黒バス
□これ以上
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虹村サンと別れた後、オレは苛立たしげに大きな音を立てて階段を下りていく。身体中の血液が沸騰したみたいに熱くなり、その熱を放射させようと躍起になっているようだった。
放課後だから校舎にはほとんど生徒は残っておらず、おかげで誰ともすれ違わない。今誰かと会おうものなら、生徒や先公に限らず出会い頭に殴ってしまいそうだ。それくらいオレはイライラしていた。
(なんで今思い出すんだよ……!)
けれどもイラついている理由はあの人じゃない。階段を一歩、また一歩降りるごとに呼び起こされる遠い昔の記憶。
「くそっ!!」
頭の奥に鈍い痛みが襲ってきて、オレは立ち止まると階段にドカリと座り込む。膝の上に肘を乗せて、組んだ両手で額を支える。目を閉じて深呼吸してみたけれども、余計に痛みは増していくばかりで額にうっすらと汗まで浮かんでくる。
大丈夫だと自分に言い聞かせてみるけれど、記憶の箍が外れてとめどなく思い出が溢れてくる。
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大好きだった父親が突然いなくなったのは、まだオレが幼かった頃だ。父親がいなくなった理由なんか分からずに、オレはその事実にただただ泣いていた。母親と父親が離婚したということを理解したのはそれから何年か経った後だった。
父親がいなくなった時、大好きな物が手元からなくなった時の喪失感なんて言う物をオレは子供心に理解した。心にぽっかりと穴が開いたみたいに、何をしても充足感を得られず惰性的な日々を送って来た。
だから自分から好きな物を作るのを止めた。あんな思いをするくらいなら、初めから好きなものなんて作らない。そうする方が楽だった。
けれども心とは厄介なもので、好きな物が出来てしまう時は出来てしまう。そういう時は決まって他の物に目を向けようとして、気付いたら他人の好きな物を奪うようになっていた。
そいつが大事にしている物なら暇つぶしくらいにはなるし、飽きたらいつでも捨てることが出来た。元々好きでも何でもないものだったから、手元からなくなった時に傷付くことなんてなかったし、そんな風にしてるのが案外楽しかった。
けれどもあの人だけは違った。
好きになってはダメと分かっていたのに虹村サンのことを好きになってしまった。だから目を逸らそうとリョータ君の女を奪ったり色々な事をしてみたけれど、結局はどれもダメだった。
他の物に目を向けようと思えば思うほど、あの人に惹かれていく。
これ以上あの人の近くにいたら、もっともっと好きになって抑えられなくなる。それは分かっていたけれども離れることが出来なかった。
だから赤司に退部を勧められた時は天の助けかと思った。これで後腐れなく辞めることが出来る。あの人の側にいなくてもよくなる。
そう思ったのに、またオレの前に現れて平穏を取り戻したオレの心を掻き乱していく。身体の中を這うように、ゆっくりと毒が回っていく。じわじわと、けれども確実に息の根を止めようと心臓に向かって突き進んでくる。
「これ以上アンタの側にいたくねーんだよ」
口から零れ落ちた言葉はとても脆弱で、今にも消えてしまいそうだった。
これ以上好きにさせないで