黒バス

□これ以上
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 追いかけていた背中はいつの間にか近くなっていって、気付いたら手が届く距離にあった。


 何度も何度もその背中に手を伸ばそうとしたけれど、いつもギリギリの所で留まってバカみたいに歯ぎしりなんかして。


 けれどもその内我慢が効かなくなって掴んでしまうことは明白だった。



 だから自分から距離を取って、もう届かないようにと離れていった――。



***



「ホントに辞めるのか?」
 誰もいない屋上で寝転がって気持ちよく日向ぼっこをしていたら、聞き慣れた声が降ってくる。沈みかけていた意識を浮上させられて苛立たしげに目を開けると、オレを見下ろしている虹村キャプテンの姿が目に入った。


「なんだ、アンタかよ」
「先輩に向かってその口の利き方はなんだ? あぁ!?」
 ため息をつきながら言葉を返したら、不良顔負けの迫力でまくしたててくる。
 先公に目つきが悪いとか素行が悪いやら言われているオレだが、この人も大概だ。むしろオレよりガラが悪いんじゃないかと思えてくる。去年の冬だって試合をサボってゲーセンで遊んでいたら、いきなり拉致られてボコられた。喧嘩は慣れているつもりだったけれど、いきなりのことで反撃する暇もなかった。あの時の恨みは今も忘れていないし、思い返すだけで腹が立つ。


「で、主将様がこんな所に何の用だよ」
「先輩には敬語使え」
 寝そべったままだと話しづらいというのもあったから、起き上がって壁にもたれるといきなり頭を叩かれた。あまりの痛さに反射的に睨んだが、キャプテンは臆する様子もなく真っ直ぐとオレを見てくる。その視線にイラついてオレは舌打ちをした。


 そんなオレを見てキャプテンは腰に手を当ててため息をついていたが、その様子を見ているのが面倒くさくなって視線を逸らす。視界に映ったキャプテンの足が、太陽の光を受けて影を作っていた。
「先に一個言っとくけどオレもうキャプテンじゃねえから。今の新しいキャプテンは赤司な」
 その言葉を聞いてオレは下げていた目線を勢いよく上げる。冗談かと思ってキャプテンの顔を見返したけれど、冗談を言っているような目ではないし、そもそもこの人は冗談なんて言うような人ではない。
 つまりこの人が言っている事は本当で、今はあの赤司がキャプテンをやっているということだ。その事実に少なからず衝撃を受け、乾いた笑い声がふつふつとわき上がってくる。


 いつかはキャプテンになるだろうとは思ってはいたが、まさかあいつがこんなに早くキャプテンになるとは思わなかった。あの恐ろしい奴がキャプテン? 部をまとめ上げる? あまりにも可笑しすぎて逆に笑えない。
 というか辞めてよかったと心底思える。アイツの下で動くなんてまっぴらごめんだ。
まあでもバスケ部を辞めて経った数日しか経っていないのに何があったのかと気にはなる。けれどももう辞めた身であるオレには関係ないとわき上がった好奇心を放り捨てた。


「じゃあ虹村サンがオレに何の用すか」
「さっきも言っただろ。本当にバスケ部を辞めるのかって聞いてんだよ」
「ああ」
 虹村サンの質問に間髪入れずに答えると、見上げるのに首が疲れてきたからゆっくりと立ち上がる。壁に寄りかかり視線を送ると、目線の高さがほとんど変わらないことに気が付いた。


「もうバスケなんてどーでもいいんだよ。元々好きでやってたわけじゃねーしな」
 疲れるし汗クセーし、女と遊んでる方がよっぽど楽しい。飽きたからやめる、ただそれだけ。
そう言えば似たようなやり取りをつい先日テツヤとしたばかりだ。二人して同じことを聞いてくるから正直イライラする。


「お前は練習サボるわ、仮病使うわ、女遊び激しいわ、よく喧嘩するわ、とにかく手がかかってしょうがねー。だけどムカつくことにオレより強い。そんなお前がいなくなったらちょっとは困るんだよ」
「はっ、ちょっとかよ」
 黙って聞いていたらベラベラベラベラ勝手な事を言いまくるから、オレは自嘲気味に息を吐く。まあでもどれも本当のことだから否定はしないけれど、分かっている事を改めて言われると腹が立つ。
 けれども虹村サンは話すのを止めようとしない。口を開いて次々と言葉を並べたてていく。


「確かにお前の行動には目に余るものが多いけど、だからって辞めていいわけじゃねえだろ。お前バスケ好きなんだから」


 ――は?


 こいつの言ったことが理解出来なくて頭が真っ白になったが、数秒かかってようやく言葉の意味を理解し、気付いたら大声を上げて笑っていた。


 オレがバスケを好き? 有り得ない。


 そんな冗談みたいなことを真面目な顔をして言ってくるから、可笑しくて可笑しくてしょうがない。目尻に涙は溜まるし腹まで痛くなってくる。


「気色悪いこと言ってんじゃねーよ。オレがバスケを好き? んなわけねーだろ」
 オレは右手で腹を押さえ左手で溜まった涙を拭う。なんとか笑いを堪えようかと思ったけれど、オレの腹筋は止まる様子を見せない。
「じゃあ今まで辞めなかった理由はなんだ? いつでも辞める機会なんてあっただろーが。本心じゃそんな風に思ってな……」


 ドン!!


 いい加減こいつの話がうざったくなり、オレは背面にある壁を右手で思いっきり殴って言葉を打ち消す。かなり力強く殴ったが不思議と痛さは感じない。コンクリートの壁は思ったよりもひんやりとしていて、熱のこもった右手を包み込んでくる。


「うっせーんだよ」
 苛立たしげに言葉を吐き捨てると、虹村サンに近付いて左手で胸倉を掴んだ。けれども眉一つ動かさずに真っ直ぐとオレへ視線を向けてくる。
 それを見ていると嫌な光景がフラッシュバックする。赤司とコイツの姿が一瞬重なり、握った左手にさらに力を入れた。


「それ以上言うといくらアンタでも容赦しねーぞ」
「やれるもんならやってみろ、クソガキが」
 脅しの意味も込めて睨みつけたが、表情一つ変わりやしない。それどころか逆にオレを挑発するような口ぶりだ。
この人だってオレが喧嘩ばっかしている事を知っているはずだ。今この瞬間だってオレが殴りかかってもおかしくないのに、抵抗するそぶりもなくただただオレを見つめてくる。


 赤司と言い、テツヤと言い、虹村サンと言いどいつもこいつもオレの神経を逆なですることばかりしてくる。


 試しに右手を振り被ってみたけれど、この人は恐怖におびえるでもなく真っ直ぐとオレのことを見てくる。その視線に耐えきれなくなり、オレはため息をつくと拳を下ろして握っていたワイシャツとネクタイを放した。
「つまんねえから止めた」
 そう言って踵を返し、屋上の出口へと向かっていく。


「おい、逃げるのか」
「バカ言ってんじゃねーよ」
 後ろから声が聞こえてきたけれど、振り返らずに言葉を吐き、左腕を高々と上げてぶんぶん振る。そして階下へと続く分厚い扉を開けると、そのまま屋上を後にした。


 
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