鏡と虚像とその間


□◆ 第2話
1ページ/8ページ

視力を失った。

そう錯覚する程の深い闇が、目の前に広がっていた。

慣れてくる気配のない黒の世界で、もがくように辺りを見渡してみるが、一点の光すら見当たらない。

並行感覚が鈍ってくる。

自分が立っているのかさえ、疑いたくなった。

「シェリル?」
シェリルは、どこにいるのだろうか。不意にジェクトは闇に向けて声を上げた。

「……?」
違和感を覚えた。

それ確かめるようにジェクトは自分の喉に触れて、もう一度と声を出す。

喉は声に合わせて振動した。

だが、自分の声は聴こえない。自分にすら反響しない。まるで、闇が音を食っているようだった。

完全無欠の闇。

そこに放り出された赤子のように無防備な自分。
見えない事が、聞こえない事が恐怖心を逆立てていく。

だが、速まっているはずの心臓の音が聞こえない。
乱れているはずの呼吸音もわからない。
自分が自分ではないようにさえ思えてくる。

ただ唯一。

自分に触れる感覚だけは、はっきりと存在していた。それだけが、壊れそうになる理性を救ってくれていた。

出口はあるのだろうか。
終わりはあるのだろうか。

そんな問い掛けをしても誰も答えてはくれない。

夢ならば、早く覚めて欲しい。

そう思っても、手足のリアルな感覚がそれすらを否定する。

どうすれば終わる?
どうすれば抜け出せる?

もう、理性は限界に近かった。

そんな中、自分を守るように腕を掴んでいた指先に、不意に冷たい金属が触れた。

「……。」
見えない腕を見下ろして、記憶の中でそれを形見る。
装飾のない、シンプルな金属製のガントレット。

いつかの、花が咲き始めた季節。

いつも身に着けていた、くたびれた革製のガントレットを見て、シェリルがプレゼントしてくれた物だった。

嬉しそうに微笑む彼女と、初めての女の子からの贈り物に赤面した記憶。


思い出した。


ジェクトは音のない世界で深呼吸する。

探さなきゃいけない。
大切な人。
彼女のことだ、きっと泣いてる。

自分自身を叱責して、恐怖を振り払うように首を振って顔を上げた。

もう、大丈夫。
こんな所に立ち止まってるわけにはいかない。

ジェクトは恐怖心に固まっていた足に命令する。

闇の上に一歩、足を踏み出した。

(…って、何も起きないか。)
僅かに変化を期待していたが見事に裏切られた。
都合のいい考え方に自嘲して、更にもう一歩、進む。

じっとしているよりも、気持ちはいくらか紛れているようだった。

床を踏み締める足の感覚に集中しながら、ジェクトは歩数をカウントする。
(―9、10…。)

やっと二桁。

見えないという恐怖が邪魔をして、普通に歩くより数倍も疲れる。

そして11歩目に体重を移動する。
その瞬間、バランスが崩れた。

そこに、床がなかった。
身体を支えるものが何もない。

ただそこにあるのは、絶え間ない空気の抵抗と、胃の浮遊感。それらから吐き気を覚えて、自分が落下している事を認識した。

叫んでも、叫び声すら聞こえない。そんな空間を落ちる。

もう、嫌だ。
理性が悲鳴を上げた。

途端に、それが引き金となったように恐怖心が弾け、頭の中が真っ白に塗り潰された。

何がなんだか判らなくなり、冷たい汗が頬を伝う。

助けてくれと、心で必死に何度も叫んだ。
音のない世界は、時が止まっているように長く、長く続いているようだった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