Long Story2
□其の六
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翌日は紬が勉強部屋に来なかった為、剣は修行を休まざるを得なかった。
前日、鬼道も覚えたいと言う剣に対し紬が、鬼道に詳しい人物を連れてくるから次の日は特別に勉強部屋へ集合、と述べてきたのである。だから、剣は紬を探すところから始めず、最初から勉強部屋へ訪れたのだった。
しかし、いくら斬魄刀で素振りをしていても、自己流で鬼道の練習をして失敗していても、一向に紬も鬼道の達人らしき人物も姿を現さなかった。
不審に思った剣は、とりあえず彼女の夫である狛村の下へ行って伺ってみた。すると、紬は昨晩霊王宮に戻り、今日はまだ会っていないと説明された。
零番隊とは、仕事内容が他の十三隊と比べて特殊であるし、拠点も別の場所にあるから、紬と狛村は自分の両親と随分異なる夫婦生活を送っているのだろう。
いや、そんなことよりも、自分で言っておいて来ないとはどういう了見か。自分は早く卍解も鬼道も会得したくて急いているのに、何故連絡のひとつもよこさず姿を見せないのか。
しかし、紬とはそういう性格なのだ、と自分もいい加減理解しなくては、と息を吐いたのだった。
「紬が来ないのなら、まだ今日の修行は始まっていないのだろう? 何故そのように傷だらけなのだ」
剣のどう見ても生新しい傷の数々を見て、狛村が訊いてきたのだった。
*
さらに翌日。剣は朝早くから勉強部屋入りをした。休んだ分も身体を動かす為である。
紬のいなかった昨日は、「彼女がいないときくらい休みなさい」と母に言われ、渋々修行を休んだのだった。おかげで、かなり久しぶりに十一番隊の隊士としての仕事をする羽目になったのだある。
「お、やってんな!」
暫くすると、後ろから声が掛った。
自主練習で乱れた息をそのままに、剣は声の主を振り返る。
「遅ェよ。なにやってたんだ」
背後には、果たしていつもと変わらない様子の紬がひとり佇んでいた。
「いやあ、戻ってくんのにちょっくら時間食っちゃって」
「なんでだよ。いつもみてえに、あのでっけえ柱みてえなヤツ使えばいいだろ」
「いや、毎回使ってたら使い過ぎ! って怒られちゃってさぁ」
頬を掻いて苦笑いを零す紬。
そんな彼女に、文句を言う気も失せた剣である。
「なんでもいいから、さっさと今日の修行始めようぜ」
「ん、そうだな、やるか!」
「……そういえば」
きょろきょろと、剣は辺りを見回す。
「あんた、今日誰か連れてくるとか言ってなかったか?」
「言ったな」
紬が事もなげに頷くが、この空間内に自分と彼女以外の人物の姿など見当たらない。
「どこにいんだよ」
もしかして、気配を消しているのかもしれない。そう考え、剣はまだ見ぬ相手の存在を探そうとしたとき――。
「ここよ」
「え、っ!?」
すぐ耳元で囁かれた声。
その声質は男。だがそれに聞き覚えはない。
剣は振り向こうとしたが、動きを止めた。
何故なら、自分の尻の形をなぞる不審な手を感じられたから。
それは尻の感触まで探るような厭らしい手つきだったので、剣の全身に悪寒が走る。
「っにしてんだコラァ!!」
剣は斬魄刀を抜き、背後の人物へ斬りかかろうとした。しかし、相手の姿を確認する間もなくその気配が消える。
「どこに行った……ッ」
「剣、こっちこっち」
紬に至っては、何の動揺もせずに手招きをする。
「こんにちは」
振り向くと、紬の隣に初めて見る人物が佇んでいたのだった。
その人物は、死覇装を他の誰とも被らないデザインでアレンジをして身に纏っている。ファッションセンスに疎い剣にとって何と表現したらよいのか言葉が見つからないが、それは女性が着るようなデザインに思える。
柔らかそうな栗毛色の髪は美しい簪で纏めてある。そしてその端正な顔立ちは、まさに女性を思わせた。
だが剣は、その人物が男性であるとすぐに見抜いた。
美しい外見にそぐわない高身長と、太い首に喉仏、着物の隙間から見え隠れする引き締まった足。そして、高めに発しようとしている声。
それらは紛れもなく、その人物が男であることを証明していた。
「誰だテメェ……」
剣は動揺し、斬魄刀を握り絞めて謎の人物を見遣る。
「このめぐむちゃんはな、すげえ人なんだぞ」
「うふふ、初めまして。あなたが剣くんね。あたしは袴田仁。気軽にめぐむって呼んでね」
「は?」
――何で「じん」が「めぐむ」になるんだ?
