婆沙羅

□白き面影
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今朝から降り始めた雪は、太陽が中天を過ぎたであろう今でも降り続いている。
寒さ厳しく、誰もが部屋に篭って火鉢を囲む。そんな中、徳川家康はただ一人、縁側に座して庭を眺めていた。

止む気配がない黒い空から落ちてくる白い雪。その二つを目にしてふと家康の頭に何かが過ぎった。
遠い記憶のようで強烈な印象を持つ忘れられない何か。
はっきりとした形に成りかけた時、腕に寄り添う人が邪魔をした。


「家康様、此処はお寒うございます。よければわたくしの部屋へお越しくださいませ」


艶やかな長い黒髪、少し吊り目がちの瞳、紅く色付いた唇、小柄な肢体。どこか毒々しさを感じるこの女性は側室の一人、瀬名という。
家康のご寵愛を一身に受けようと裏で他の側室に嫌がらせをしているなどと専らの噂だ。

普段の家康は大して気にせず、他の側室と同様に扱っている。だから今回も好意をありがたく受け取り、部屋に来てくれるものだと瀬名は思った。
しかしこの時家康はやんわりとながら瀬名の身体を振り払った。


「心配してくれてありがとう。だがワシの事は気にしないでくれ」

「でも・・・っ」


言い募ろうとした瀬名だったが、家康の目に浮かぶ別の影に気付いてしまった。
それはきっと別の側室。
今側に居るのは自分なのにという悔しさと嫉妬の炎で何も口に出すことが出来ない。


「体を冷やすのはよくない。さぁ、早く部屋に入りなさい」


いつも通りの声音だが有無を言わせない威圧がある。抗うことは出来ない。
瀬名は無言のまま頭を下げ、静々と部屋へ戻っていった。





家康は障子が閉じられるのを確認してからふぅ、と息をつく。
瀬名の事が嫌いな訳ではない。ただ、あの嫉妬深さと他に対する傲慢さが少し苦手だ。

そういえば、似て非なる女性がもう一人いた。吊り目がちの髪の長い女。ただ、白く清廉な雰囲気を持っている。
その人は今どうしているのだろう。思考が纏まらない内に自然と足はある所へ向かっていた。





城内の、どちらかというと外れに位置する部屋から琴の音が聞こえる。家康は逸る気持ちを抑えてゆっくりと歩を進めた。
音を立てぬように障子を開けると、奥に端座する女性が琴を爪弾いている。少し俯き、肩からこぼれる白髪を気にすることなく弾き続ける彼女は、最後の旋律を弾き終えると、姿勢よく座り直した。そしてこちらを見ることなく話しかける。


「随分とお久しゅうございます、家康様」

「い、家康様っ」


側に控えていた侍女は慌てて身を伏せた。どうやら気付いていなかったようだ。
色の無い声がそっと響く。


「琴を片付けて、下がってくれませんか?」

「え、あっはい」


指示通りにそそくさと去っていく侍女を横目に家康は女性の側に腰を下ろす。別の侍女が茶を出し終え、やがて隣室からも人の気配が完全に消えた頃、ようやく彼女は家康を真正面に見据えた。


「久しいね、家康。もう忘れられたもんだと思っていたよ」

「忘れられるわけが無いだろう、月城」


途端に口調が崩れ、能面のような顔が綺麗に笑みを作る。
此処に住まうはあの石田三成の実の姉、月城。関ヶ原の戦い以降、処刑される所を、娶られるという形で家康に助けられている。本人の意思に関わらず、ではあったが。

出された茶に口をつけながら、家康は月城の輿入れを思い出した。
数年前の、今日みたいな雪の日の事。白無垢を着た月城は、肌と髪の色とが相まってそれこそ雪のように真っ白で。きっと三成が見たら頬を染めて褒め称えていただろう。その様が容易に浮かぶ。

思い出に浸る家康の脇で、月城はというと家康をつぶさに観察していた。
懐かしんではいるが苦味と辛さが混ざり合っている。きっと、自分の愚弟でも思い出しているのだろう。
家康が入ってきた障子の向こうを見透かす。


「今日は近年稀に見る大雪だね。外は一面真っ白だ」

「・・・そうだな」


障子の向こうは銀世界。一切の穢れない、純真無垢な白。
先程まで眺めていた景色が、家康の脳内で再生される。それと共に、今度ははっきりと浮かぶ石田三成の姿。


「私に何か用かな?まさか夜伽に来た訳じゃないだろう」

「なっ・・・・・・お前たち姉弟はよく平然とそんな事言えるよなぁ」


困ったように、頭を掻きながら家康は苦笑した。この姉妹が下世話な話でもあまり表情が変わらないのはとても有名だ。形式ばかりの初夜の時でさえこんな調子だった。
月城は尚も表情を変えず話し続ける。


「なら、この雪で三成でも思い出したか?」

「!!!」

「図星か」


月城は視線を家康に戻した。家康は、目を瞠り顔を強張らせている。動揺がありありと分かる様子に月城は思わず嗤った。
東の将を纏め上げ、全てを笑顔の裏に隠し通したあの家康が、“三成”の名前だけでこんなにも動揺する。
あまりに弱い。


「我が弟は雪みたいだったな。驚くほどの力を持っているかと思えば、儚くて脆い。白さといい、純粋さといい、三成を連想させる」

「月城・・・・・・・・・ワシを、怨むか」

「いや。三成はただ戦で負けた。私を殺さなかった事は残念だが、弟を殺される事なんて覚悟の上だ。怨んだりしないよ」

「ワシは、ワシはっ!」


がちゃり、家康の拳から鈍い音がした。持っていた湯飲みを握りつぶしたようだ。
茶と血が滴るのを月城はただ静かに見つめる。その視線の先、家康は首を左右に振った。


「三成を殺したくは無かった!絆を断ち切りたくなど無かった!!でも、こうするしか方法がっ」

「なら生きて罪を償え。私は断罪なんてしてやらない。この国を治めて絆を貫き通せ」


見返してくる家康の瞳を、竹千代のようだと月城は思った。
幼き頃の、何にでも縋り頼る目。それは昔、三成が自分に向けていたものとそっくりだ。

あまりの懐かしさに、苛めてやろうという邪念が消える。
手を伸ばして大した力が入っていない家康の拳をゆっくりと開いた。破片を一つ一つ慎重に取り除いていく。


「私はどこにも行かない。そもそも行けないけどね。
辛いなら何時でもおいで。三成の話が出来るのは私ぐらいだろう」

「・・・・・・ありがとう」

「とりあえず流水で傷を洗い流しなさい。細かい破片があるかもしれないから」


いつも通りに戻る家康を見て月城は手を放し、手拭いを軽く巻きつける。
軽く止血された手をしばし眺めてから、家康は部屋を出て井戸場へと向かった。










部屋から香りすら消え失せる程の時間、月城は微動だにせず黙り込む。


「君は怒るかな?三成」


ぼそりと呟いた月城の表情は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。


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