他シリーズ短編

□願いの血潮
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槍が振るうのが好きだ。

意識を貫き真空を裂く、屈折を知らぬ一閃のいかづち。握りしめるといつも、そこを中心に身体じゅうの血潮が沸騰する。

飯を食うより言葉を発するより、手にするだけで目もくらむような生きる実感を与えてくれる。もはや、槍の存在は己れの命そのものだった。だから、ものごころ着く頃には当たり前のようにこう願っていた。


槍一本で、大陸一の戦士になってみせる


俺は、世界中の誰にも負けない槍の使い手になる


……はずなのに。

「その構えはよくありませんね、エフラム様」

きっぱりと断じる声に、前方に槍を突きの形で押し出していたエフラムがむっとして振り返ると、長身の見目良い騎士が立っていた。

ルネス王国の誇る「真銀の聖騎士」。エフラムの双子の妹エイリーク王女の護衛役にして、騎士団の歴史上類を見ない早さで異例の昇進を遂げた誉れ高き若き将軍、パラディンのゼトだ。その異名にふさわしく、新雪のようなまばゆい白銀の鎧を身にまとっている。

聡明な目と目が合うと、エフラムの顔に自然と渋い表情が浮かんだ。兄のように慕うゼトの教えはいつも傾聴に値するが、彼の助言を素直に認めることはまた、いつまでたっても縮まらない彼との差を認めることでもあった。

「どこがだ。俺は先だっての御前試合でも、同じように槍を振るった。誰も構えが悪いなどとは言わなかった」

「それゆえ決勝戦では、オルソン第二騎士団長に惜しくも破れてしまったではありませんか。あれは貴方様の無謀に繰り出した突きが生んだ結果」

忘れたい記憶を掘り返されて、エフラムの眉間にますます皺が寄った。父王ファードの眼前でぶざまに地に膝をついた恥辱の傷はまだ生乾きで、思い出すたび身もだえするほどの痛みが走った。

「突きは、こう深く構える方が次手の切り返しに早く入れる」

ゼトはエフラムの手から青銅製の槍を取ると、両膝を軽く開いて腰を落とした。

「エフラム様は腕力にご自信があるゆえか、常に構えが若干浅いのです。その体勢で連打なさると切っ先がぶれ、敏捷さに自信のある敵は容易に避けることが出来てしまいましょう。

柄をもう少し深く持てば、相手の身に居ついた刃も引き抜きやすくなる。一撃の強度も今以上に増します」

「お前、今さら俺に構え云々のけちをつけるつもりか。俺が一体何年槍の修練を積んで来たと思っている」

「単身で長く鍛えるほど、得てして我流に偏り易くなりがちなもの」

「我流だと言うのか。俺の槍術を」

「違いますか」

かっとなりかけたエフラムに、ゼトは涼しい顔で続けた。

「他者に教えを乞わず己れのみ正しいと信じて築き上げた技量を、世間では我流と呼びます。エフラム様は、とかく師範をつけて指導を受けるのをお厭いになる。

これまで何百人の師範代が、哀れ貴方様の我儘で放免にされたか、よければひとりひとり名前を挙げることも出来ますよ」

「それは」

エフラムは気まずそうに顔をそむけた。

「何百人は……、大袈裟だろう」

「頑固な貴方様に三月以上長く槍術を指南出来た人間は、この城中を見渡してもわたしとファード国王陛下、ただふたりのみ。正規の師範を持たない戦士など、戒律厳しいルネス騎士団内ではひとりたりとも存在しません。

もう一度見習いのフランツ同様、厩(うまや)掃除と木槍の素振りから修練をおやり直しなさいますか」

「厩掃除?俺は王子だぞ」

「王子が厩を掃除してはならぬという法はありません。むしろ、陛下はお喜びになられるでしょう。下々の労苦を身をもって学ぶ良き行いだと。無論、その際はわたしも同行致す所存です」

