婆沙羅
□狂い咲き
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ホゥホゥと啼く梟と草の陰に潜む虫達が奏でる音を聴きながら、月明かりのみの道を歩く。
はっきりとした目的はない。ただある予感がして、屋敷の近くの森に入ったのがほんの少し前。
いくら体を鍛えている自分でも寒さは感じる。朝夕冷え込むようになったのを失念してて、すっかり薄着できてしまった。もう一枚羽織ってくるんだったと腕を擦って誤魔化す。
この夏は嵐が多発し、木々も多くの葉を落とした。強い風雨に耐えた葉は鮮やかに色付き夜空を彩っている。
それらを眺めていると開けた場所に出た。周囲を銀杏や楓らが囲む中、薄紅色の花弁を付けた一本の木。
「夏の嵐なんかで葉っぱが落ちて、その後暖かい日が続くとね、冬を越したって勘違いして花を咲かすの」
上から響く声に顔を向ければ、枝に座り幹に凭れ掛かった人と目が合った。
「久しいね弥三郎」
「その名前で呼ぶなよ、月城」
幼名で呼ばれ、子ども扱いされた気がして憮然と返す。しかし月城は意に介せずフフッと笑った。
そういや昔からこうやって遊ばれてたな、俺。
尚も足を進めるとよりはっきりと表情が見て取れる。
男とも女ともつかない中性的な顔、弧を描く目と唇、スッと通った鼻梁。前と変わらない、どこか浮世離れした彼女。
一頻り笑うと結構な高さがあるそこから音も無く飛び降りた。まるで花びらのようにふわりと。
「私から見ればまだまだ子供だよ。図体ばかりでかくなっちゃって」
「随分と酷ぇ言い草だな」
「姫若子呼ばれてたのに今じゃ西海の鬼ねぇ。大層な名前だこと」
ちらりと目を向けられながら立て続けに毒を吐かれ返す言葉もない。
十年近く会ってなかったのに何故そこまで知っているのか不思議だ。確か此処から離れられない筈なのに。
十年――
もうそれだけの時間が過ぎたのか。
気付けば見上げるほど大きかった月城が今では自分より小さいし、あれだけ頼りになった背中も華奢に見える。
守られる立場に居た俺はいつしか子分達を守る、国を治める立場に居る。
それ程にも変わってしまう時間が、過ぎていた。その事に愕然とする。
「私にとっては些細な時間だよ。限られた時しか出てこれないから、余計にね」
「月城・・・」
「君の事は、トリチカ君に聞いたよ。他にも、色んな子達が話してくれた」
好かれているじゃないかと、苦笑に慈愛を滲ませる月城。
初めて会った時から変わらない。その瞳も笑顔も、この場所も。
銀の髪や目の事、姫若子と呼ばれていた俺を否定しないで受け入れてくれた人。
心から突き上げるような衝動に身を任せ月城を腕の中に閉じ込めた。
予想通りすっぽりと収まってしまう程小さい。
髪から、花の香のような甘さが鼻腔をくすぐった。
「・・・元親、今まで良く頑張ったね」
「っ!」
腕の中から伸ばされた手がそっと頭を撫でた。とても懐かしい感覚。
思わず零れそうになる涙と嗚咽を必死に唇を噛んで抑える。
「ほら、またそうやって唇噛む。駄目だって言ったでしょ」
小さい頃からの癖を、前と同じ声音で注意される。唇を親指でそっとなぞるのも同じまま。
堪えきれなかった涙が頬に筋を刻んだ。
「泣いていいから。ここには私と元親しか居ない」
「・・・月城っ」
優しく抱き返す月城の肩に顔を押し付け、束の間だけ子供に戻ったのだった。
嗚咽も涙も治まった頃。
「落ち着いた?」
「・・・あぁ」
少々恥ずかしくなってぶっきらぼうになった。そしてそれがあまりにも子供っぽくて更に熱くなる。
月城には全部筒抜けで、笑われているのはこの際気にしない事にしよう。
月はいつしか中天を過ぎ、西へと傾いていた。そろそろ帰らないといけない。
名残惜しいが月城から離れる。
「じゃ、元親」
「・・・また、会えるよな」
月城はとびきりの笑顔で頷いた。
「桜の花が咲くときに、ね」
一陣の風が花や葉を舞い上げる。あまりの勢いに目を瞑った。
次に見た時には、ただ月明かりが差すだけだった。
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