(静雄視点) 珍しく客の少ない露西亜寿司の店内に携帯のバイブ音が響いたのは、西東によって大量に注文された寿司を消費している途中の事だった。 「あ……すみません、少し外しますね」 申し訳ないと表情に出しながら席を立った西東は、急ぎ足で店の外に出る。 その姿を追うように視線を向けていれば「はいよ」とカウンターの向こうから新しいネタの乗った皿(板か?)を差し出され、つい眉を寄せてしまう。 「どうした大将、口に合わないかい?」 「いや、寿司は美味いんすけど……」 寿司の味に文句を付けているわけじゃない。 問題なのは、今回の会計が西東持ちだって事だ。 通り魔事件が西東のアパートの近くで起きた次日から、仕事帰りに家まで送るようになって数日が経ち、律儀なアイツは「お礼がしたい」と言ってきた。 勿論俺は断っていたが、たまたま客引き中のサイモンに捕まった事から閃いたのか「今日は私の奢りです」と二人に押される形での入店となった。 遠慮するな、と奢る気満々で席に着いた西東だが−−いくらお礼といっても、アイツは女で年下(しかも、あと数ヶ月は未成年だ)に奢られるのも男としては格好がつかない。 が、そんな俺の考えなんかお見通しと言わんばかりに西東は次々と寿司を注文していった。 それも、殆どが俺の好物ばかり−−何度も一緒に来た事があるので、いつも注文するネタを覚えていたらしい。 普段は手を出さない高い物を頼んだ時は流石に止めようと思ったが、活き活きと注文をしていく姿や、食べている時に向けられる視線に直ぐそこまで出そうになっていた言葉が引っ込んでしまう。 畜生、何であんなに楽しそうなんだよ! これで食うのを断ってでもみろ、まるで俺が悪いみたいじゃねーか! −−と、まあこんな感じで勧められるまま寿司を食べ続けていたわけだが、そろそろ本気で西東の財布の心配をしないといけないと思い、注文ストップの旨を目の前の店主に伝えた。 「平和島の大将も、コレには弱いんだねえ」 そう言いながら店主が小指を立てた意味を察し、俺はあからさまに視線を逸らしてしまった。 「……そんなんじゃねーっすよ」 苦し紛れに口にした言葉の説得力の無さに、自分でも情けなくなる。 だが俺達が、店主の言うような関係では無いのは事実だった。 俺が西東に対して《その感情》を持っているっていうのは、アイツと出会って過ごしたこの一年で自覚するまでに至っている。 最初は−−良く出来た妹が居たら、こんな感じかと思っていた。 何のトラブルもなく正確に担当業務を行い、尚且つ周りの事を良く見て行動している姿が、昔からそつ無くなんでもこなしていた弟の幽に重なっていた。 それに、あの頃の西東はあまり表情を変える事が無かったから、余計幽と似た雰囲気を持っていると感じていたんだろう。 その印象が変わったのが、春の事だった。 俺の《力》を目の当たりにしても、アイツは怯えるわけでも忌避するわけでもなく、以前と変わらず接してくれた。 嬉しかった−−こんな自分から離れようとしない西東に『近くに居て良いんだ』と許された気がした。 そして、いつしかアイツの側に居る事が心地良くなっていくのをハッキリと感じていた。 もっと側に居たいと思った。 段々と柔らかくなっていく表情を、もっと見ていたいと思った。 彩りの増えた声を、もっと聞いていたいと思った。 そんな《もっと》が積み重なり、最後には『触れたい』と思うようになった。 今までだって、何度か西東の頭を撫でた事はあった。 だが、それだけでは物足りない−−全然足りない。 自分はいつから、こんなに欲張りになったのだろうか。 側にいるだけで良かった 色んな表情を見れるだけでよかった あの声で名前を呼ばれるだけでよかった なのに−−今ではアイツに触れたくて、触れ合いたくて堪らない。 あの白く小さな手に触れて 細く滑らかな指を絡ませ あの華奢な身体を 思いっきり抱き締めたい−− −−そこまで考えて、俺はいつも我に返る。 何言ってんだ。 よく考えてみろ。 自分の《力》で西東を壊す気か? 今までで一度でも、あの《力》を思い通りに使えた事があったか? 自分自身を制御出来た事があったか? −−ないだろう? 自分の身体も 気に入らねえ奴らも 池袋の街も 『守りたい』と思ったモノも 全部壊してきた。 俺はいつも壊してばっかりだ。 そんな俺が『西東に触れたい』だなんて思っちゃいけない。 壊してしまうくらいなら−−触れられないままで良い。 だから俺はアイツに自分の《想い》を伝えない。 間違っても伝えてはいけないものなんだ、と自分に言い聞かせた。 「なあ大将。西東のお嬢ちゃん、やけに遅くないか?」 店主の言葉に反応して時計を見ると、西東が外に出てから既に十分程経っていた。 普通の通話にしては、少し長い気がする。 外には客引き中のサイモンが居るから万が一何かあっても大丈夫だと思う−−が、一度気になり出したら居ても経ってもいられなくなってしまった。 元々、通り魔被害に合わないようにと言う名目で西東を家送っているのに、こんな所で何かあったら堪ったもんじゃない。 「ちょっと様子を見てくる」と店主に断りを入れてから席を立ち、店の出入り口まで移動する。 中と外を隔てる引き戸をスライドさせれば、冷たい風が頬を掠めた。 そのまま外にでて戸を閉め、周りを見渡そうとすれば、近くにいたサイモンに声をかけられる。 「シズーオ、モウ帰ルノカー?」 「なあ、西東はどうした?」 「oh!ムラサキナラ、ソコニ居ルヨ!」 サイモンの指差す方を見れば、確かに西東はそこに居た。 だが俺の目に映ったのは、予想していた電話中の姿ではなく、スーツの上から黒いコートを着た知らない男に抱きついている西東の後ろ姿だった。 . |