他シリーズ短編

□運命を繋ぎし者
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眠りに着こうとすると、声が聞こえる。

鼓膜にではない、脳細胞の核に直接響き渡る声。異界からの音響のざわめき。誰だ。誰なんだ?

(目覚めよ)

詠唱のような低い声。呼び覚まされる。揺さぶられる。思わず首を振って苦しげに嗚咽した。

誰だ?

俺を呼ぶのは。

(お前は繋ぐ役目を負う者)

(己れの名前の真の意味を今こそ知れ)

(お前こそ、この世界にばらばらに砕け散ってしまった黄金律を、元通りの螺旋へと還す者)

(勇気のトライフォースの加護を受けし者よ。この偉大なるハイラルの大地に、神の定めし秩序を再びお前の手で)

トライフォース?

なんのことだ、それは。

頭の中で声が爆発する。

目覚めよ、目覚めよ、目覚めよ。

瞼を目もくらむような光が閃いた。

「う、う、う……」

苦しい。体が内側から弾けてしまいそうだ。このまま目を覚まさなければ、自分は運命という名の蠍に心臓を食い破られてしまうだろう。

起きなければ。痛みの間隙(かんげき)を縫って、神託が無機質に響き渡る。



さあ、目覚めよ。時間はもう残されていない。

聞いているんだろう?孤高の狼のように鋭く尖ったその耳で。


ハイラルの黄金律を繋ぎし者、お前は勇者リンク!






「ひいっ、助けて!」

絹を裂くような甲高い悲鳴にはっと目を覚ますと、灰色のマントに身を包んだ老婆が地面に四つん這いになって必死に叫んでいた。

「誰か!助けて下され!」

シュロの木の幹にもたれて仮眠を取っていた少年は、考えるより先に背中に背負っていた弓を手にして立ち上がった。

老婆の背後で、ふしゅうと不気味な鼻息を洩らす魔物が牙をむいている。岩のような体の形成は二足歩行の人型、頭と背中はごわついた毛に覆われ、青黒い体皮は魚類の鱗のように細かく割れていた。

森林部に出没する魔物、モリブリンだ。だがこんなにも巨大化した種は見たことがない。少年は老婆の前に鷹のように踊り込むと、「お婆さん、伏せて下さい!」と叫び、懐から球形の青い手榴弾を取り出した。

信管に繋がる紐を歯で噛みしめて思いきり引き抜き、魔物の弱点である柔らかい腹へ投げつける。爆裂音が鳴り渡った瞬間、きりきりと弓を引き絞り、失神しているモリブリンの喉笛に深々と矢を突き立てた。

魔物が断末魔の悲鳴をあげ、砂塵を舞いあがらせて地面にどうとくずおれる。瞬時に少年は張り詰めた弓の弦を地面に押しつけ、その反動で空中をひらりと旋回して着地した。

流れるような一連の動きは流麗な舞踊にも似ており、老婆はへたり込んだまま、呆然と口を開けて見つめていた。

少年は弓を背負いなおし、ゆっくりと老婆を振り返った。すらりと様子のよい少年だ。さほど長身ではない。鮮やかな若葉色の上下服をまとい、ホビット族が愛用するような布製の同色の三角帽子を被っている。裾からはみ出している髪は、見事な黄金色だった。

安心させるようにほほえみかける面は聡明そうで、きつい瞳は古代精霊エルフ族の血統を感じさせたが、まなじりはまだ若さに覆われていた。

「怪我はありませんか。もう大丈夫です」

「あ、あ、あんたは……、一体……」

「俺はリンクと言います。このハイラルを旅している者」

「リンク」

その名を聞いたとたん、老婆は雷に打たれたように身を震わせた。

「リンク。ああ、リンク!何故じゃ。その名を耳にしただけで、魂をわし掴まれたような深い慟哭がこの身を貫く。

偉大なる女神ハイリアが、天界より儂に告げている。この者こそ邪悪を打ち倒し、智慧と力のトライフォースをあるべき形へ還す者だと!」

「トライフォース?」

(目覚めよ)

