鏡と虚像とその間


□◆ 第6話
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それは、先代のクラウンの主が亡くなって直ぐの事だった。

ダイヤで公爵の地位にあったカナリタの母が、騒然としたローズガーデンを訪れた。

当時、薔薇の女王と呼ばれたローズガーデンの主は、数年の時に渡りクラウンの主として、四大公爵を取り纏める者として君臨していた。
バロンはその薔薇の女王の従者として存在し、彼女を護り、彼女の傍にいた。

統括された世にもたらされる平和。
大きな争いのない、守られた世界。
生ぬるい世の中だと思うこともあったが、それは紛れもなく心地好い時間だった。

ずっと続くものだと信じて疑わなかった。

だが、それは突然壊された。

女王の部屋で、凍り付いた空気を纏ったバロンに、ローズガーデンに到着して間もないダイヤの公爵は声を掛けた。
「……惨いものです。」

聞こえていないかのように反応を示さないバロンに、ダイヤの公爵は続ける。
「薔薇の女王は命を奪われた。貴方は、クラウンをどう思いますか?」

薔薇の女王……。

その言葉にバロンは反応した。

(……女王。…クラウン……。)
奈落に突き落とされたような心地だった。

疑いもしなかったものに裏切られて、大切なものを失った。
真実を隠していた人間を恨んだが、それ以前に、その真実を知ろうとしなかった自分が許せなかった。
知っていれば、知ってさえいれば救えたかもしれない。
当たり前だと思っていた事を少しでも疑っていれば、彼女は死なずにすんだかもしれない。

「……クラウンは、存在すべきなのでしょうか。」

瞬間、連れ戻されたように暗闇だったバロンの視界に色が戻り始めた。
ダイヤの公爵の姿があった彼の瞳に映る。

(……クラウンの存在…。)

考えた事がなかった。
クラウンによる支配は、呼吸と同じくらいに当たり前の事だと思っていた。

ずっとそう教えられてきた。

クラウンとその主で成り立つ世界が常識だった。
けれどその常識の教えに、クラウンの主の犠牲は含まれていなかった。

隠された真実。

目の当たりにして、初めて知り得た本当の形。
誰が決めたのだろう。
どうしてそれを受け入れたのだろう。

彼女が最も愛した薔薇に囲まれて眠るバロンの主。
衰弱したとしか見受けられないその姿は、目を反らしたくなる程に痛ましかった。

公爵は、バロンに再び同じ問い掛けをした。
「クラウンは必要なのでしょうか?」

その言葉は、信じて疑わなかった常識を、まるで積み木を崩すのと同じくらい簡単に崩壊させていった。

答えは、一つしか浮かばなかった。
「……破壊すべき、かもしれません。」

バロンは氷のような冷ややかで鋭い瞳をクラウンに向けた。

「……私も同意見です。」
彼女は綺麗な声でそう返した。

二人の間に暗黙の同意が結ばれる。
そして……バロンは、女王の傍に置かれたクラウンに手を伸ばした。

破壊してやる。

全てを奪った元凶。
誰も逆らわなかった禁忌。
破壊してやる。
これさえ無ければ、薔薇の女王は死なずにすんだ。
誰も苦しまずにすんだ。
クラウンさえ無ければ……。

不意にクラウンが巨大な刃で塞がれた。

「それをどうするつもりだ?」

黒のジョーカー。
漆黒に身を包んだクラウンの護り人。

当初は、クラウンの主を護る事の誤りだと思っていたが、そうではないらしい。
バロンは薔薇の女王から、彼の役目はあくまでもクラウンを護る事だと聞かされた。

選ばれた者以外がクラウンに触れないようにする。
それが彼に与えられている役目。
それが黒のジョーカーの存在理由。
人の価値が一つしかないなど、おかしな話。
あの頃はそれを理解する事が出来なかったが、今は理解出来る。
それは自分も同じだからかもしれない。

薔薇の女王を護る為の存在。
唯一無二の存在を失って、バロンの世界は崩壊した。

「それを破壊します。そこをどいて下さい。」

黒のジョーカーは沈黙したまま、その巨大な剣の切っ先をバロンに向けた。

同じ主の元に居た為、彼の実力を知らないわけではない。

バロンよりもいくらも小柄な身の丈に似つかない大剣を振るう、無敗を誇る驚異的な男。

バロンはそれに応じるように、細くしなやか剣を構えた。
正直、敵うとは思ってはいなかった。

空気が一瞬で張り詰められ、それを切り裂くように黒のジョーカーは刃を走らせた。
その時、その軌道を打ち消すような強い風がバロンの前を駆け抜けた。
低い振動を立てて、それを受け止めた壁が砕ける。

風上で、ルイが身の丈以上もある大剣を構えていた。
子供らしいあどけない容姿に似つかわない、鋭い目をジョーカーに向ける。
「キミの相手は僕の役目だ。」

女王はこうも言っていた。

ルイは、唯一黒のジョーカーに対抗出来る力を持った存在だと。
女王がクラウンの主になろうとした日に、突如どこからか現れた少年。
女王にクラウンを渡した謎の少年。

味方をしてくれると捉えていいのだろうか。

「バロン。」
ダイヤの公爵に促されて、バロンは思いだいたようにクラウンへ手を伸ばした。

黒のジョーカーが再びそれを阻止しようとしてきたが、入れ替わるようにルイが間に入る。

「すまない。」
一瞬の隙にバロンはルイに告げて、黒のジョーカーから距離を取った。

そして、クラウンを手にダイヤの公爵と薔薇の園を駆ける。
もう二度とこの景色を見ることはないかもしれない。

滅びを歩み始めた場所。

自分の選択はそれと同じく、この身を滅ぼす道を辿っているだろう。
だが、それでもいい。
この命一つで変えることが出来るなら、安いものだから。

バロンは、時代と共に咲き誇ったローズガーデンに背を向けた。

刃にも似た強い風が吹き抜ける。

薔薇のアーチから深紅の花びらが、はらりと地に落ちていった。
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