両方に驚いた様子で声を上げた。

それに気付いたように柔らかく吹いていた風がすぅと凪ぐ。


『……。何だこの不細工な猫は、まさか夏目貴志のペットか?』

「ペットだとぅ!? 失礼な! そもそも今は仮初めの姿であって私は本来高貴で優美な姿だ!! しかもペットだなんてそんな下賎なものじゃなく夏目の用心棒だ!!」

『あっはっはっは、分かっているさ。お前は斑だろう? ちょっとした冗談だろうにそこまで怒らなくても良いではないか』

「まったく、タチの悪い冗談だ」

『姿形が変わろうとその者自身の“魂”は変わらないからね。“視れば”すぐに分かる』


ぎゃーぎゃー喚く猫の姿に愉快そうな笑い声をあげた級長戸。

彼女がさして悪びれた様子もなく謝罪を述べれば、ぷりぷりしながらも斑は夏目の傍らに腰を下ろす。

何故か居心地悪そうに目を細めながら。


「で? 何故お前が“ここ”にいる、級長戸」

『何だ、私がいちゃあ悪いのかい? 久方ぶりの再会だというのに斑は相変わらずつれない態度だな』

「ふん、私程の高等妖怪ならば耐える事も出来るが、かといって“お前”が来て素直に喜べと言う方が無理というものだろう」

『ほぉ』

「まあお前の場合、今もだが普段も上手く“抑えて”いるとはいえ“(うた)われたら”他の奴らにとっちゃあいい迷惑だ。下級妖怪からすれば拷問さ」

『くく、酷い言われようだな』


不機嫌な理由はお前のせいだと、歯に衣着せぬ物言いで言うも級長戸はさして気にしたふうもなく笑って見せた。


そこに

斑に気付かれない程の微かな憂いを混ぜて―――



「それにしても、夏目といつの間に出会ったんだお前は」

『なに、つい先日の事さ。偶然森の奥で相見えてね』

「ああ、あの日か……」


そういえばいつぞや夏目が嬉しそうに帰って来た日があった。

あんな逢魔時に良くもまあ妖怪達に襲われずに何事もなく帰って来れたものだと不思議に思っていたが、成る程。

この“級長戸”に会ったからか。


『レイコも面白い娘だったが、この夏目貴志もまた興味深い人の子だな』

「なんだ、夏目が気に入ったのか?」

『ふふ、それはお前もだろう? 斑』


膝に乗る灰色の髪を一撫でしながら言われた台詞に、斑はぐっと言葉を詰まらせる。

否定するつもりはないが、こやつの前で肯定するのも腹立たしい。

それ故沈黙を選んだ訳なのだが、どうやら級長戸には気付かれた様でくすくすと仮面の下から笑い声が漏れてきた。

笑ったことに対してキッと睨んでやれば、風の化身は肩をすくめ飄々とそれを受け流してみせる。


『さて、私はそろそろ帰るとするか、お前も戻った事だし。……それに』

「“それに”?」

『“用”も済んだからね』

「っ、……お前まさか最初から」

『“風の噂”を、この“級長戸”をなめてもらっちゃあ困るよ、斑』


意味深な発言に斑がハッとした顔をすれば、級長戸はにやりと口角を持ち上げた。

それが意味するのは彼女がここに来た本当の理由を示唆するもので。


「ちっ、折角この私が邪気払いの香を手に入れてきてやったというのに無駄足になったじゃないか」

『おやおや、それは悪かったね』


口は悪いが存外この人の子を気に入っている妖の可愛い悪態に、級長戸は仮面の下でゆるりと口元に弧を描いた。

そしてそっと少年の頭を優しく膝からおろす。


『夏目貴志が起きたら宜しく言っておいておくれ』

「起きるのを待なくて良いのか?」

『ああ、“風”は自由気ままなのさ。それに、この寝顔を見るからにもう大丈夫だろう』


ついと指先で頬をそっと撫でればそこには今は赤みが戻っており健やかな寝息が聞こえるのみ。

先刻まで魘されていたのが嘘の様にさえ見える面差しに級長戸は満足げな声を漏らし


『じゃあまたな、斑』

「おい待っ」


斑の制止の声を聞き終えるまでもなく級長戸は羽衣と共に髪を靡かせ颯爽と部屋から姿を消した。

ぶわりと吹き抜けた風がカーテンを一瞬だけ大きく翻す。

風が凪いだ後に残るは清涼(しょうりょう)たる空気。


「……、まったく好き勝手やってくれおって」


それにまたも忌々しそうな顔を僅かにするも、斑は小さく溜め息を吐くだけに留め夕暮れに染まる空を見上げた。

そしてぼそりと恨みがましい呟きを零すも


「まあ、今回は感謝しておくとするか。

 なあ、夏目―――」


穏やかな顔ですやすやと眠る少年を見詰め、斑はそっと柔らかく目を細めた―――

















(……あれ? ニャンコ先生お帰り)
(ああ。それよりも具合はどうなんだ、夏目)
(ん? そういえば躰が軽いな)
(……あいつに貸し一つか。ちっ、気に食わん)
(どうしたんだ?)
(それもこれもお前が馬鹿で貧弱で簡単に呪詛など受けるからいけないのだ!)
(は?)
(そもそも“変なモノ”を家に入れるなと言っただろう!)

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