リンクと名乗った金髪の少年は、宵の星のように炯々と光るまなざしで老婆を見つめた。

「その話を、詳しく聞かせてもらえませんか。どんな神の悪戯かわかりませんが、俺はたった今、その名前を夢うつつに聞いたばかりです」

「儂はハイラル王国の王女当代ゼルダ姫の乳母、インパ」

老婆インパはぶるぶると震える指先をリンクへ向けた。

「我が愛する祖国は大魔王ガノン率いる軍勢の奇襲に遭い、今や滅びの危機に瀕している。唯一の王女ゼルダ姫も、哀れガノンの手勢に捕えられてしまった。

王女を救い、ハイラルを救うためには、ゼルダ姫がこの地のいずこかに隠した八つの智慧のトライフォースを探しだし、元通りの形へと繋ぎ合せねばならぬ」

「それが、俺の役目だと?」

「時間がない。時間がないのじゃ、リンク」

インパは皺深い瞳に涙を浮かべた。

「力のトライフォースを持つガノンは、智慧のトライフォースを司るゼルダ姫を世界征服に最も邪魔な存在だとみなす。

恐らくそう遠くない未来、手中に収めた姫をむごいやり方で殺そうとするだろう」

「俺は予知夢を信じません」

リンクは言った。

「これまでも、この目で見た経験だけが事実だと信じて生きて来ました。その思いはこれからも変わりません。

ですが、俺はハイラルで生まれ育った者。この地を救う役に立てると言うのなら、俺はそのために喜んで働きます」

「ひとりでは危険じゃ。これを授けよう」

インパはぼろぼろになったマントの下から、ひと振りの小型の剣を差し出した。

「ただの青銅製ゆえ手ごわい魔物に効きはすまいが、丸腰よりはましじゃ。いずれもっと力を持つ剣がそなたのもとへと呼び寄せられようぞ」

「ありがとう」

リンクは几帳面な仕草で剣を腰に差し、インパの手をそっと離して立ち上がった。

「行きます」

「勇者リンクよ。ゆめ忘れるな。そなたのさだめは常に孤独と共にある」

インパは神を敬う敬虔な信者のように、リンクを仰ぎ見て両手をひたと組み合わせた。

「生涯心せよ。そなたは決して仲間を得ない。ひとりきりで戦うのじゃ。熱砂吹き上げる砂漠も、亡霊渦巻く迷宮も、魔王待つ死の山すらも、そなたはたったひとりで戦い抜かねばならぬ。

この世に生を受けし者にとって、孤独ほどの苦しみはない。迷いに沈むそなたを叱咤する者はそなたしかおらぬ。待つのは痛みすら凌駕する無限の苦悩じゃ。それでも、行くのか」

リンクと呼ばれた少年は、にこ、とほほえんだ。迷いのない笑みだった。

「俺はこれまでずっと、ひとりで戦って来ました。これからもそうするだけです」

老婆インパは両手で顔を覆った。嗚咽を洩らして泣いた。目の前の少年の身体に刻み込まれた運命の螺旋の向かう先が、既に見えているかのように。それを心から憐れんでいるかのように。

黄金律を繋ぎし者はついに目覚めたのだ。

少年リンクは森を出て歩きだした。清冽な風が頬に額に、絶え間なく吹きつけた。懐に手を入れると、手榴弾が尽きていることに気付いた。路銀のルピーも多くはない。旅は前途洋々と言うわけにはいかなそうだ。

でも、大丈夫だ。孤独をはらむ自由は決して嫌いではなかった。それに人は、生まれた時からどうしようもなくひとりだ。死ぬ時もひとり。それでも、繋ぎ合せることが出来る。ばらばらに欠けてしまったものを再びひとつにする役目。

戦おう。俺の、この名にかけて。それがハイラルの勇者―――――“LINK”。




−FIN−



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