黒バス

□この恋の結末を
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 ここに座ってもうどれくらい経っただろうか。洛山高校の控室のベンチに座って、赤司征十郎は大きく息を吐いた。
 WC準決勝の二試合も無事終わり、ここでは先程までレギュラーメンバーの間で軽くミーティングが行われていた。それも終わって後は明日の決勝に向けてホテルへ帰るだけだったのだが、赤司は他のメンバーを先に帰らせて一人ここに残った。
 本来なら赤司もみんなと一緒に帰るべきだったのだが、まだ帰れない理由があった。それを果たすまで帰るつもりはないけれども、心配そうに声をかけてきた実渕の顔が頭に浮かんできて決意が少し鈍る。


 彼には悪い事をしたと思っている。実渕はいつも自分の事を気にかけていてくれて、とても大事にしてくれている。付き合うまでに紆余曲折はあったけれども、今ではすっかり相思相愛だ。
 けれどもそんな彼に赤司は黙っている事がある。一段落ついたら話すつもりでいるけれども、伝える事を怖がっている自分がいる。
 話したら怒られるだろうか、呆れられるだろうか。愛想を尽かされるだろうか。そんな事ばかり考えて、決心が鈍ってしまう。赤司は怖いものなんて何もないと思われているけれども、そんな事はない。彼に嫌われてしまうんじゃないかと、いつもいつも怯えていた。
 自分が昔行った行為のせいだから、それを全て清算しなければならない。これから自分がすべきことが頭の中を駆け巡り、まるで呪文となって赤司をその場に張り付ける。
 控室の一番隅の蛍光灯が明滅し、ジジジと音を鳴らせた。


 何だか息苦しくなってきて力強く携帯電話を握りしめると、バイブレーションが鳴り赤司の手に振動が走る。きっちり三回鳴り終わってから画面を開き、今しがた受信したばかりのメールに目を通す。
「行くか……」
 大きく息を吸って吐き出すようにそう呟くと、赤司はスポーツバックを肩に提げてベンチから立ち上がった。





 人通りが少なくなった会場の廊下を、赤司は毅然とした態度で進む。先程までの迷いは無理やりにでも吹き飛ばした。ジャージの右ポケットに手を入れると冷たくて硬い感触をした物とぶつかり、それを力強く握りしめる。
 そして目的の階段を見つけると、二階の観客席の方へと続くそれを上っていく。階段を曲がって広めの踊り場に出ると、メールの返信相手である緑間が先に待っていた。
「先程振りだな」
 スポーツバックを肩から下ろして地面に置きながらそう言うと、緑間が眉間にしわを寄せた。ついさっき自分が負かされた相手に会うのは複雑な心境なのだろう。しかもプライドが高い緑間の事だ。ここに来るのも相当渋ったに違いない。
 けれども赤司には緑間の気持ちは想像出来ても、完全に理解することは出来なかった。敗北を知らない赤司にとって、敗者の気持ちなど分かりようがない。
 けれども今は先程の試合の事は関係ないし、それでは話が進まない。だから赤司は「試合の事はいったん置いておこうか」と緑間に提案した。


「全く、お前といい黄瀬といい……」
 すると緑間はため息をついて腕を組んだ。心なしか眉間のしわが少しだけ深くなっている。
「なんだ、涼太にも同じような事を言われたのかい?」
「……以前誠凛との試合でな」
「そうか。テツヤと真太郎は試合をしたことがあったんだな」
 同じ地区にあるから誠凛と秀徳は対戦に当たりやすい。赤司の記憶によれば確か公式戦では二度対戦をしていて、結果は一敗一分だったはずだ。
 意図せず黄瀬と似たような事を言ってしまったなんて、少し可笑しくなって赤司は笑みを浮かべた。そう言えば涼太の足の具合は大丈夫だろうか。昔からバスケとモデル業を両立させるくらい無茶をしていたけれども、その傾向は今でも変わらないらしい。


