他シリーズ短編

□過ちを犯さない帝王
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「聖なる織り機と、雨露の糸ねぇ」

かつて竜王を倒したロトの血を引く勇者は、アレフガルドを救った後ローラ姫を連れて旅立ち、未開の新たなる大陸に己れが統べるべき王国を拓いた。

ラダトームの至宝とも謳われた、輝くように美しい妻の名を取って名付けられたローレシア。隣国のサマルトリア。河ひとつ向こうのムーンブルク。

どれも勇者の子孫を王と戴く建国数百年の新進国家であり、俗にロト三国と呼ばれている。誉れ高き勇者の血を継ぐ高貴な国々だが、実際はとっくに死んだ英雄の威信を笠に着る尊大な三すくみだ、という揶揄が込められていることに、当の勇者の子孫たちもとっくに気づいていた。

ロト三国は、始祖が救世主であるという開闢(かいびゃく)の歴史の数奇さゆえに、良くも悪くも世界から孤立していた。そのなによりの証拠が、大神官ハーゴン率いる魔族軍によるムーンブルク急襲の折、他国より全く援軍が出されなかったことだ。

ロト三国内で起こった面倒事は三国で収集をつけろと言わんばかりに、貿易交渉や条約締結時にのみ、お追従を並べ立てる外交官の群れをせっせと送り込んでくる諸外国は、かの国の未曾有の国難にあって、一切の援助を申し出ようとはしなかった。

ローラ姫の故郷であるラダトームですらだ。その手のひらを返した態度の冷たさたるや、いっそ小気味よいほどだった。

確かに、国境は目に見えない。国と国という区別も茶番といえば茶番だろう。海や大地に勝手な名前をつけ、ここまでが我が国の領土、ここから先は他国ゆえ知らぬ存ぜぬと、独りよがりな線引きをしているのは人間だ。

自国と呼ばない大地の上で行われている悲劇には、なんの興味も持てない。ほんの一歩分離れた隣国で起こる悲惨ないくさを、見えない境界線の向こう側から他人事の目で見つめることが出来る、ずる賢くも非情な生き物。

(いずこの国も、お偉方の考えることは同じだな)

ローレシアの世継ぎの王子アレンは、昨夜遅く斥候がひそかに運んで来た密書の中身を思い出し、気づかれぬよう小さく吐息をついた。

“いとやんごとなき曰(いわ)く、旅の進展遅きこと歯がゆき。ムーンブルク領にて貴族残党による新王府発足の動きあり。

ハーゴンの討伐、急がれたし”

大神官ハーゴンを打倒し、この機に乗じてムーンブルクの覇権をも一手に握りたい父王の野望は、今やあまりにあからさまだった。

こんな遠方まで斥候を放っては、危険な旅のさなかにあるひとり息子を急かす節操のなさにかすかな嫌悪が湧いたが、自身が玉座を離れて剣を振るえぬ立場である以上、それが帝王たる者の職務なのだろう。

共感は出来ない。出来ないが、理解は出来た。幼い頃から父親の背中に、未来の自分を透かし見て生きて来た。

だが、どうしてだろう。ここに来てなぜか信念が揺らぐのを感じている。旅を始めるまで、父のやり方こそ正しいのだと信じていた。いずれ自分がその跡目を継ぎ、彼と同様に賢く酷薄で、非情な決断を眉ひとすじ動かさず下すことの出来る絶対的為政者となるのだと。

なのに今は、父親のことを考えるたび、こめかみの奥で微弱な電流のようななにかがちりちりと疼く。心のどこかで、俺はあのような支配者にはなりたくないと思っている。

少なくとも、同じ血を引く仲間の故郷が苦難に見舞われている時、それをうまうまと利用し、満身創痍の国家ごと我がものにしてしまおうと企むような帝王には。

「ねえアレン、セリア、聞いてる?

