鏡と虚像とその間


□◆ 第5話
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上空は、何日か振りの青空だった。

入口を飾る深紅の薔薇が作るアーチを潜ると、上品な甘い香りが辺り一面に広がった。
そこは、赤を始め、黄色やピンク、オレンジに白と、様々な色の薔薇に囲まれた園。

その様をそのまま称するように『薔薇の主の庭――ローズガーデン』と呼ばれる場所。

雨の上がったばかりの夕闇の中。
女医を名乗るエミリアの許可を経たジェクトとシェリルは、クレストと共に馬車に揺られてローズガーデンを訪れた。

繁栄の地として栄えたこの場所は、その時代を物語る場所として存在し続けている。

今も唯一、四大公爵家の領地ではない独立した場所。

薔薇の女王の所縁の者がひっそりと出入りする寂しい庭。

だが、惨劇を思わせる荒廃した建造物は、ローズガーデンのかつての主が愛した薔薇によって、新たな時間を刻んでいる。
咲き誇る薔薇の多くは半壊した瓦礫をものともせず、その上に優美な花を広げ、当時の惨劇の面影はもうほとんど残されていない程だった。

現在は、エミリアが孤児の少年と一緒に暮らしている穏やかな雰囲気に包まれた庭園。

クレストの後を追って、石畳に沿った先の屋敷に入って直ぐに、先に訪れていたカナリタとバロンとに顔を合わせた。
そして、バロンの説明を受け、ジェクトとシェリルは追跡蜂の偵察が落ち着くまでここに滞在することになった。
なんでも、薔薇に集まる蜂が追跡蜂を追い払ってくれるため、安全ということらしい。

それから、シェリルとカナリタが交遊関係を深める以外、変化も情報公開もないまま、何日かをのんびりと過ごしていた。
おそらく今日も、そんな一日の一つ。

カラリと晴れた庭のベンチで、ジェクトはたゆたう雲を眺めていた。

貧血を未だ引きずっているのか、行動に移す理由が見付かっていないためか、体はいま一つ覇気が出ない。
いつもの、のんびりとした調子といえばそうでもあるが、どこか勿体なかった。

そんな心地の中、何気なく視線を彷徨わせた先で、ヤドカリみたいな形の雲が歩いているのを見付けた。

ここに来る前に見たものと同じ雲。

この空を辿れば、どこかで繋がっているのだろうか。
そんな期待を抱きたくなる。

「……どうやって帰ろう。」
ジェクトはぽつりと言った。

実際、どうやって来たのかもよく解らない。
露天商に貰った鏡が関係している気はするのだが、調べようにも、シェリルの話ではその鏡は現在行方不明らしい。
唯一の当ては真っ先に断たれ、帰り方に検討が全く付かなかった。

「………。」
役に立たない自分の知識に溜め息が出る。

「何、眉間にしわを寄せているんですか?」
嘲るような口調に顔を向けると、黒いシルクハットを被ったバロンが、何か面白いもの見付けたような顔をして歩いてきた。

「……なんでもない。」
不意に彼の表情に何か黒いものを感じて、ジェクトは明後日の方角に向かって言った。

はぐらかしてしまいたかった。

ただ、その反応はあからさま過ぎたのかもしれない。
後悔して、ちらりと視線を向けた先では、バロンが興味の色を濃くしていた。

「……“ファディール”でしたか。」

案の定。
バロンは予想通りに痛い所を掘り返してきた。

「ちなみに言うと、四大公の領地には無い地名ですよ?」
白々しく、涼しげな表情を浮かべる。

「……何が言いたいんだ?」
その遠回しな言い方に半ば苛立ちながら、ジェクトは問いた。

スペードの城に向かう際に仄めかした自分の発言を、今になって後悔していた。

「そうですね。せっかくなので仮定を述べて見ようかと思いまして。」
怪訝な表情を向けるジェクトに、バロンは帽子の下で笑みを作った。

「『世界のどこかに、向こう側の世界に繋がる鏡がある。』と言うお伽話がありましてね。」

ジェクトは黙ったまま耳を傾ける。

「それは、銀の蔦に薔薇のカメオの青い鏡だそうです。」
その言葉にジェクトの表情が固まった。

記憶に新しい描写。
シェリルが露店商で貰ってきた鏡と同じもの……。

「……お伽話を信じてるタイプには見えないけど。」
ジェクトは必死に平然を取り繕った。
鎌を掛けられているのがあからさまなその発言に、嫌な汗が滲んだ。

「判ります?事実がなければ、信用は出来ない性格ですからね。」
バロンは飄々と肩をすくませる。

本当に白々しい。

『事実が無ければ信用出来ない』言い換えれば、事実があるからそんな話を持ち掛けたと言うこと。
バロンは初めから確信していたに違いない。

そして――。

「……“鏡の向こう側の世界”知っていますね?」
言い逃れを許さない鋭い瞳がジェクトを捕えた。
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