「わかった、わかったよ。俺の負けだ」

エフラムはついに匙を投げた。槍術だけじゃない、「真銀の騎士」には脳味噌の回転数でもまだ叶わない。

ふてくされて地面にどっかと胡坐を組むと、ゼトは首を傾け、目元だけでほほえんだ。銀色の鎧によく映える、騎士団一と謳われる端正な容貌さえ今は腹が立つ。

「オルソンに負けたこともそうだが……、このところ焦っていたんだ。俺」

エフラムは力無く呟いた。

「こないだの、ボルゴ峠の山賊討伐を覚えているか」

「はい」

「前日まであれほど厳しい修練を重ねたのに、俺は父上の御命令で後発の歩兵部隊しか率いさせてもらえなかった。

叙勲を受けたばかりのカイルとフォルデでさえ、オルソンと同じ第二騎士団で出撃したというのに」

「しかし、エフラム様も幾人もの賊ばらを捕えられ、それなりの武功を上げられたではありませんか」

「それなりの、な」

エフラムは自嘲気味に吐き捨てた。

「俺が気に入らないのはそこだ。いつもそれなり。それなりに強く、それなりに鍛えた、それなりの力を持った王子。御前試合でもそれなりのところまでは勝ち進む、だが決勝ではあのざまだ。

戦利品を山ほど積んだ台車を引きながら、意気揚々と凱歌をあげる騎士団隊を尻目に、エフラム、お前もそれなりによくやったと言われて誰が喜べるものか。

毎回必ず先陣を切って華々しく活躍する「真銀の騎士」には、こんなつまらないことで悩む俺の気持ちなどわかりもしないだろうがな」

「わたしが将軍として騎士団全軍を預かり、そのような身に余る通り名を戴くようになったのは、じつにこの十年の間においてのこと。

今のエフラム様よりいくつか若い頃は、わたしも一介の太刀持ちでした。それ以前は叙勲を受けておきながら馬に乗ることすら許されない、補給用歩兵部隊のひとりでしたよ。わたしは「それなり」でもなかったのです」

エフラムは驚いて眉を上げた。

「ゼト、お前が補給用歩兵?

そう……、だったのか。知らなかった」

「両親の身分が低いゆえ、騎士に志願しても立身出世は到底望むべくもありませんでした。

今のわたしがあるのは、出自は問わず実力のみ買おうと卑しいわたしを取りたてて下さった、ファード国王陛下の寛大なる御志あってこそ」

「父上の……」

ゼトの瞳が和んだ。

「わたしは陛下と、陛下の愛するルネス王国にこの身を賭して御恩返しするためお仕えしています。それゆえ、鷹の如き公平な目をもって申し上げます。エフラム様、貴方様をそれなりの力を持った王子、などと考えたことはありません。

貴方は「勇王」ファードの偉大なる血脈を継ぐお方。ご年齢を重ねれば、必ずや世界に比肩する者なき槍の使い手となりましょう。

ただ、貴方様はまだお若い。今は我流を極めるのではなく、古来より伝統する正当な槍術の基礎を身の髄に叩き込むのが先決かと。

そこで、今一度申し上げます。エフラム王子殿下、本日只今より我がルネス騎士団第一部隊へ御配属の儀、ご了承あそばされますよう」

エフラムは驚いてゼトを見やった。

「騎士団の第一部隊に配属だと。俺が?オルソンを差し置いて?」

「オルソン殿には、既に第二部隊を預けています。これまで厳しく、しかしながら王子として自由気ままな鍛練を続けて来られたエフラム様に今必要なのは、型通りの「規範」に嵌めこまれ、己れの勝手にならぬ環境で揉まれること。