だからさ、これまで集めた情報をどんなにひっくり返して、裏の裏のそのまた裏まで検分しても、聖なる織り機と雨露の糸、そのふたつが同じ場所に存在するなんてことはあり得ないんだ。

つまりは俺たち、これから世界中をあてどもなくうろうろして、どこにあるのかもわからないそのふたつをそれぞれ探し出さなきゃならないってわけ。

大体、その両方が揃わなければ水の羽衣一枚作ることが出来ないなんて、あのドン・モハメって爺さんの腕も怪しいもんだよね。

本当の達人はいちいち素材や道具を指定したりしないと思うんだ。俺は」

まるで水気をたっぷりたたえた稲穂のように、健やかに上向きに立ちあがった小麦色の髪をした若者が、不服げに肩をすくめた。

「古代東方の、なんて言ったかなー。もう滅びたとある国にこういうことわざがあったらしいよ。

「名手コウボウ筆を選ばず」。あの爺さん、絶対にコウボウじゃないね」

「コウボウって誰?そんなことわざ知らないわ。お願いだから、これ以上言ってもしょうがない不平を並べるのは止めて、コナン」

すみれ色の瞳をした少女が、コナンと呼んだ若者の傍らで疲れたように首を振った。

人目につくのを避けるためか、柔らかな絹地の頭巾型ベールが少女の形の良い頭をすっぽりと覆い隠している。ベールの額部分には、ロトの紋章と呼ばれる翼を広げたハチドリのような独特の形状の紋が刺繍されていた。

ロト三国の直系王族だけが身につけることを許された、偉大なる勇者の血族のあかしだ。後頭部のベールの切れ目からは、瞳と同じ色をした髪が豊かに渦巻いていた。祖先ローラ姫の美貌もさにあらんと頷ける、はっとするほど美しい少女だ。

「これまでわたしたち三人、ばらばらになった五つの紋章を探し、ロトの勇者が残した伝説の武器防具を探し、ハーゴンの拠点たる魔城の在りかを探し……。

大した手がかりもなくなにかを探すことには、もうとっくに慣れたはずよ」

「わかってるよ。探すのが嫌だなんて言ってない。ただ、あの勿体ぶった機織り爺さんは、実際たいした腕の持ち主じゃないってことをひとこと言っておきたかっただけだ。

そうだろ、アレン」

「……ああ」

アレンはコナンに視線をやり、ぼんやりと頷いた。

誇り高きローレシアの王子が、自他共に認めるお調子者のサマルトリアの王子の意見に素直に賛同することはめったにない。コナンは嬉しげに笑み崩れると、「では個人的意見を述べさせてもらってすっきりしたところで、明日からは俺も真面目にそのふたつを探すとするよ。

まるで土の中の香り高い黒茸を懸命に鼻づらで探す、仕事熱心な犬みたいにね」とおどけて前方に鼻を突き出してみせた。

「コナンったら、もう……」

セリアが仕方なさそうにほほえむ。そのままコナンはくるりと軽快なステップを踏み、一昔前に街中で流行った「茸」という題名の童謡を歌った。

わざと調子を外した陽気な歌声に、ついにセリアは肩を揺らして笑いはじめた。

この少女の笑顔を目にするのは幾日ぶりだろう。アレンはその様子を黙って眺めた。同い年のサマルトリアの王子の敬服に値するところは、いかに緊迫した状況であっても、必ずそこにいくばくかのユーモアのエッセンスを取り入れようと努めることだ。

旅の初めはそのふわふわした明朗さが苛ついて仕方がなかったが、ある時それが、彼流の相手にそうと悟らせない気遣いなのだと気づき、それ以来アレンのコナンを見る目は変わった。こいつ、軽薄そうな振りをして意外とやる奴なのかもしれない、と思ったのだ。

コナンの長所は、情緒にぶれが全くないことだ。常に明るい。使命に追われ、ともすればぴりぴりしがちな男女三人旅の空気がこうして和やかに保たれているのは、陽気で前向きな彼がいるからこそだ。市井の暮らしを知らぬ王子王女の旅が円滑に進んでいるのも、下町徘徊が趣味で旅慣れている彼の力によるものが大きい。

今も、仇敵ハーゴンとの決戦が近付くにつれ笑顔を失っていた亡国ムーンブルクの王女に、彼なりのやり方でひとときでも楽しい時間を授けようとしている。もちろんそう指摘したって、コナンは「何それ?ちょっとアレンさん、俺のことを買いかぶり過ぎじゃないの」とふざけて肩をすくめるだけだろうが。
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