「……黒子は手強いのだよ。特に今のアイツの光はな」
 笑っている赤司が面白くなくなって、緑間は戒めを込める意味で忠告した。実際に両者と対戦したからこそ緑間には分かる。いくら赤司だろうと一筋縄には行かない事を理解していた。
「火神君か……。それは楽しみだな」
 緑間の警告にも関わらず、それでも赤司は笑っていた。赤司にとって試合に勝つ事は当然だが、そこに至るまでの過程を楽しみにしている節がある。IHの優勝インタビューで試合に出なかった理由を聞かれて、「それでは何も面白くない」と。
 いかに強者を倒し、いかに刺激のある勝負をしていくか。勝つ事が当たり前になってしまった赤司にとって、そうでもしなければつまらないのだ。


「でも、勝つのは僕だ」
 そう言って赤司は腕を組んで両目を細めた。先程までの微笑は面影を失くし、正に冷徹その物だ。
 その鋭い眼光に緑間は慄然とし、自然と半歩後ずさりしてしまう。けれどもなんとかそこで踏みとどまると、誤魔化すかの様に眼鏡のフレームをくいっと上げた。
「……で、話とはなんなのだよ。世間話をするために呼んだわけではないだろう。さっさと本題に入るのだよ」
「それもそうだな」
 赤司が目を伏せると、自然と空気が和らいでいくような気がした。背中を流れる冷や汗を感じながら、緑間は赤司に気付かれないように息を一つ吐いた。
 別の意味でまた冷や汗が流れている緑間を見つめ、赤司は階段の手すりに片手を添えてゆっくりと体重を預けた。
「察しはついてるだろうけど、話というのは卒業式の時のことだ」
 赤司の言葉に空気がまた張り詰めた。けれどもそれは先程よりは緊張感をはらんでおらず、緑間も呼吸がしやすかった。
「あの時の約束を覚えているかい?」
「もちろんなのだよ」
「その約束を果たす前に、お前に言いたい事がある。あの時お前に言ったことは嘘じゃないけれど、今は他に好きな人がいるんだ」
 そう言いながら、赤司は今ここにいない彼の顔を思い浮かべた。言うのが怖くて今まで隠していたけれど、いつまでも黙っているわけにはいかない。勘のいい彼のことだから、何があるのだろうか薄々勘付いているだろう。
 緑間と過去に何があったのか、そして今日何があったのかを全て話すつもりだ。


「すまないな。お前からの返事を待とうと思ってたんだが待てなかった」
「……ずいぶん勝手だな」
「そうだよ。僕は昔から勝手だっただろう?」
 そう言って赤司は両腕を横に広げた。まるで責めたいならいくらでも責めなよと言っているようで、緑間は逆に何も言えなくなってしまう。喉の奥から出かかった言葉を飲み込むと、ため息をついて別の言葉を吐きだした。


「そうだったな」
 諦めたような緑間の声に赤司は満足すると、両腕を元に戻して柔らかい笑みを浮かべる。正直怒られる事を覚悟していたから、緑間の優しさに久々に触れて何だか赤司は嬉しくなる。
 思えば中学時代から緑間は優しかった。言動がきついから他人からすれば分かりにくいかもしれないけれど、相手の事を気遣い、それの優しさを実行に移す事が出来る奴だった。
 その優しさに赤司は何度も助けられたし、これからも助けられていくのだろうと赤司はそう思っていた。
 けれどもその考えは誤りだったのだと、高校に入学してから赤司は気付かされた。あれだけ触れていた優しさよりも、もっとずっと温かい物があるのだと赤司は気付いてしまったのだ。自身へ向けられる愛情が、あんなにも心地よい物だと初めて気付かされた。
 その温かい物を思い浮かべ、赤司は口角を緩ませた。今まで見たことのない赤司の穏やかな表情に、緑間は驚きを隠せなかった。


「あとはこれを返すよ」
 赤司は緑間に近付くと、緑間の右手を掴んで手の平を広げさせる。そして自身の右手をジャージのポケットに入れると、ある物を掴んでそれを緑間の手の平にゆっくりと乗せた。
 赤司が手を放してようやく露わになったそれは、鈍く輝く黄金色のボタン。その中央には帝光中の校章が刻まれている。
「まだ持っていたのか」
「担保だからね。僕にはもう必要なくなったから」
「そうか」
 今更こんな物を返されても正直困るが、緑間は受け取った校章ボタンを力強く握りしめた。すると冷やりとしていた金属に、緑間の熱がどんどん移っていく。緑間は顔をしかめて握った拳を眺めていたが、やがてため息一つついて顔を上げた。

「赤司――」


 
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