buon viaggio
□the pockets are empty
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「ハーヴェイ」
「あ?」
「えと、あの、その……」
「……何」
「と……」
「“と”?」
「と、trick or treat!」
「……」
もじもじしていたかと思えば何の前触れもなく突然そんな事を口にしてきたキーリ。
ソファーに座って煙草を咥えたままキーリの顔をポカンと見詰める俺と、
そんな俺の様子をおっかなびっくり見ているキーリは緊張と恥じらいからなのかうつむき加減のせいで上目遣いにちらちらとこっちの反応を伺っているものの、その顔が心なしかわくわくしているように見えるのは恐らく気のせいではない。
とはいえ、まるで別の言語を聞いたかのように俺はその言葉の意味をすぐに理解出来ず現状況を咀嚼する為に数秒掛かった。
正直咥えていた煙草を落とさなかったのは偉いと思う。
別にキーリの先程の発言や、今日が何の日かを知らないわけではないのだが、
町で見かけた連中みたいににっこり笑って菓子を差し出す自分の姿を想像して背中がゾワゾワしてきたので即座に脳からその映像をシャットアウトした。
……あれだ、人間やり慣れてない事に対しては即座に動けないのと一緒で今までにこんなやり取りをした記憶が無い為に正直反応に困る。
もしかしたら“エイフラム”は経験した事があるのかもしれないが生憎といって俺の記憶にはこれっぽっちもそれ関連の記憶がなく、過去を遡るという行動には何の意味はないと分かっていながらも助けを求める様にその無意味な事をしてみた。
が、結局のところやっぱり何の役にも立たずに終わったのは当然の結果と言えば当然なのだろう。
だから
「あー……で?」
キーリが望んでいる対応に心辺りはあるものの、その意図に全くと言っていいほどに不釣り合いで素っ気ない返事しか出なかったのはあくまでも経験不足というだけであって別に俺が意地悪って訳じゃない。
あえてそう返した俺に対して浮かべるであろうキーリの表情を実は見てみたかったからという訳でもない、……一応。
「“で?”じゃなくて! もうっ……」
案の定、期待通りキーリはそんな俺の反応に不満げに頬を膨らませる。
その頬を指でつつけばおそらく空気が抜けると同時にキーリの面白い顔が見れそうで一瞬実行してやろうかと思うも、これ以上キーリの機嫌を損ねるのは得策ではないと判断して思いとどまった。
言っておくがキーリのその頬を見て柔らかそうだなとか触ってみたいとかそんな事は間違っても思っていないからな。
「悪かったって、菓子が欲しいんだろ?」
何もハロウィンの常套句に準じてねだらなくても菓子くらい普通にやるってのに。
まあ、キーリも菓子が欲しいというよりは何処で知ったのか知らないがハロウィンを経験してみたかっただけなのだろうが。
……とはいえ、普段から菓子を常備なんてしてないし今日はたまたま持っていたから良かったものの俺にその科白を言うのは人選ミスなんじゃないか?
ヨアヒムならいつでもチョコとかキャラメルとか持っているんだろうけど(主にキーリの餌付けの為に他ならないが)、俺が普段からそういった物を持ち歩いていたら気持ち悪いと自分で思う。
「ハーヴェイ?」
「……ん? ああ」
急に黙り込んだ俺を不思議に思ったのか心配そうに小さく首を傾げたキーリ。
そんな彼女の声に意識を戻され、ポケットに手をつっこみ煙草を買いに行った時に調度道で貰った飴玉に指先で触れる。
あとはそれを手にしてそのままキーリに渡せばいいだけ。
良く考えてみれば別に笑う必要もなくただ単に渡せばいいだけなのだから簡単な事だ。
が
「……、やっぱりやめた」
「え?」
ポケットの中に手を突っ込んだままで俺はふと動きを止める。
そしてポケット内の掌の上で飴を転がしながらほんの少しの悪戯心で口を開いた。
「trick or treatなんだろ? じゃあtrickで」
「っ」
さして興味が無いふうを装って淡々とわざとそう言ってやれば、面白いくらいにその瞳をまん丸にして絶句するキーリ。
まさかこう来るとは全く持って予想していなかったらしい。
こういう所が詰めが甘いというかキーリらしいというか。
「何だ、trickを考えてなかったのか?」
「だ、だってハーヴェイがtrickって言うと思わなくて……」
「俺が菓子を持って無い可能性だってあるだろ」
「……う」
そのもっともな言い分にぐうの音も出ないのかキーリは口を閉ざした。
さてキーリは一体どうするのかと若干楽しみながら、とはいえそれを表に出すことなく相変わらずの無表情で待っていてやれば彼女の瞳が答えを探すように床の上を行ったり来たりし始める。
キーリに悪いと思いながらもキュッと口を結んで俺の発言に対して素直に真剣に考えている仕草につい口が緩みそうになり、それを噛み殺す手段として普段よりも煙草を大きく吸ってゆっくりと吐き出した。