貴方はルネス王国の次期支配者。狭き扉しか開かぬ宮殿で己れの意志を貫徹せねばならぬ学び、存分にお納め下さいませ」

「つまりゼト、俺は今日からお前を槍の師範として仰がなければならないということか」

「師範か否か、それは貴方様御自身のご判断でいかようにも」

「言っておくが、俺の観察眼のほうは「それなり」じゃない。もしもそうと決まれば、たった今から俺はお前の一挙手一動足全てを余さず盗むつもりでかかる。

いかに「真銀の騎士」といえども、気を抜けば青二才の我儘王子にたやすく足元をすくわれるぞ」

「貴方様は青二才ではありません。どうぞ御随意に」

「それに俺は、この王国で唯一お前の弱点を知っている人間だ」

ゼトが目を見開いた。

「わたしの弱点?」

「そうさ」

エフラムはふっと企み深い笑みを浮かべ、くるりと体の向きを変えると傍らの尖塔を振り仰いで唐突に片手を上げた。

「ここだ、エイリーク」

「お兄様、ゼト!」

声を合図に、半円形の窓から小柄な人影がひょいと身を乗り出させる。

馥郁たる芳香を漂わせる長い髪が、心地良さげに風にそよいだ。エフラムによく似た凛とした容貌を持ちながら、身体全体に匂い立つような可憐さをちりばめた少女が、塔のてっぺんからふたりに向けて嬉しげに手を振っていた。

とたんにゼトの引き締まった顔に、よく見ていなければわからぬほどわずかな動揺の色が走る。エフラムがうつむいて笑いを堪えるのを、ゼトは苦々しげに睨んだ。

「……エフラム様」

「言ったろう、観察眼のほうは「それなり」じゃないと」

「臣であれども、年長者をからかうとは感心出来ませんね」

「からかってはいないさ」

エフラムはゼトに向かって片目をつぶった。

「ただ、「真銀の騎士」もひとりの男だということを知っている奴も、世の中にはいるというだけだ」

「ずいぶん楽しそうですね。なにをお話しているのですか?わたしも混ぜて下さい」

螺旋階段を軽やかに駆け降りて来た妹エイリークが、エフラムとゼトに順番に笑いかけた。

「ゼト、今日は非番なのですね。でしたらお兄様だけでなく、ぜひわたしにも稽古をつけて下さいませんか。

ここのところレイピアの腕がぐっと上がったと、騎士たちにも随分褒めてもらえるようになったのですよ」

「しかし」

ゼトは珍しく言葉を詰まらせた。

「エイリーク様、貴女は……女性の御身」

「あら、女だって戦えます。ゼト、あなたは宮廷の年老いた大臣たちのように、古いしきたりにとらわれてばかりの頭の固い連中とは違うと思っていましたが、そうではないのですか?」

「いえ、それは……」

「さあ、どうかわたしに稽古を」

効かん気なエイリークの勢いに完全に押されてしまった「真銀の騎士」の背後に回ると、エフラムはその手からそっと愛用の槍を奪い返した。

頭頂に竜の尾のような屹立した刃がそびえる愛すべき武器の柄を、きつく握りしめる。手のひらと金属が摩擦する、きりきりという音。いつもと変わらないその心棒の太さとしなやかな手ごたえは、さきほど感じたあの血潮の疼きを再び与えてくれる。

悔しいが、この小さな竜をまだまだ俺は完璧には乗りこなせていない。だが、今はそれなりでしかなくとも、こいつと共に生きることこそ俺の運命。

細く強靭な相棒。振るいたくて、突き出したくて、叫びだしたくなるほどだ。今すぐ戦いたい。手放したくない。強くなりたい。変わらぬ願い。

たとえどんなにつまづいても、歯がゆいほど遠回りしても。


槍一本で、大陸一の戦士になって見せる


俺は、世界中の誰にも負けない槍の使い手になる


虚空に向かって腰を落とし、力強く槍を振り上げた。先程までよりやや深めに構えたエフラムの姿勢に、戸惑って宙を泳いでいた真銀の騎士のまなざしが一瞬だけ定まり、ふと微笑した。




−FIN−



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