鏡と虚像とその間
□◆ 第5話
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* * *
薔薇の園の中心に建つ大きな屋敷。
持て余している時間を利用して、迷子になってしまいそうな広大な屋敷内を、シェリルはピクニック気分で散策していた。
寝泊りしている客室を出発地点に、大理石の廊下を歩く。
その滑沢ある床を半ば緊張気味に進みながら、一定の間隔で飾られている絵画や工芸品に目を止めた。
「……高いよね…きっと。」
高級品なのであろうという先入観からの感想。
実際、どこがどう凄い物なのかはまるで解らない。
ただ、万一の事が頭を過ぎり触れることは疎か、近付く事さえ躊躇われた。
そうして先へ進んで行くうちに、大きなシャンデリアを天井に構えるエントランスに出た。
フロアを二階へ繋ぐ階段は、途中で左右に枝分れしている。
その階段の分岐点に、一人の少年が壁に向かって佇んでいた。
この屋敷の住人だろうか。
シェリルは徐に近寄って声を掛ける。
「何してるの?」
「……。」
シェリルの半分程しかない身長に、ほとんど白に近い金髪の少年。
彼は、その小さな両腕にウサギの縫いぐるみをしっかりと抱きしめて、ただひたすらに沈黙を返した。
避けられているようなその反応に半ば凹みながら、シェリルは少年の興味を独り占めする壁に視線を向けた。
入口の扉と引けを取らないような大きさの肖像画が掛けられていた。
白いドレスに身を包み、柔らかに微笑む女性。
首飾りの華やかさすらを包み込む上品さを纏ったその姿は、まるで生きている様な存在感を示していた。
「――うそ……。」
それは一瞬の記憶でしかないが、忘れもしない存在。
手鏡で見た、あの白いドレスを纏った女性。
思わず後退りして、ずれた視界に膝元に置かれた女性の手が映った。
「――……。」
シェリルは息を呑んだ。
女性のその手には、手鏡が添えられていた。
銀の蔦に縁取られ、薔薇のカメオがあしらわれた青い手鏡。
それは、露店商のおじいさんに貰った手鏡と同じ物。
手元に無くとも忘れるはずがない。
「……なんで?」
思わず疑問が口を付く。
「お姉さんも鏡に連れてこられたの?」
突如、それまで興味を示すことのなかった少年がシェリルに顔を向けた。
「鏡に呼ばれた人は、次のクラウンの行く末を導かなくちゃいけない。」
少年はまるで台本を読んでいるかのように話す。
「……クラウン?」
それはスペードの主も言っていた言葉。
そういえば、その詳細は未だ何も知らないままだった。
「クラウンによる安定をもたらすために、その主を導くんだ。」
少年は、シェリルの言葉など聞こえていないように一方的に話す。
「でないと、全部無くなる……。」
あどけない顔に似つかわない、鋭い眼光がシェリルを見ていた。
「………。」
頭が混乱しそうだった。
少年が言った言葉の意味を理解できていないまま、彼が見せた瞳に圧倒されていた。
ただ反復するように、それらがそのまま疑問に変わる。
だが、どうしてだろう。
言葉が喉に引っ掛かり出てこない。
困惑しきった表情を浮かべていると、不意に少年は笑った。
先程までの雰囲気が嘘のような年相応の無邪気な笑み。
「鏡に会えば全部解るよ。」
少年はくるりと背を向けて階段を上がって行く。
「それ、……誰に言われたの?」
風船が破裂したように、シェリルの声は急に喉を震わせた。
声を受けて、少年は階段の途中でシェリルに向き直った。
「女王だよ。」
抱いている縫いぐるみの頭よりも小さなその手で指を差す。
少年の示す指の先には、白いドレスの女性が微笑む肖像画があった。
「………。」
「連れてってあげる。」
得意気な顔で言って、シェリルの返答を待たずに少年は再び階段を上がって行った。
「え……ちょっと、待って。」
ゆっくりと考え事の出来る暇はなかった。
シェリルは慌て階段を駆け上がり、少年を追う。
彼は、シェリルが来た客間とは反対側の廊下を、まるで追い駆けっこしているかのように進んで行った。
(なんか、楽しそう。)
微笑ましく思いながら、シェリルはその後ろを付いて行く。
走ったかと思えば、不意にこちらを振り向いたりする少年に、早歩きで追い付いてしまえることがなんだか滑稽で可笑しかった。
「そうだ。わたしはシェリルっていうのだけど、キミの名前は?」
「ルイ。」
シェリルの問いに、廊下の少し先でくるりと振り向いて元気のいい声を飛ばす。
そうして再び、追い駆けっこを始めるようにルイは走り出した。
それを追いながら何気なく視界を泳がせると、日の差す窓から黄色の薔薇の花壇が見えて、その直ぐ隣のベンチにジェクトとバロンの姿を見付けた。
(何してるんだろう?)
あまり自然な感じのしない組み合わせを不思議に思いながら、緩めた足取りで様子を眺める。
決して、仲睦まじい会話をしているようには見えなかった。
だが、言い争っている風でもない。
何を話しているのだろう。
完全に注意はそちらを向いていた。
不意に視界に影が降りて、それに慌てて前に向き直ると目の前に壁が迫っていた。
(……危なっ……。)
鼻が着くぎりぎりの所でどうにか止まった。
唐突に訪れたスリルに、シェリルは胸を撫で下ろす。
(何やってるんだろう、わたし……。)
ついこの間、散漫になりがちな注意力を反省したばかりだというのに、間抜け以外のなにものでもなかった。
溜息きに次いで、はたと思い出したようにルイの姿を探した。
数メートル先の、際立った装飾の施された扉の前にルイは立っていた。
駆け足で追いついて、シェリルは扉を指差してルイの顔を覗く。
「……ここ?」
彼はにっこりと笑みを浮かべて、大きく首を縦に振った。
周囲の部屋のドアとは違う豪勢な造り。
シェリルでもここが何か重要な場所であることが伺えた。
ただ、そんな部屋を部外者である自分が開けてもいいのかと躊躇われる。
そうしていると、ルイは何の躊躇いもなく、その小さな両手で一生懸命に扉を押し始めた。
シェリルは慌ててその行動を手伝い、躊躇いを持っていたにも関わらず、結局あっさりと扉を開けてしまった。
ルイは、罪悪感など微塵も持たない無邪気な笑みをシェリルに向ける。
(いいのかなぁ……。)
そう思いながらも、中へ入って行くルイに連れられるように扉を抜けた。