それによって幾らか頭が冷え、大人げない意地悪に少し罪悪感を感じ始めたのもあってポケットの中の飴玉をそろそろキーリにやろうかと考え直す。
一年に一度のイベントなのだし折角楽しみにしていたみたいだからそれを取り上げてしまうのは少々気の毒な気もした。
それに何より―――
“まったく、困らせた顔も見たくて意地悪したけど結局はお菓子をあげて喜ぶキーリの顔が見たいだけでしょあんたは”
なんていう聞こえる筈もない声がどこからともなく聞こえた気がしてヒクリと引き攣る口元。
おまけにご丁寧にも人の脳内にまで勝手に登場してきてからかうような視線を送ってくるものだから胸中でうるせえよと拗ねるように悪態を吐いてその金髪碧眼の同族を頭の中から無理矢理追い出した。
幻聴とは言え痛いところを指摘されて妙な居心地の悪さを覚えるも、図星なだけに言い返せる台詞を持ち合わせていない自分が情けない。
このままキーリにtrickを考えさせていたらまた脳内で何か言われかねない気がしたので、観念したようにポケットに手を入れて飴玉を取り出す行動に移る。
そして子供じみた自分の言動を詫びる意味合いも込めて
「悪かった。ほら、キー」
リ、と彼女の名前を言って飴をやろうとしたのだがそれは残念ながら叶わなかった。
見上げた先のキーリは不意に拳を握り絞め何故か頬を微かに赤く染め
意を決したように目をギュッと瞑ったかと思えば
「っ!?」
触れたのは刹那
けれど
頬には柔らかで甘ささえ感じられるような感触が残り
「……」
キーリの予想外の行動に今度こそ不覚にもぽろりと咥えていた煙草を落としてしまった。
キーリが触れた箇所を追うように掠めた彼女の髪の感触がくすぐったくて仄かに鼻腔を擽る香りに体を駆け巡る衝動。
「は、ハーヴェイがとりっくがいいって、言ったんだからねっ」
だがそれとは裏腹に、自分からしておいて一目山にパタパタと部屋から逃げるように駆け出したキーリの姿を俺はただ見送る事しか出来ない。
先程よりも彼女の頬が明らかに真っ赤に染まっていたのに気付けた事と、恥ずかしさからなのか心なしか舌足らずな捨て台詞をキーリが残していった事を辛うじて聞き取れた俺を誰か褒めてくれないだろうか。
暫し瞬きさえ忘れて止まってしまった人形のように呆然としていたが、
「アチッ」
ジリッと太もも辺りに走った熱さによって漸く現実に戻される。
落とした煙草の火によって出来たワークパンツの焦げ跡。
反射的に跳ねた手から落ちたカラフルな包み紙のキャンディーが安っぽい音を立てて床を転がり、あろうことか無意味に存在感のある大きな本棚下の空いている僅かな隙間に入り込んでいってしまった。
取ろうにも手が入る分の隙間はないし、正直本棚自体が動かせる大きさじゃない。
というか片手しか使えない時点で動かすという選択肢は既に除外されている訳なのだが。
「……、あー……」
いきなりちょっかいを出してきたビーといい(幻聴だけど)
まさかの予想外の行動をしてきたキーリといい
そして自分の落ち度とはいえ軽やかに掌から逃げていったキャンディーといい
良く分からない敗北感に襲われ何だか色んな意味で脱力してしまい情けない声が漏れる。
最終的に、喜ぶ顔を見るための“treat”を失ってしまったのはキーリに意地悪した罰なのだろうか。
それにしても
「……あいつ、trickの意味分かってんのか?」
trickってのは悪戯であって相手を困らせるものだってのに
逆に喜ばせてどうすんだあの馬鹿―――
“trick or treat!”
窓の外から聞こえて来たのは先程自分にも唱えられたものと同じ呪文。
それに対して差し出されたお菓子を見て浮かぶ子供達の笑顔。
2階に位置する宿の窓辺からそれをぼんやりと見詰めていた俺は中身の失ったポケットに視線を落とし
「買いに行ってくるか……」
さっきのtrickだけじゃ満足できずにやっぱりキーリの喜ぶ顔も見たいだなんて思う俺は欲張りなのだろうかと自問自答するも、すぐにその馬鹿げた質問を自分自身で放り投げた。
欲張りだっていいだろ別に、と誰に言うでもなく開き直りながら。
ひとまず不覚にも動揺してしまった気持ちを落ち着かせるためにソファーの肘掛けを使うふりをして頬杖を突いてなぞる自分の頬
らしくもないとは分かっているが、一瞬だけだけれども確かに感じた柔らかな温もりが消え行かぬようにと暫く“そこ”に触れたままでいてから
今度こそ笑顔というtreatを貰うための小道具を手に入れるべく
俺は暮れ始めた空の下へと繰り出した――
the pockets are empty
(ポケットは空っぽ)
(お菓子を買って来たはいいがあの後キーリにどんな顔で声を掛ければいいのか悩まされたのは言うまでもなく結局キーリのtrickはある意味成功したのかもしれない)
あとがき→