「ほらさ、仁って漢字、めぐむとも読めるだろ? それにめぐむちゃんは可愛いからな。じんよりめぐむって感じだろ」
「いや知らねえよ」
「やあだ紬ちゃんったら! 可愛いなんて、そんなこと……ほんと? ねえほんと!?」
「ああ、めぐむは可愛いよ。流石俺の嫁だな」
「やあん、もう! 嬉しいっ!」
「なにしてんだよ」
目の前でいちゃつく二人に、剣は冷静な突っ込みを入れた。
このようなよく解らない茶番の所為で、大事な修行の時間が削られたのでは、堪ったものではない。
「で、結局なんなんだよコイツ」
どうやら敵ではないことだけは理解出来たので、剣は斬魄刀を白鞘へ納める。
「めぐむちゃんは、あたしと同じ零番隊で、鬼道のエキスパートだ」
「えき……はあ?」
「まあつまり、鬼道の達人ってことだよ」
「鬼道の、達人……? コイツがっ?」
「達人だなんて、大げさねえ。そんないいもんじゃないわよ」
「そんなことねえよ。鬼道使わせたら、めぐむちゃんの右に出る者はいねえって」
「紬ちゃん……」
「めぐむ……流石は俺の嫁」
「だからなにしてんだよ」
再び熱く見つめ合う二人。剣もまた、眉根に皺を寄せて突っ込みを入れた。
「つうかまあ、達人って言うと、確かに語弊があるな。なんてったってめぐむちゃんはなあ――」
鬼道の達人として袴田が紬に連れて来られた。しかし、全く気配を感じさせず剣に近づき、そして驚くべき速さで剣から離れることが出来たその袴田が、「達人」という言い方では語弊があるという。
一体袴田はどのような存在なのか。
剣は、僅かに緊張して紬の言葉を待つ。
「初代二番隊隊長にして、隠密機動初代総司令官けんけいぎゅっ……ヤベ、噛んだッ」
紬の間抜けな所業に、剣は拍子抜けする。
「やーだ、紬ちゃん。大事なところで噛んじゃだめじゃなーい」
「ゴメンゴメン! えーっと、隠密機動しょじゃいしょうしれいきゃんっ、あ、ダメだ! 噛んじゃう! アハハハハ!」
「アハハハハハ!」
「おい、マジ、ふざけてんじゃねえぞ……」
――いや、こいつ何を言おうとしている?
紬から聞こえてきた、言葉になっている言葉を考えると、袴田がただならぬ人物のように思えてきたのだった。
「じゃあ、自分で言うわ。あたしはね、初代二番隊隊長で、隠密機動初代総司令官兼刑軍軍団長なの」
それを聞き、剣は言葉が見つからなかった。
――マジで、ガチで、ヤベエ奴なんだな……。
「ちなみに、今の鬼道を完成させたのも、その鬼道のひとつひとつに名前をつけたのも、全部このめぐむちゃんなんだよ! すげえだろ」
「マジかよ……」
零番隊とは、そのような重要な経歴を持つ死神達の集団なのか。
ならば、今まで気にしたことなどなかったが、紬もまた想像し得ないような経歴を持っているのだろうか。
「という訳で、今日からお前に鬼道を教えてくれることになったから!」
「よろしくね」
「え」
鬼道そのものを生み出したという張本人から教わることが出来るのなら、紬に教わるのとでは比べものにならないくらい上達するかもしれないし、簡単に剣八を超えられるかもしれない。そうなれば、彼を見返すことも夢ではない。
袴田の実力を考えれば、是非教わりたいところである。
「だったら、せめて普通の格好しろよ」
「普通?」
「あんた男だろ? なのになんでそんな格好なんだよ」
仁と紬は顔を見合わせ、同時に吹き出した。
「あっははは! そうか、お前知らねえのか!」
「あ? なにが」
「やあねえ、剣くんにだって知らないこともあるわよ。ねえ?」
ふたりに馬鹿にされているような気がして、剣は腹が立った。
「なんなんだよ! 俺がなにを知らねえって!?」
「なあ、剣。お前、オネエって知ってるか?」
「は?」
「やっぱりな」
「オネエっていうのは、女性みたいに美しくあろうとする男のことよ。あたしみたいにね」
「身体は男、心は女。その名も、袴田仁!」
「ちなみに、オネエの恋愛対象って女性じゃないのよ」
「……え?」
「そうよ。あたしが好きなのは、オ・ト・コ」
剣の顔から、一気に血の気が引いた。
袴田がうふ、と微笑みかけてくる。それが女性ならとても魅力的なのだが男性だということを考えると、吐き気しか感じない。
「そんなワケで、鬼道はめぐむちゃんが教えてくれるぞ!」
「ッ断る!!」
「え?」
剣が強く否定すると、紬は意表を突かれたように目を開く。
「確かに鬼道は使えるようになりてえ。でも、だからってこんなヤツに教わりたかねえ!」
「おいおい、こんなヤツってなんだよ」
「普通のヤツ連れて来いよ! なんでこんな気色悪ぃヤツなんかに教わんなきゃなんねんだよ」
「お前、いい加減にしろよ。めぐむちゃんに失礼だぞ」
「まあまあ、誰だって最初はこういう反応になるものよ」
「でも、剣がここまで拒否るとは思わなんだ……」
「別にいいわよ、慣れてるし。剣くん、あたし、こんな奴だけど、腕は確かよ? 山本総隊長のお墨付きだもの。さあ、まずはあなたに訊きたいことが――あら?」
「な、んだよっ」
袴田が何かに気付き、近寄ってくる。
「腕、血出てるわよ」
「ッ!」
確かに腕の内側に傷が出来ている。今朝、紬を待っている間に自分で付けたものである。
それを見付けた袴田に、腕を触れられた。
その瞬間、剣は大袈裟に身を捻った。
「触んじゃねえクソ野郎!!」
「てめえ! 剣!」
剣の物言いに紬の本気の怒声が響く。
その瞬間、剣の身体が地面に叩き付けられた。
「ってェ……!」
「――いい加減にしろ餓鬼」
低く気迫のある声が鼓膜を震わす。
顔を上げ、自分を地面へ押さえ付けている存在を確認すると、どうやらその声を発したのは、今まで高い声を発して女性らしく振舞っていた袴田だと理解したのだった。